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八十八に力を与えて

リーディングマスター・まさみちです。普段はカウンセリングをしており、見える世界だけではどうにもならないことを、見えない世界から紐解いて、人生をより良く生きるお手伝いをしています。

情報が溢れており、「好きなことだけ」していくことでより良いことが生まれると教えられる昨今ですが、古来より好きなことしかしていないのが自我の発想なので、自我が選ぶ世界は、自我に呑まれて終わる世界なので、真我に基づく純粋さを輝かせる世界に気づいてもらいたいと活動しています。

同行二人

現在、八十八カ所巡礼の旅に来ております。
予備知識もあまりなく、今の知識で動き出して、歴史を見ると本当に色々な話があり、真実として八十八カ所巡礼はどこから? という思いもリーディングで辿ってみたくなりました。

実際に空海が直接関与しているのは64の寺と出て来ますから、歴史の推移による自然の摂理によって88という箇所に広がり、それも見越しての空海の法術というのが降りてくる情報です。

こんな風に書くと「何でもあり」というものになってしまいます。

重要なのは、人の心や病気が治せるかどうか?

その一点のみではないかと思っています。

使えるの?

使えます!

という問答に到るなら、「だったら真言密教とか信じてみてもいい」というイメージに繋がるものが一般的な解釈ということです。

エゴに限らず、純粋な思いも、役立つものでなければ信じたいとも思わないものです。

そして、時代と共に価値観も変わるように、「慈悲の世界」から「慈愛の世界」へとシフトしているなら、そのように価値観や概念も変革しなければなりません。「悲しみ→愛しさ」に変革するには、どうしたらいいか考え抜いて行かなくてはなりません。

この世界は、自分がどのように捉え、どう関わるかで与え、与えられる世界として具象化する側面があります。

その「与える聖なる力」に対して「邪魔する力」もある為、両者のバランスで願いは叶うものくらいに考えてください。

この世界は、人の幸福を妬む邪悪な心を持つ人もいるのです。

我が身を犠牲にしてでも、人の喜びを邪魔することを楽しく感じることもある為、誰かが邪魔し始め、それが効果的に見えてしまうと、みんなで邪魔し合うことを始めてしまうのです。目に見える形なら処罰も出来ますが、目に見えない形なら?

どうすればいいのでしょうかね?

空海の関与が六十四でも、八十八でも旅は続けますし、これはとても面白い仕掛けがゴロゴロあります。

あなたはこの世界に何を望む?

悟りを開いて、無の境地から観る世界はどんな景色だと思いますか?

さぁ、初日〜六日目にも伝えました、繋がり方が半端なかったそれぞれの札所! その7です!

廿は、「にじゅう」と読みます。十を二つ並べるもの。

二十(廿)番札所、鶴林寺では、山頂をイメージしての繋がり方。(高い高い山の頂に立っているとし、裾野では日々の暮らしや、他人の揉め事などが見え、さらには両者の背景までも見えるほど雲の上の仏の胸中から眺め見下ろすイメージのこと)

二十一(廿一)番札所、太龍寺では、目の前に縦長の楕円の鏡を見つめ、こちら側の世界と、鏡の中の世界の両方を同時にイメージする繋がり方。(こちらの肉体がある方が鏡の中、鏡の中をイメージした世界の中に真実の世界があることも想像してみることが大切であり、両方の可能性を考慮しながらイメージするもの)

二十番札所も中々の体験をしてきましたが、二十一番札所は、泣けたね。

タロットなども知っていましたし、あれこれ研究を重ねていましたが、この21がタロットではワールドを示すものですから、答えそのものだと思っていたのです。東寺の立体曼陀羅も21体ですし!!

三十三間堂の千手観音菩薩や、28部衆の存在とかは?

どんな関係性にあるの?

などなど、真言密教の世界を霊的にピタッと一致させた認識が欲しくて、あれこれと対話に対話を重ねて、大体のことは掌握してきました。

今回の21番札所は、「虚空蔵菩薩」ですから、例の12番札所、焼山寺のへんろころがしなる、山道で大蛇を退治した時に空海が助けを借りた仏さま!

