2 煙草工場


 ・・・・・・町のはずれに大きな煙草工場があって、住人たちが眠りについた夜明けの通りは、帰路へ着く工員たちの群れで飽和する。灰色の作業服に帽子という出で立ちの労働者たちは皆うつむいて黙りこみ、疲れに浮腫んだからだをひきずって、眠りに耽るものたちのあいだを行き過ぎる。彼らの通ったあとには薬品とゴムの焦げたようなにおいが充満して、朝陽が昇るまで靄のように漂っている。もう何年も、何十年も、ともすると幾世代に渡って無言の工員たちは夜が明けるたび通りを埋め尽くしていたが、数年前に突如として工場が閉鎖されてからというもの工員の大群は町からはたりと失せ、いまでは青錆に塗れた幾多の工具や恐竜の死骸ような製造機が、石壁の剥がれて朽ちかけた建物のなかに冷たく打ち棄てられている。
 しかしおまえが破れたフェンスの隙間をくぐって夜更けにこの廃墟へ足を踏み入れるなら、そこでひっそりと情交に耽る数多の影をみるだろう。パイプが何本も絡みあいながらあちこちに行き渡る通路の隅や、かつては轟音とともに回転していたはずの無数の歯車の下や、黴のにおいの濃く漂う階段の踊り場や、そういう静止した闇のあちこちに、湿った息を吐くからだがいくつもひしめいている。緩慢な手つきで互いの肌を撫であう乾いた音が、虫の羽音のようにざわめいてほうぼうから立ち上る。
 あるとき濃く煮詰まった闇の奥から甲高い悲鳴が一声あがると、音は狭くくねった通路を渡り、最後には工場内部の中心にある作業場まで出て、淡く反響して消える。四方が闇に沈んでどれほどの広さか窺い知れないがひどく荒廃しているらしいその空間の、はるか頭上に開いている天蓋のような穴から月の光が差し込み、瓦礫の山に寝そべる裸の女の、寒さに粒立った骨のような肌の青白さが夜闇に浮かんでいる。女は半ば開いた手のひらを瓦礫の上にだらりと投げ捨てて仰向けになり、空ろな目で宙の一点をみつめ、陰毛を艶やかに白く光らせたまま動かずにいる。周りをびっしりと囲む、温かく濡れた目の輪郭が、笑みを浮かべたように、音もなく歪む。
 やがて空が白みだすと影たちはゆっくりと姿を消していく。日が昇り、黒く湿った外壁が陽に晒されてだんだんと朽ちていく頃には、建物はすでに何食わぬ顔で元の廃墟の面持ちを取り戻している。
 町中が眠りについている真昼の長い時間、陽光に熱された風がときおり隙間から吹きこんでは虚ろな音を立てて建物を震わせ、舞い上がった埃がちらちらと輝きながらふたたび瓦礫の上に積もっていく。その影に潜りこみ、薄闇のなかで仄白い腕を絡みあわせて目を閉じるいくつものからだがある。かつてそこでたくさんの人が殺されたとか、いまでも土中には人骨が山のように埋まっているとかいう噂があるが、真偽は明らかでないし、明らかにする必要もない。たしかなことは、夜になると彼らが瓦礫の割れ目から這い出し、静かに際限なく交わりつづけるということだけだ




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