見出し画像

カーネーション

ゴールデンウィーク最終日、街でみかけたリュックを背負った青年は、片手に弁当を下げ、もう片方に簡単にラッピングされたカーネーションを一輪にぎり、足早に歩いていた。
母の日の原点を見たような、清々しい気持ちになった。

GW初日におよそ一年ぶりに実家に帰った。
高齢の両親に、実家のどこに何を置いているのかをざっくり聞きだしておこうというミッションを背負っていた。コロナ禍などを理由に先延ばしにしていたが、これを成し遂げなければならない、実家には遺産も借金もないのだが、少し気が重かった。
手ぶらだったが、乗り換え駅で思いつき、花屋で花束を作ってもらった。カーネーションの中にシャクヤクを一輪混ぜてもらい、心のなかで少しドヤ顔をした。シャクヤクは膨らみかけの蕾で、数日後大輪をひらくはずだから。
聞き取りは思っていたよりスムーズで、証明書の類は父母別にわかりやすく保管されており、年齢なりにぼうっとしたところもあったが、ふたりともしっかりしていた。
もともとこの里帰りは、受験を終えて祖父母に会いに行く娘にわたしが便乗したのだった。娘も祖父母側も喜んでいて、和やかだった。
ひと晩過ごした次の日、居間でそれぞれがテレビをみたり、新聞のパズルを解いたりのゆるい時間を過ごしていたら、母が突然「あんたの○○やけど、これから挑戦したらええやん」と言いだした。
○○とはわたしの若い頃の夢である。
わたしは度肝を抜かれ、娘も怪訝な顔をしている。
「なんや、あんた言ってなかったんか」
言ってないよ!叶ってない夢のはなしを娘にしないよ。ガッデム過去のわたし、なんで親にそんなこと話したんだ。
「今、嫌じゃない?」と娘。
「すごく嫌」とわたし。
だけど構わず続ける母。
「もうやめてあげて」
いたたまれなくなった娘に庇われるわたし、実家、またの名を地獄。そうだった、油断してたけど母は悪気なく思ったことをなんでも話したがる人間なのだった。(本人としては選んで話しているのかもしれないが、娘のわたしからはそう見える)
いい歳をして情けないけれど、自分と母の関係はずっとちぐはぐな感じだ。お互いそういう相性なんだと諦めていると思うが、今回は二日間くらいダメージを受けてしまった。

GW中にはもう一度、弟一家もまじえ、両親と会食する機会があるので、わたしは気を取り直し、母に電話をした。
会食で話題にのぼりそうなことから予想した自分にとってNGな事柄を、辛いし恥ずかしいから言わないでほしいとあらかじめ申し出たのだ。
そこまでする?と母に思われてもいい、とにかく得よう安心感を!という気持ちでのぞんだ会食では、わたしが予想した会話は出なかった。いいんだもう、取り越し苦労上等だ。

わたしが持っていった花束のなかのシャクヤクは、予想どおり数日後ひらいたということだ。
母の日、母、実家、昔の自分、みな苦手だけど、一輪のカーネーションを握る青年の姿は美しいと思えたからそれでいい。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?