今回、アリアリと繋がり方や、他者への導き方が解ったので、これが解ると、色んなものが紐解けます!! 私のリーディングレッスンでは、第十四章、立役者講座で教えるものですが、これ(虚空蔵菩薩への意識の繋ぎ方)が身につけることが難しいのです(レッスン中は出来たりするけれど、一人になると出来なくなる厄介なパターンのそれ)。

21番札所は、空海が修行したと明確にわかる場所らしく、私も辿り着いたその時から「ここは好きだったなぁ」と感慨深くなるものですし、何しろ「天狗」が多いことなんの!

21の天狗

この写真に、たくさんの天狗が写っているのですけれど、解ります?

天狗に気に入られると、山登りとかが楽しくなったり、体が軽くなるので、しんどくても楽しい気分で、天狗とかけっこしたり、勝負するくらいのイメージで修練すると力がつきやすいです。

太龍寺門

20番札所も、結構好きなところでしたけれど、21番札所に来ると、こちらに意識が持って行かれるほど、世界が違います。

いいの!

北の舎心ヶ嶽

こちらは、北の舎心ヶ嶽(しゃしんがたけ)で、社のある場所に座るなどして、修行するところ。ここにも天狗がいっぱい。

南の舎心ヶ嶽(しゃしんがたけ)に行く前にタイムアップとなり、一旦ロープウェイにて降りて、宿へ行きました。明日は、ロープウェイで上がり、続きからです。

気の穢れのない場所での修行は、とても気持ちよくやりやすいですが、おごり高ぶりやすいマイナス要素も強く出ます。穢れのないところで、気づきを起こすのはある意味容易くあります。穢れた場所で気づきを起こすのは大変困難なことです。

けれども、仏などが場所や環境を問うかと考えると、「どこでも目覚められる」と考える方が道ですから、誰でも目覚められるものなのです。

心を開いた状態での八十八カ所巡礼は、凄まじく足取りが重くなるものですし、現実に現れるトラブルも全てギフトですから、それを紐解いていくことで気づけるものだとわかると、「幸せの中でしかない」という喜びの世界そのものだと感じずにはいられないものなのです。

21で、一つ成し遂げた感がやって参りました。

明日は、南の舎心ヶ嶽と、最後の22番札所、平等寺です。

れんげ

蓮華の精霊がいたのでパチリ。

この子たちは、後頭部から、頭5つ分後に意識して、二つに分かれたイメージを持つと良いです。別れた先は頭1つ分空けたところにボヤッと二点同時に意識しつつ、写真に見えずに写されている精霊にフォーカスする(焦点を合わせる)ことで(合わせ方は仏にお任せの感覚で、自分でやろうとせず、やってもらえているリクエストだけしておく感じ)、繋がります。

繋がった? と自問し、

うんうん。 と自答する感覚があるまで何度もリクエストとお任せ感を繰り返します。

うんうん。が出来たら、「私を見て!」と、蓮華の精霊に問いかけてみるのです。

蓮華の精霊は、あなたの深淵の心の鏡となり返事をしてくれます。

最初は、とても嫌な言葉がイメージされるものです。

それが出ても諦めずに、繰り返し「私を見て!」と蓮華の精霊に訴え続けるのです。ボロカスに言われるかも知れませんが、お構いなく「私を見て!」と問い続けてみてください。様々な思いが吐露されて、心が楽になります。

最後の最後まで行くと、「質問する気が失せる」という感覚に辿り着きます。辿り着いた体験がある方は解るものです。「もう、私を見て! と問う必要はない?」という質問と、「まだ、私を見て! と問い続ける必要はあるよね?」という二重チェックをして、問答が終わっているかどうか確かめてみてくださいね。

何度やっても、色んな穢れが浮上する問いなので、便利です。

天狗の写真には、「私は私が好きです!」と自己宣言の形で天狗に質問すると、天狗が何かしらのリアクションをしてくれます。これを続けると、見失っていたものを見つけられるかも知れません。

やってみてください。

公式ホームページ

リーディングというものは、思考力の強化版みたいなものです。

潜在意識に働きかけ、根本的な認知の誤りを自分自身の力で正せる力を持とうというものです。心の自己修復能力を育てるものです。

リーディングレッスンは、自分で自分をや周りの人たちを癒やす力ですが、治して欲しい方は、カウンセリングを受け付けています。

思いがけない認知の誤りで、現実がトラブルになっているので、一度相談してみて、世界の創造の仕方の根本的改善策に触れてみてください。

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