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八十八カ所巡礼の旅の終わり・高野山

リーディングマスター・まさみちです。色々と雰囲気から物事の真実を読み解くことをしております。八十八カ所巡礼の旅も結願し、最後のご報告ということで高野山までやって来ました。
今回は、カウンセリングやリーディングレッスンをしている方々と共に、「高野山ワーク・手をたずさえて」と題して行って参りました。

八十八カ所巡りを振り返り

一年を五回に分けて区切り打ちをして八十八カ所巡りを果たして思うことは、「歩くことは生きること」に直結するものだとわかる。
歩くリズムが深層心理の問題を次々と浮上させて、様々な部分に故障という症状をもたらしてくれるものだと感じられ、奥深さを感じ入るものでした。
リーディングしながら歩き、心身の問題は全て胎蔵界における執着である為、祓い清めれば金剛界に至れるものであり、また金剛界における問題も取り除けば意識の世界は変革し続けるものとなる。
そうして結願まで果たすと、大体わかっていた三千世界の概念も、明確に判別出来るようになり、「三千大千世界とはこういうものである!」と体感を持って伝えられる状態に到った。

涅槃(ねはん)

これも結願当たりに、普段やっている状態が既に「涅槃」であるとわかり、「こういうことを指しているのか!」と感じ入るものである。
このレベルに入ると、他者と対話することが本当に少なくなるもので、「心の仕組みを解説するならば三度目には確実に伝えられる」ものである筈だともわかった。

高野山

真言密教の総本山である高野山に、結願のご報告に行こうという流れになる。
自分の本来の望みというものは他者の口からもたらされるもの。
妻が「お遍路歩こう!」と言い出すから、決定してこうして歩き切ったのである。
クライアントの一人が「高野山行きたい」と言うので「ワークでもする?」と、企画が立てられ、一緒に行く流れとなる。
九度山にある恵尊寺にも訪れ、空海の母の思いとも繋がる。
多宝塔という根本大塔の縮小版があるが、これの使い方こそ一般化した方が余程為になるのだろうと思う。

慈尊院・多宝塔

慈尊院は弥勒菩薩であり、空海の母親がどれほど信心深くあり、空海を助けていたかが読み取れた。「母なくして子なし」「子なくして母なし」という程に母子の繋がりの深さを感じると共に、今世は「その対局に立たされている人の思いから復活」が課題となっていることを痛切に感じた。

空海が何故に高野山を開いたかとリーディングで問いかけると「気が良かったから」とまっこと当然な回答が届き笑った。

八十八カ所巡礼の旅も、転生の旅も似たようなもので、救済出来ない者と出会うなら、その救済出来ない人の立場に立って救済の道を開くことが課題であるとわかる。

難義難所など、人生に多くの苦難があるように、お遍路の道行きでも有り得ない苦痛に見舞われることがあり、それを多くの人に助けられるなどして自身の生というものが一人では成り立っていないことを体感出来るもの。

それでも私のようにリーディングし、神仏とも繋がり対話出来ると、それ以上の課題や流れを知ることが出来、それをクリアすることに全力を賭しているだけである。これは過去世でも同じであり、時代を越えても「今を生きる」というごくごく当たり前に知れ渡っている理屈をどの意識のレベルで体現するかの違いかと感じた。

「空」や「無」などは既に到達しつつも、それを人々に感じさせることがここからの課題となっている。

高野山ワークは、Aグループ8名。Bグループ8名。一泊二日のワークであり、期待溢れるワークのプランにみんな楽しみにしてくれているのがとても感じられた。

いつもながら閃きでその場でワーク内容の詳細が降ろされてくる私の心境は「無」でしかなく、「その時になればわかるだろう」とノープランだったりする(どこぞのクリエイターさんみたいな感じだ)。

①大門・阿吽仁王像の穢れの祓いワーク

A・Bグループで話す内容は若干違うものがあるが、大門をくぐり抜けるには「真実を求め、嘘の生き方を辞める覚悟を持つこと」とした部分は共通である。
「穢れの祓いワーク」は、言霊によって参加者の意識の乱れを問いただして、身を引き締めるもの。
何しろ言葉に含まれる「はい、やります」という宣言さえも、虚偽が膨れている場合は筒抜けであり、速攻で正されるものとなる。

言葉に含まれる想念の全てが筒抜けであることは、当人さえわからないことが多い。よくよく感じれば「嘘ついているなぁ」という感覚はわかってくる。
わかる人は喋りながら自分の言葉が真剣味が含まれていないことに気づいて、意識を整えるのであったりする。

