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繋がりを感じる

リーディングマスター・まさみちです。
ふと、Instagramに日常風景をアップして記事を書いたら、とんでもなくなったので有料記事に変更して、読みたい人だけ読んでというものに改めました。
内容はまさみちの出生からのカルマのお話しになりました。

一緒にパン作り

リーディングの仕方など教える真人くんにカンパーニュのパン作り指導♪
彼は整体院をしていて、気の巡りなど読み取って施術に活かしている頼りがいのある後輩です。

妻の一声で、カンパーニュ作り!
奥様の麻由美ちゃんとも一緒になって作ってもらいました。
その時の奥様からの写真をいただき、「良い写真だな」と思って記事を書き始めたら16,000字越え。

真人くんとは長い付き合いであるものの、不思議と構ってあげたい存在で、何かにつけて世話を焼く私たち夫婦がいました。
全ての人が自分の投影である分身という解釈があるものの、どこか放っておけない感を彼を通して見てたのかも知れない。

そんなことを写真から感じました。
彼は彼で、全く違う概念や解釈で生きている存在かも知れないけれども、出会って繋がり合っているこの縁を大事にしたい存在である。

一期一会を大切に✨

そんな言葉を承知して、どれだけ気をつけようとしても、その気をつける心で問題を引き起こしてしまう世界がある。

自我が生み出す世界のなんと壮大で夢の世界なのかと思わずにはいられない時がある。

真人くんとのパン作り指導は何か不思議なものを感じたのです。✨✨✨
奥様の麻由美ちゃんの二人でキッチンに立てる嬉しい笑顔といったら「物」のプレゼントには得られない「大切な体験」を贈ることが出来たように思えてこちらも嬉しくなる。

発案したあなむちゃんに感謝しきりだ。

この記事を書き出して、「親しき中にも礼儀あり✨✨」
そんな言葉が浮かぶ。

とても大事なことでもある。

真人くんとは他人であり、血の繋がりなどないけど弟のように感じているところがどこかある。それでも彼は私には不躾な態度はない。

兄弟

私自身も弟であるし、真人くんも弟という立場だからか、「兄」というものはこんな感覚なのだろうか? と、体験したこともないけれど親しみ深さを感じる。
その「兄貴分」を疑似体験をさせてもらっているようだ。
真人くんは私自身の自我の投影であり、埋め合わすことが出来ない兄弟の何かを埋めているようにも思える。

親しみある家族や親族でも、ネガティヴで接触すると大変なことになる。
「身内だから許されるけど他人なら許されないよ」
とした表現をよく聴く。

「他人にはしないよ、する訳ないじゃん」

と分かっていても、時に他人を身内のように感じてしまうとついついが出てきてしまいネガティヴを放ち、知らず知らずに嫌われて関係が悪化するなんてこともある。私の人生はそんなものばかりだ。

親しいから見せた姿が、親しくても見せるとNGになるものがある。

学校や職場の人間関係で色々ダメになるのはそんな些細な「素」の部分を見せた時に関係が壊れる。

人間関係の溝

人間不信に陥るのは「許されると思っていたこと」が許されなくなった時が時間差で訪れる場合だ。

「大丈夫」     「楽しい」
「……大丈夫」  「楽しい」
「……まだ大丈夫」「楽しい」
「……もう無理!」「なんで?」

ってなる。

時間差でNGを出されると理解出来ないし、それなら「最初から無理!」と言ってくれたら良かったのに。
とか思うものの、そんな後から気づくことは幾らでもある。
人のことなど云えない。
自分も良くやってきたからだ。

末っ子で頭が悪い自分

私は兄、姉がいての弟という立場の末っ子で育ったからずっと頭が上がらない賢い二人の背中を見てきた。兄姉には解ることが、私には掴めない。
「197,いう通りにしなさい」とした言葉は助けだとずっと思っていたが、虐げられるネガティヴで関わられてきたことが意識レベルを計測することでかつての自分の座標が解る。
愛が伝わり合う関係なら「803,私に力を貸してくれている兄姉だ」と感じていた。

しかし、ずっと何か「197,うまく行かない感覚」がのし掛かり、人生に本気になれなかったまま燻っていた。生きている実感が掴めないからだ。

兄姉は、指摘するだけで答えを与えてくれないし、反論すると押さえつけてきたから、反目し合うことに自営するようになって対立した。
論理的に正しいことでも「197,納得できないもの」を置き去りにはもう進めなくなっていたから別の道を進んだ。

自殺なども考えた体験があるから「いっそ、死んだ身として生き直す」道に入ってみた。「死んでいる」から「生きよう」なんて思いも消失している。
「命があるなら出来る限りの変革を起こして行こう」
それなら、「未熟で置き去りにされた無視されて何もかも解らなくなったままの素の自分が納得できる道を行こう」として立ち上がった。

もう自分の心は置き去りにはしない。

と、ツラツラ「真人くんとのパン作り記事」を書き始めていたら、こんな具合に回想録になり、ここからズラズラズラって凄まじい分量の私の出生からのカルマや転生を股にかけた魂の課題とやらを解説することになっちゃいました。

文章をまとめ直していないものの、読みたい人は読んで見て。
「弟」とした立場の人は共感出来るかも?
また「兄から見て理解出来ない弟」という存在についても、役立つかもです。

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