安心して死にたいと言える社会

私は、西智弘先生の「だから、もう眠らせてほしいー安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語」 #もう眠感想  に参加するつもりだった。しかし、タイムリミットまであと15分。未読了。なんて無礼な奴、なんて自己管理のできないやつ、と思いながらも、共感したり考えたりしたことを書き留めておこうと思う。


「安心して死にたいと言える社会」(p,153)

特に理由なしに「死にたい」を連発する若年層

…だいぶ心当たりがある。日本に安楽死制度ができたら、そこに自殺志願者が流れてくるというのは当然だろう。「死にたい病」の人たち(自分たち)からすると、安楽死制度は自らの希死念慮・自殺願望の都合の良い処理場となる。そのほかの人たちからすると、自殺が正当化されるようなことは懸念でしかないだろう。

でも、安楽死制度ができることで、死にたい人と、死にたい人の物語を救い取ってくれる人とが繋がる機会が生まれる。だから、自殺はむしろ延期されたり、減ったりする。これは面白いし希望を持てる考えだ。自分は死にたいくせに、自殺って悲しいし、自殺するほど苦しむ人は減ってほしいのだ。自殺は悪いことではないと思うけどね。むしろ私の中では「生きたい」よりも、自然な欲求に思えるのだ。


緩和ケアについては、最近、小川糸さんの『ライオンのおやつ』を読んだばかりだったから、ものすごく素晴らしくてあったかくて優しい場所だなあと感じている。日本に緩和ケア病棟・ホスピスが浸透してほしい、それには全面的に賛同だ。

欲を言えば、人生全体が緩和ケアであったら良いのに、生きやすいのに、と思うのだ。甘ったれかしらん。

ああ、時間だ。


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