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阿弥陀如来さまの力

リーディングマスター・まさみちです。五感から届けられる情報を言語化していく作業を徹底的に執り行い続けると、色んなものが「未言語のまま」であることがわかります。表現したことがない感性は、言葉として言い表すことが出来ない為モヤモヤしたままずっと心の奥底にしまい込まれてしまいます。それが誤解や行き違いとなり、伝えたいことが伝わらないミスコミュニケーションにも発展するのです。私はそんなミスコミュニケーションを正したくてカウンセラーをしております。

歩き遍路二日目です。

前回の四度目の区切り打ちで、足の裏に現れる水膨れに関するブロック(心の傷や認知間違い)は取り除いたと思っていましたが、冬仕様の靴にしたところ、厳冬の中での置き去りにされている想念が浮上してしまいました。

水膨れが増えてきて、リーディングとヒーリングが追いつきません。
痛みが伝えようとしてくれることは「苦痛からの解放」は「自死」や「安楽死」ではなく「関わる者全てが心を開き互いを信じること」だと気づかせていくことでした。耳を絶対に傾けようとしない人にも、聞く耳を持たせるための創意工夫を諦めてはならないことを伝えてくれていたようでした。

助かる気のない人たちは愛してくれている人さえも「責めている」「批難している」としか認識出来ないものですから関わりが持てなくなります。

それでも手を離すことなく「救済していくことですよ」と告げられました。

もちろん真理のレベルからは「誰もが救われており、何も行為することはない」と表現するしかないものでもありますが、それは悟った者にしかわからぬ表現ですので、価値などありません。大切なことは「苦痛があるなら和らげてあげたい」と自然に抱き、「楽になりますように」と祈ってしまっている無意識の自身の心の働きに気づく事です。

今日は七十八番札所・郷照寺にて阿弥陀如来さまにより「手放したいものを手放してくれるよう手伝ってくれる」LIVE配信をしました。

一時間ほどありますが、人様の救済されていく様子を見ることも勉強になると思います。これが「阿弥陀如来さまの力」とも云われるものです。

仏道は修行して精進して、己を律することと思うところがあるようですが、「何かしようとせずに行動していたらみんな幸せに成っている」とした生き方が答えのようなものです。

ただ自分を即身成仏として、今すぐ仏そのものとして自身を見つめた時、歪んだ解釈に気づき、愛されていた、必要とされていたとわかるとやり直すことが出来るように変わっていけます。

その小さな気づきから大きな気づきまで、あらゆる日常の中で生まれる衝突やトラブルなどの原因から真因を見つけ出し、根本的な勘違いを正していくと、それをサポートしてくれていた存在が「阿弥陀如来さまだった」と後付けで気づくようなものです。

だからわたしは仏教を学んでもいませんが、気づいたら私の内面で起きていた出来事が仏教に書かれて整理されているという感じなのです。

悟った側の立場からいいますと、「経を読むから悟れなくなる」というニュアンスで解説出来ます。現代仏教は学問であり、悟りを開く教科書にはなり得ないことがわかるので、そう伝えます。

ただ他人から批難されないようにするには学んでおいた方が良いものもたくさんあるようなので、学ぶと良いですが、学ぶほどに「師の誘導なしには」悟りから遠ざかることを承知で学んでおくことも大事です。

ここに来て、自分の書いた記事を読み直しても、「いいこと書いている」と自画自賛してしまうところがあります。

あみだくじのような発想はこの後の気づきで得られたものです。

脳波をシータ波にしている状態を支えている力そのものさえも「阿弥陀如来の力」くらいに想像していただけると「そんな科学的なものも?」という部分も包括するイメージなのが阿弥陀如来なのです。

スピリチュアルや心理学をかじり、脳波を「シータ波」にすることがとても大切であると学んでいる人はすべからく阿弥陀如来の恩恵の中にあるというものです。

脳波のことを「阿弥陀如来」と名付けているのであるなら、「阿弥陀仏に帰依すること」=「南無阿弥陀仏」という念仏が、即時「シータ波の瞑想状態に入り、日常の喧噪から離れ、静かに見つめ直してみなさい」といったニュアンスであるなら? と考えるとユニークな発想ですが合点がいかないでしょうか?

「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱えていると、脳波がシータ波に変わり楽々リーディングモードに移行出来るとでもイメージしていただけると良いです。とはいえ、唱えるイメージがシータ波に移行出来ると信じている状態でなければ効果は得られませんし、シータ波に移行した後に、事象について「阿弥陀如来さまなら何と対応するのだろうか?」と想像力を駆使して、より良質な発想へと転換出来るよう一体化(帰依)していくものです。

LIVE配信で使いました阿弥陀如来さまの力は、唱えれば身につけられるものではありません。
私自身は修行らしい修行はしていません。

ただ毎日が実戦の連続で積み上げられた結果のたまものです。

温泉に入れば、温泉の気と一体化するなど、日常の中に学びがたくさんあるので、全ての人や自然そのものを師と尊び、そこから「教わらずに気づく」にはどうしたらいいのかと考え抜いて行く作業でもありました。

脳波がベータ波よりアルファ波、アルファ波よりシータ波への移行が出来るように実践を重ねていくことです。否応なく即時にシータ波に至らなければならなくなるのが、「仕事」です。人と関わり、人様が一生懸命稼いだお金を頂戴するのですから、待ったなしに緊急事態からの救済が出来なければなりません。

「出来ない」「失敗したらどうしよう」などやっていられる暇はないのです。
「出来る」し「成功させる」しかないものです。

その全力投球して人と接していくことで、見えない世界を研究し尽くしていくのです。

その全てを阿弥陀如来さまは見つめてくださっており、力を貸し与えていてくれたと表現することが出来るのです。

脳波で解説すると、祈りや思考をアルファ波やシータ波にした方が良いのは科学的で当たり前の話になりますが、「阿弥陀如来さまが……」なんて表現するとそっぽ向く人は大勢いるものです。

物事を現代に当てはめて、比喩表現により本質を掴ませられるようにしていかないと、見えるものも見えなくなってしまいます。

是非、ご自身の力で「阿弥陀如来さま」と繋がってください。

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