3 路地裏の闇市


 ・・・・・・複雑に交差する迷路のような道を歩いていれば、蝟集する家々の屋根の向こうから夜空へ細く立ち昇る灰色の煙が幾筋かみえることがある。出元を探して歩きつづければ、やがて使われなくなった旧市街通りの路地裏や、取り壊された屋敷の跡地でひっそりと開かれている闇市に行き当たるだろう。たいていは木組みの屋台に小さな豆電球を吊り下げただけの移動式店舗が並ぶ市場には、必需品の煙草はいうまでもなく、食品や衣類や嗜好品、とにかくいろいろなものが売られている。犬や蛙の丸焼き、稀少な鰐の剥製、履き潰された女児の運動靴、異国の型落ちスマホ・・・・・・客は何度もゆらゆらと巡っては冷やかしの目を寄越し、店主たちも眼前を過ぎる人の流れをみつめながら屋台の奥でじっとうずくまっている。
 身動きができないほど賑わっていても、ひとびとが騒ぎ立てることはない。なにしろ件の煙草工場が閉鎖されてからというもの町の主産業にまで発展した闇市はしかし依然として違法であり、警官が毎夜町中を取り締まっているのだから、売り買いするものの囁きと硬い靴音、食物の焼ける音のほかには市場に物音はない(ただ昨夜まで警棒を振るい逃げ遅れたものの頭蓋骨を割っていた警官が、次の日には屋台の内側で黙々と肉を炙っていることなどはざらにあり、いったい誰が何を取り締まっているのかは全く不明である)。
 この静かな闇市から品物を盗んでは町外の貿易商たちに流すことをくりかえしていたぬすっとがいた。誰にも気づかれない鮮やかなすりの技術と、身元の割れない用心深さは対処のしようがなく、被害を受けた店主たちもため息を吐いてあきらめるほどだった。
 そうしたことのつづいたある秋の夜更け、西方の小広場にひとりの男が横たわっていた。痩せぎすで頭頂の禿げた鼠のような風貌の中年男は、半目を開いたまま広場の時計台の脇で仰向けになって固まっており、気づかずに躓いたものが何の反応もないのを不審におもい覗き込んでみると、はたして男は息絶えている。しだいに集まりだした人だかりのなかに男の身元を知るものはいなかったが、しばらくして群衆のなかから叫び声があがり、でっぷりと太った肉屋の店主が人混みをかき分けてあらわれた。肉屋は男の眼前にまで来ると腕を組んで黙りこみ、ちょうど数日前におれは腕時計をなくしたが、こいつが着けているのはまさにその腕時計のような気がする、みればみるほどそんな気がする、いやそうにちがいないと低い声でぶつぶつ呟きながら、屍体の手首から時計を外した。肉屋はそれをポケットに滑り込ませ、あっけにとられている群衆をひとしきり眺め返すと、ふたたび群衆をかきわけて店へ戻っていった。ひとびとは肥えた背が揚々と遠ざかるのを黙って見送ると、隣同士の顔をおずおずと眺めあい、貧相な顔で絶命している男に向けて、無数の腕を伸ばしていった。・・・・・・
 警官が駆けつけたとき、すでに屍体は消えていた。代わりに血と臓物のにおいが濃く立ちこめ、細かに散らばる肉片のまわりを血溜まりが覆い、赤い粘性の池の底から伸びた時計台が、無人の広場に秒針の硬音を響かせていた。
 その時のことをときおり思い出し、肉屋はふくふくと腹を揺らせて笑う。鶏もも肉の食感に似ていたと、芋虫のような指で腕時計を撫でている



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