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1.自己表現の本質

本章では、以下の内容について明らかにする。

自己表現は、個人の内面を外に示す試みだが、この行為自体が社会の枠組みや他者の目に影響されるため、純粋な自己表現は幻想に過ぎない。

我々は表現する際、常に周囲の期待や制約を意識しており、それによって自己表現の内容が変質する。

結論として、純粋な自己表現は不可能であり、その試みは常に外部の影響下にある。

本章の役割は以降の章の内容に取り入るためのローションである。ざっと論をさらう、ざっくり眺める、ぱっと見る、そのような行動に使用するのための章である。


自己表現は個人の内面を外に示す試みなのか?

今回の場合、自己表現という言葉そのものに矛盾があり、成立しないと考えているので、「自己表現は存在する」という前提の元に建つこの問は問として成立しないものと捉える。そのため、回答しない。というか今回の場合、回答不可である。

仮に前提を無視して自己表現が在るとした場合にこの問に対して答えるとするならば、「自己表現は個人の内面を外に出す試みなのか」に答えるとするならばはいである。少なくとも本論でははいである。外とは自分以外の人間を示す。

純粋な個人の内面とは?純粋な自己表現とは?

純粋な+個人の内面=純粋な個人の内面というような表現。個人の内面という言葉に純粋なという修飾がかかっている。ここでいう純粋性は何を基準に計られるのかについて、発信に伴う場合に他者がどれほど干渉するかの度合いで計られるものとする。

純粋な+自己表現=純粋な自己表現という表現。ここでの純粋の基準は上記と同じ。

自己表現は純粋であるべきだとする主張のもとに、論を展開する。

自己表現は周囲の期待や制約によって、どのように変質するのか?

自己表現が周囲の期待や制約によって変質すると仮定した場合、その性質の仕方について、つまり周囲の期待や制約に寄り添った形に変質する。

これは社会性に伴う行動原理が引き起こすものと推測できる。人類の持つ社会性には大きな強制力がある事について、人々は孤独の痛みを通して認識している。

自己表現の変質もまたこの孤独の恐怖が、あるいは孤独よりももう少し表層にあるペナルティに対処するためにもたらされる、そういう変質である。

外部からの影響とは?

外部からの影響とは、発信活動の際に自身以外の人間からもたらされる縛りや期待、言動や言動から来る思想、それらがもたらす発信内容の変化、この一連を外部からの影響とする。

外部からの影響という言葉には、先述した「周囲の期待や制約」を含めるものとする。

この外部からの影響の持つ引力は特に日本のような、社会で強く在ると考察する。社会性の持つ重力が極度に強いからである。同調圧力と呼ぶとわかりやすいであろうこの重力は表現の形を歪めてきた(形成したとも言えるが)ものである。

例えばXでとあるアマチュアイラストレーターのスタイルが急変したりすることにおいて、あるいは変化したくとも出来ない場合においてこの重力が原因として作用していると考える。重力が占める原因の割合について判断できる情報がなく、これもまた本論の脆弱な部分である。

自己表現は存在しない

以上のことから自己表現は存在しない


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