今回は高野山であり、今後のワークの始まりとしては乱れた気など残してもらっては自分自身が困る。

徹底して祓い清めてワークが始まる。

大門・仁王像


②根本大塔・胎蔵界大日来・胎蔵界脱出ワーク

根本大塔

実際問題、タイトルは決まっていたもののこの場所でどんなワークをするのか導く私の方が見当がついていない。それでも始めてみればやるべき事が見えてくる当たりがリーディングの凄さである。
1時間ほどしかないワークの中で、持って帰るものを与える必要があり、掴み取っていただくしかないものがある。
やった内容としては過去世で祈る自分と繋がることである。
かつて純粋に神仏などを信じて繋がっていながら、今世は繋がりが断たれている心の修復である。
これはとてもパワフルなものとなった。

根本大塔の中央には胎蔵界大日如来が座し、その周りに金剛界の如来が四体「阿閦(あしゅく)・宝生・不空成就・阿弥陀」座して見守るもの。

胎蔵界で未だに胎児のように出産前の意識の段階にある状態から、金剛界こそ自身の居るべき場所だと覚醒することが目的である。

阿閦如来は、導く言葉そのものに意識が合致してしまう心の働きのこと。
宝生如来は、自身がどっちに進めばいいか始めからわかっていることを信じられる働きのこと。
不空成就如来は、そもそも願いは存在して集まっていて、本来叶えられるべき創造する世界がどこにあるか知っている意識の働きのこと。
阿弥陀如来は、世界中の人々が自分の為に幸せであるべき導きをしてくれていると感じ取れる働きのこと。

意識の誘導と共に、全員が導かれて胎蔵界の中でも意識の柱が立ちました。
繋がり変化が訪れる瞬間は「おお!」と感じるのが良かった。

意識が駆け抜けて行く感じは、「繋がる」ことの大切な感覚を教えてくれるものでした。

③中門・四天王・自分の殻を破るワーク

夕飯をいただき、夜間のワークを用意していた。
積もる話よりもワークを習い、実践的に使えるリーディング能力を身につけられること。

中門・四天王

阿吽の働きがわかるものでなければ真理の探究など出来る筈もないが、参加した人たちはみんな識別出来るようになっており、四天王の使い方を告げると次々に課題を熟していき「問題の解き方」のコツ勘を手にしてもらう。

四天王は「東・持国天」「南・増長天」「西・広目天」「北・多聞天」という仏像が並んでいるものだが、ググっても意識の使い方などが書かれているものにお目にかかったことがない。

方角に対して意識の動き方が変わるもので、それをシンプルに四方に現しているものである。

悩みの方角と、解き明かす方角などを捉え、同時に意識することで引っかかっていた問題が解ける仕組みは教わってしまえば簡単であるが、教わってもうまく出来ない時にフォローが入るかどうか、トラブルからの改善が出来るかどうかが鍵になる。

ワーク中というのは意識が祓い清められていて、集中しやすくリラックスも出来る為、ワークがし易い。

問題は自宅に帰っても同等のことが出来るかにある。
四天王ワークは、些細な悩みを解決する方法手段を確実に手にすること。

みんな出来ており、リーディングへの取り組みが出来たようで良かった。

途中、眠気などの対応なども教えることが出来たし、人によっては言葉にしなくても意識を動かすだけで問題が消失してしまう体験なども起きた。
これは気の流れの滞りがなくなるだけで「悩み」というものは消え去るものだという本質に触れた人もいて良かった。

④西塔・共にめざめようワーク

一番のお気に入りになった場所が西塔でした。
ここは凄くいい。

西塔

気のいい場所でのグループワーク。
共にめざめる為の意識の在り方を誘導していく。
Aグループではボイコットする暴走するメンバーが出て、「どうするんだこれ?」と思いつつも、全て天に相談して然るべきタイミングで行動に移せ、全体にいい気づきをもたらせることが出来て良かった。

参加者の記事があるので、読まれてみてください。

個と全が一体であることを感じ直して、意識を繋ぐことが重要なワークの中で、全体から仲間外れになる個がいる。

仲良くなるには「仲間外れ」が必要な理論があるのが「処罰ありの秩序社会」があったりする。それを体現する出来事が起きたのは、目に見える形での暴走とその修復が行えたのは良かった。

