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⑨「親近者」〜心と視座の眼差し力〜 №.17

リーディングという心の力を使うには、『視座』を学んでおく必要があります。

心は体があって認識出来るものです。

心の痛みは、体を通して感じられるものである為、肉体的な痛みとなる凝りや病などの症状をテーブルとし、その症状について席に座り検討し合う心の眼差しを「視座」と表現しているものです。

体はいつも心のことを観察し、よく捉え、知っています。

自分を知る為に、体に刻まれた心の思いを読み解く(リーディング)することが出来れば、自分を理解すると共に、他人も理解するようになります。

視座は1〜9まであり(正確には27)、基礎的な役割を果たして互いに議論し合い、体の声を心が聞き入れることで解放される思いがあります。

⑨親近者

1,力関係

受容的であり、服従的である為、周りが持つ力関係に従うだけの視座です。
自身の発言権などの能動的な思いは、育てられた力を信じ、周りによって打ち砕かれないたくましさが序列を決めます。

2,特徴

単独の視座では何も出来なくなる為、他の視座と繋がり関係性を維持している状態でないと、コミュニケーションが成立せず双方に混乱を与えかねない視座です。
連れ合う人(視座など)が、忍耐力を持ち、良好な関係を養おうとする意思を示す場合においてのみ、習熟が深まり反復練習の成果を示すことが出来ます。
見えないものを捉える力を有し、言葉に説明出来ない微細な感覚を表現する力を持っています。共感性が高く、許し続ける働きがあります。

3,能力

傍らにいて、共に体験することです。
いかなる時も離れず、話しかけてくれる存在が力そのものです。

4,性格

平和を愛し、争いや攻め込むこと、不快さや感覚などが狂うほど、状況判断能力が著しく低下してしまう視座です。
他の視座と干渉し合いたくなく、相手の言いなりになることを目的にするようになり、自発性を消失する価値観があります。穏やかに過ごしていれば、周りが何とかしてくれると期待しつつも、周りも自身と同じようにする為、指示されなければ動けない概念を形成しているものです。

5,変化

望み、望んだ時に力を発揮し、困難を乗り越えたいと願う時、それが叶い欲している情報を得られるようになります。
言われたままに従うことで、環境の変化を呼び込み、自然と共に一つになり、執着されていた概念を解放して自由になります。関わり続けることで、相手が自身を改めたいと感じられた時、世界はそれに応えてくれて動き出します。

6,適応

指示されたことを一字一句言われた通りに従い、実践し、反復して学習し、身につけられるところまで納得して、教えた人がいなくても大丈夫「出来た(教えた人と同じ感覚を掌握して見せられた)」と感じられた時、適応する力が育つ視座です。
指示したい内容を相手に伝達する時、相手が納得して実行に移し、習熟して独り立ち出来るまで、側にいて見守り続ける働きがあり、選択肢が見つからない時や、方法論が確立されていないものに出くわすと、それを解き明かすまで踏みとどまって思案し続けるような思いやりがあります。

7,価値

見てきたもの、聴いてきたもの、感じてきたものを全て覚えていて、否定することなく受け入れ、その膨大な情報を処理して納得しようとする視座です。
全てにおいて辻褄(つじつま)を合わせようとし、相対する働きや、相補される関係性などを相手が納得出来るよう与えたいと願う働きがあります。

8,未知数

全てを好意的に解釈して、真新しいものを迎え入れようとするものです。
あらゆる可能性を信じており、肯定的なものの見方をしてしまう視座です。

9,大切にしているもの

言葉を必要とせずに生きることです。解釈の限界を越えた思いを伝え合うことであり、「愛」という形容できない姿を見せる視座です。
存在そのものを受容し、心を繋げ合うことで生み出される創造性の美を楽しむことです。愛という見えないものを形にすることであり、自身を表現することです。

10,総合評価

全ての存在の隣にいて、いついかなる時も共にいて、何も語らず、何も聞かず、体験した全てを覚えており、嫌われても好きで居続ける「愛」の存在です。
何から何まで肯定しており、逆らうことなく受け入れており、自滅することさえ共にし、存在に気づくまで何度でもやり直しに付き合う「友」の視座です。

親近者の眼差し

親近者の眼差しは、全肯定するほど無防備で相手に対する完全な降伏と、服従を貫く視座です。中核的な存在であり、全ての視座の隣に居続ける切り離しても、切り離すことが出来ない普遍的なものです。どこまでも信じ抜き、あらゆる事情を受け入れ、否定することなくそこに留まる為、嫌われても嫌われたまま助けが来るまで心を動かすことがないものです。どこまでも無条件に「親しい」姿を見せ、「近しい」状態を維持するが故に、「親近者」と名付けているものです。

真心や純粋性といった、無条件とした関係性など度外視した発想を求められた時のみ、真実の思いとなる親近者の眼差しを機能させられるほど表現することが困難に陥り易い視座です。

どんな時にも見失うことがない視座であるものの、この永遠の傍観者とも扱える親近者の眼差しに力があると解ると、リーディングは成立するようになります。

神の愛とも、神の眼とも扱われるのがこの眼差しです。

自分に嘘をついた瞬間に、この視座は隠されて世界が闇に閉ざされる視座です。

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