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霊的進化のごにょごにょ。

心と言葉の研究者 リーディングマスター・まさみちです。
心理カウンセラーとして活動しており、リーディングという心理学メソッドで、様々なことを瞬時に読み解いて、必要な気づきの言霊を届けております。

無事、二度目の区切り打ちという分割して八十八カ所巡礼の旅を終えました。

三十三番札所までですが、まずはここまで。

八十八カ所巡りは、法力、法術が仕掛けられており、中々面白い体験が出来るのでオススメですが、当人の想像した世界が創造されるので、どういう意識で取り組むかにより、受け取る世界も変わるものです。

法力、法術の意味について。
(心を開いてお遍路をするもので、閉ざしたままでも効果はあるものの、開いてするものとは大きく変わるもの)

八番札所まで歩くと、自分の弱さを知ることとなり、楽を求めた結果何も手にしていない事実と向き合うことになり、弱音を吐く意味も価値もないと気づけた者は性根が整う法術がかかっている。

十二番札所まで歩くと、培ってきた価値観の欠陥や脆弱さに気づき、噂話を信じている解釈や、又聞きした信憑性のないものなどが脳内を埋め尽くして、「意味の無いことを重要視していた」とわかると、信仰のなさを自覚する法術がかかっている。

二十一番札所まで歩くと、先入観で生きていたと気づき、自身の純粋なる真心から物事に取り組んでこなかった逃げ腰に気づき、誠実なフリをして身の安全を図るだけの利己的な性格だと気づく出来事に見舞われ、自分の行いを省みて、仏性が示す真の理を知る為の導きたる法術がかかっている。

二十二番札所まで歩くと、世間的な大衆の解釈に覆われ、自傷行為や、人のせいにする概念に呑み込まれ我を見失って生きていたと気づき、他人を通して自身の未熟さを指摘して追い詰める真似をしており、苦しみの中から喜びを見つけ出す為の閃きの法術がかかっている。

二十四番札所まで歩くと、達成可能なものを不可能なものだと位置づけて諦めている価値観に気づき改め、限界を越えていけないことを正当化している自我の言い訳と向き合うことになり、未知なる世界に飛び込むしかないと気づく為の法術がかかっている。

二十七番札所まで歩くと、自然体になることを否定する雑念と向き合うことで、それら雑念に意味や価値がないことを見抜く為にするもの。人と共通するものと、共感出来ないものを見つめ、対立しているようで支え合っていることに気づく為の法術がかかっている。

二十八番札所まで歩くと、絶望したままにしている価値観が身体的苦痛を通して知らせてきて、未知なる行動に出ることによって突破し、新しい発想や概念を生み出していく底支えの存在になる決意を導く法術がかかっている。

三十三番札所まで歩くと、自身を取り囲んでいる否定的意識を見つけ出し、価値観を固定化させて新たな価値観に目が移らないよう世界を閉ざしている概念を壊し、自身の可能性を自身で摘んでいたと理解出来るように仕向ける法術がかかっている。

法術というものは、「意味や価値が無意識下であれ『ある』と信じる」状態で取り組むから得られるものです。不信がり、『歩き遍路に法術なんてない』とするなら、そのような体験となり、信じる人であるなら、その信じるレベルに応じて体験する出来事も変わるものです。

そのそも「お遍路」とは何か?

ここでは、お遍路の意味、定義誤用を紹介し、智慧と合わせて紹介することで先入観で捉えている解釈で回ると、その先入観が叶うものだと知ってほしいものです。智慧とは真理からもたらされた「今問いかけ、今答えを得る」ものです。

「お遍路」の意味、定義の誤用。
・価値のない巡礼。真実を知らされず歩くもの。方法論がそもそも間違って伝わるもの。価値が失われたものの成れの果てのこと。自己逃避をやめる為のもの。

・錯覚に狂う世界からの脱却する手段のもの。しがらみから抜け出す覚悟を定めるもの。間違った価値観から抜け出し、自ら見出す価値観に切り替える為のもの。自分を見つめる為のもの。生きる意味を探す為のもの。人からの悪想念を断ち切るもの。
「お遍路」の意味、定義の智慧。
・偏りきっている価値観を正す為の歩き行程のこと。家族の価値観に束縛された状態からの解放と、外から見る内なる世界と、内なる世界から見る外への世界の広さを体感し、自身の中にある人と人とを隔てる心を閉ざしている壁の正体を知る為のもの。悪い発想や解釈を見つめ、手放す為の行程のこと。心の支えとなる価値観や概念を見つめ直し、不要と判断して手放しても問題がないと訴える自身である肉体からのメッセージに気づく為のもの。霊的な覚醒を促す為のもの。見失っていた自身の純粋性を発見し、心を開くこと。仏性そのもので生きるようにし、悟りを開き、関わる人を悟らせていくこと。

