見出し画像

コミュ力強化への道

得意じゃないけれど

この春から職場での担当が変わり、以前より、周りとコミュニケーションをとらなければと思うことが増えた。
本当は誰かが主に話していて、そこに合いの手を入れるくらいの方が好きだ。しかし仕事なので、自分から話題をふり、場を持たせるようにしなければならない。

久しぶりに少クラ(NHKのジャニーズ番組・ザ少年倶楽部)を見ていたら、その回の司会Snow Manの目黒くんと渡辺くんが、このコンビでMCをするのは珍しいと言っていた。グループには他にまわすのが得意なメンバーがいるから、ぼくらは笑ってるかチャチャを入れるだけで、と話していたけれど、せっかくだから勉強も兼ねてお手やわらかにということだった。
華のアイドルと自分を並べるのはあまりにも図々しいけれど、わたしもそうなんですと挙手したかった。しかし挙手したとしても、自分の今の状況は変わらない。
一般パートタイマー労働者の自分も、Snow Manを見習い、勉強も兼ねてやるしかないのだ。

掃除機には話せない

わたしは学校などで、極端に口数の少ない子どもだった。
小学校に入学して間もない頃、同じクラスの男子に
「おまえ正直に話せや」と言われたことがある。
その男子はわたしを尋問したかったわけではなく、しゃべらない人間が不気味で、どこで聞き覚えたのかセリフのような言い回しでそう言ったのだろう。
わたしはわたしで、正直にというのがどういうことなのかわからず、(しょうじき?そうじき?)と考えこむだけで、何も言い返すことができなかった。基本的に、人といったいなにを話せばいいのかがわからなかった。

小学校入学から何十年も時が過ぎた。
さすがに日常生活に困らない程度には人と会話ができていると思っている。
だが正直に言うと、今でも人と何を話せばいいのかわからない。
会話が、自分が言葉を発したせいで途切れることがよくあるような気がする。
心を許せる人には、自分の興味のおもむくまま、しゃべってしまいがちな気がする。
そんな自分だから、寂しいと面倒くさいであれば、寂しいを選択し、ひとりで行動することを苦だとは感じない。(おひとりさまの概念ありがとう)
インターネット環境およびスマートフォンに感謝。
昔よりは楽になったけれど、それは集団に属するかを選べるようになったからで、コミュニケーションそのものについては、ネガティブなままなのかもしれなかった。

松重マスターの言葉 

春からの数ヶ月、このようなもやもやをかかえていたところ、松重豊さんのラジオ“深夜の音楽食堂”に人見知りで悩んでいる大学生からのお便りが寄せられた。
その大学生は、ゼミに参加する際に、他の場面よりも人との距離が近い気がして、そうなると思うように受けこたえができなくて困っているそうなのだ。
松重マスターは、コロナ禍以降リモートが増え、直接コミュニケーションをとる機会が減り、これからは今までとはちがうコミュ能力が必要になるのかも‥と前置きをした後、語った。
話すというより、きくこと。
二、三質問をし、相手が興味のあるものをつっこんでいく。
沈黙をおそれない。
マスター!そうですよね、マスター!(心で挙手)
地道に質問、それしかないし、むやみに沈黙をおそれる空気を出したら、気まずさが増すだけだ。
松重さんは子どもの頃、転校が多かったそうだ。
友達と仲良くなった頃に次の学校へ。
むちゃつらい。
俳優の仕事はある意味転校の繰り返し。常に新しい現場に入り、人間関係を築くものだと想像するので、その言葉には説得力があった。

以前の放送で松重さんは「嫌われない程度にそこにいる」という意味のことをおっしゃっていた。
コミュニケーションが苦手だという気持ちの底には、それでも人に好かれたいという思いが隠れていたのかもしれない。
人見知りなんでとかコミュ障気味でと言い訳するのも気がひける年齢になってしまった。
コミュニケーション力を高めるのには裏技はなく、まずは自分が居やすくなるよう、人と話していこうかなと思っている。
インターネット環境およびスマートフォンに感謝をしたけれど、そこにradikoプレミアムも加えたい。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?