・価値観の全てを捨て去る切っ掛けの場であり、執着しているものの正体に気づく道のりのこと。思考を止めることが出来ていないことに気づき、どのようにすれば思考が消え去るのかを方法論を見つけ出し、身につける体験の場のこと。想像の限りを尽くすこと。飛躍した解釈を探り当て、理解し合える道を開くこと。わかり合えない隔たりをなくし、わかり合える絆を生み出すこと。相手の人生そのものを背負い込んで生きてみること。見聞きしてきた経験が乏しいことに気づき、底抜けにいい人もいれば、どうしてそこまで嫌がることが平然と出来る人もいることを知る為のもの。善くも悪くも自分の応対一つで、その場を心地よくも出来、心地悪くも出来ると心得、体験したことのない未知なる世界へと踏み出すことが人生であることに気づく為のもの。わかり得ない意味を見出す為のもの。言葉に成らなくても自然の中に意味が存在しており、無意識の中でそれら自然の想念に従い生きているものだと気づく為のもの。関わる人の愛の眼差しにより、自身の心が形成されていることに気づく為のもの。微笑んでいられる心を維持する為のもの。心を無くし、自然そのもので生きるものだと悟ること。

誤用と智慧を比較してみることで、「お遍路」という言葉の中身となる意味合いの奥深さを感じていただけると、自分を知る旅とも言われる「お遍路歩き」が、真実味を感じられるのではないでしょうか?

心を知ることは、霊的進化を遂げることと密接に繋がり深くあります。

ただ、「霊的」というニュアンスも、解釈は様々にあり、質や品格の有無を問いかけると、「霊格」というべき清らかさや、覇気の強さなど、を高めていけるかにあります。

霊的資質や進化という表現は、それだけで「エゴをくすぐる」という優越的価値観を満たそうとする働きにも直結してしまい、自分と向き合うことより自分の霊格を落としかねない判断や、思慮深さがマイナス感情・ネガティブ発想に陥ることがあることを深く学んでおく必要があります。

霊性というものが、それほど大仰なものではないことに気づかなくてはなりません。

0,悪性……不愉快なことを思いつくこと。
1,暗性……マイナス感情・ネガティブ発想を繰り返すこと。
2,善性……選択して良いもの重ねていくこと。
3,霊性……独創的な発想を持ち、未知なる世界へ挑むこと。
4,知性……他者の意見を取り入れ、深い知識を根拠に尊重し合うこと。
5,感性……どのように受け取れば、自然と関わり方が定まるもののこと。
6,和性……相手を理解し、無理をやめさせ、相手の力になるよう関わること。
7,聖性……自分の意思で、相手を底支えし、されて喜ぶことを与えていくこと。
8,真性……誰だって特別な事情がない限り、単純明快な関わりをしてしまうこと。
9,仏性……未知なる自分であり、想像を超えた智慧を授かるもののこと。
10,本性……愛する心もエゴエゴな心もどちらも自分を指しており、共に笑うもののこと。
11,神性……神秘的な存在から届けられるメッセージに従って生きるもののこと。

これらが霊的な意味合いのニュアンスを知らせるものであり、霊格などを漠然と感じ得る為のものです。

悪性も暗性も善性も霊性も知性も感性も……同じことを指しているのです。

霊性とは知性であり、知性は感性のことであり、最終的には霊性は仏性や神性に触れて生きて行くことです。

より賢くなることを霊格というニュアンスで受け止めてもよいものです。

人は人と協力関係で結びつく方が、より良い状態を生むことになるのです。

霊性を得たいとイメージするなら、最初から極めている仏性をイメージして取り組めた方が良いことになるのです。


この霊的進化や、霊性の霊格というものは、エゴに呑み込まれやすく、傲慢さに陥らないように気をつける行為が結果的に、増長してしまうこともあります。

それ故に、適切な知識を持つ方が迷いが少なくなり易い為、仏教などの組織に加わる方が学びやすいのです。

エゴに増長しない方がよい反面、欲望に対して素直に従える方が冷静さを持つ場合があり、正しい感性の元で他者と関わっている部分もあります。

そのエゴに呑み込まれることを恐れてしまい、大胆な発想が持てなくなり、萎縮した解釈に閉じ込められやすくなります。

そして何より霊的進化が高まると、必要なことしか起きないことがわかるようになり、知性や感性がとても重要な役目だと感じ分けられるようになります。資質は「ある」と思って取り組むと良いもので、安堵出来る仲間たちが周りに集まるようになるです。

愛する力が霊的な力になるものです。

その究極的な根源的な愛そのものが自身そのものだと解釈が持てるようになると、発想が自由になります。

そして最初から、最後まで悟っているとすることで救い出せる知恵知識があるのです。実際に「悟っています」と宣言して、溢れ出すエゴを受容出来るとよいのです。

愛は、見つけることが出来れば、その時わかります。


お遍路歩きは、自身の純粋性を探し当てて、「愛されている」&「愛しています」という気持ちに包まれることが道になるのです。


いかがでしたでしょうか?

では、また。

リーディングマスター・まさみち。





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