Bグループでは、ギャン泣きする子が出てきたが全部吐き出させるとケロッと目覚めてしまえる産声みたいなものとなり、両日とも気持ちいい体験に繋がった。

⑤東塔・黄泉がえりワーク

東塔前から、弘法大師の御廟まで歩きながらワークすることをした。

東塔

西塔が金剛界で、東塔は胎蔵界が示されている。根本大塔は中央にあり、内外に胎蔵界と金剛界の両方が表現されている。

心の構造を建物を通して示しているものだが、意識を動かして感じ取っていくものであるだけに、手を合わせて参拝するだけに留めたり、般若心経を挙げて終わらすには勿体ない限りの場所である。

歩きながらイメージを抱かせて、それが「邪魔されているとしたら?」という通常想像しそうにもないものをイメージさせることで、自分の認知の歪みを正していくことをした。

「歩く」という移動は、その行為そのものと「思考する」ことの発想のマイナスさと、行為のプラスが認知の歪みに気づかせてくれるものとなる。

プチ歩き遍路のようなもの。

2キロちょっとの行程を歩いた。

観察すると面白く、隊列が伸びたり縮んだり、意識の持ち方によって前に出たり、ずっと後にいたりして、グループの行動の在り方が見えてくる。

意識が変われば並びも変わり、面白いことが起きてくる。

グループは個人セッションでは気づけないものを与えてくれる環境がいい。

一人ひとりにサポートして回り、テーマを通して自身のあるべき姿に還っていく。

⑥弘法大師御廟(ごびょう)・金剛ワーク

最後のワークは、御廟の前で大日来と繋がり、お題を与え解き明かして行くもの。
終われば次のお題を与えられ繰り返し解き明かして行く。
最後には「自分でお題を聞いて、自身で取り組みなさい」という領域まで導くもの。

自分で問いかけ、自分で課題を見つけ、自分で解き明かして「金剛」の心に至ること。

出来た人もいれば未到達で終わった人もいる。
それでもここでの体験は後々の自分との対話に役立ち、自分でも知らない自分の課題さえも見つけられるようになると、人の心は自分を頼りにするものではないとわかるようになる。

これが長けてくると、常に問いかけて愛に従う道を歩めるようになる。

自我に惑わされなくなり、生き易さが変わる。

Bグループでは母娘で参加した方もおられ、親離れ、子離れが訪れ、独り立ちへの卒業式があり、とても感動的なシーンに出会えました。

あっという間に駆け抜けるように過ぎ去った五日間でした(私たち夫婦は前日に入った為)。

取り組めば幾らでもワーク出来てしまう場所でしたが、厳選させてもらっての体験ワークでありました。

みなさんからの感想を伺うと、本当に開いて良かった。
私も導けるようになったことを実感できる日々でありました。

金堂・薬師如来

時間が前後するが、ワークに加えられなかった金堂がある。
どんなところか空き時間に拝観して、薬師如来と繋がり対話すると号泣する体験に至った。

自分が背負ってきたものを降ろすことが出来た。

この薬師如来は大日如来の変化版として意識するものであり、この薬師如来の技を身につけることこそ仏の道だと感じずにはいられないほど、問題の全てを解き明かすものだと感じる。

八十八カ所巡りをしている中でも、御本尊が薬師如来であることが多く、それだけ病気などからの回復が求められているものである。

泣いてスッキリすることなど、物事の本質を解き明かせると頭痛や腰痛が治り、上がらない手が上がったり、膝の痛みが取れるなど「心一つ」で痛みが消えるものなのだ。

ワークの中でも足の痛みを聞くなどさせて、聞き終えると痛みが消える体験をした人もいた。

やれば出来たりする。

もちろん、様々な条件はあるものの物事の本質がわかれば、ごくごく自然なことでしかないというのもわかる。

それでもこの金堂では泣くに泣いたという体験をこの段階でもするのだと驚いたものである。人の苦しみを背負い隠し持っていることなど、探していても見つけられないこともあると痛感するものである。

その時々、その場でなければ見つけられないものもある。

高野山のここでなければ、号泣して自身を受け入れる流れはなかったのだと思う。

最後に

高野山という真言密教の総本山と言われる場所に来て、マントラも何も捉えもせず、地道に自身の心との対話を誘導するものであるが、「真言を唱える」ことよりも、物事のメカニズムを言葉によって表現したい思いが自身の中に強くあるのだと感じた。

真言というものを唱えることの価値もわかるし、その一言がもの凄いパワーを秘めているものだとしても、そこに刻まれている文字の形ではなく、書き出した人の思いが現実を動かすものであると知って欲しい。

生きた言葉でなければ意味が無くなる。

けれども声を出して聞くよりも、文字に残して繰り返し見ることで学んだ気になる執着するメカニズムを今後どうしていくか、考えていかなくてはならないと思っている。

まずは私だけでなく、学び取りたい人が「目覚める」ことが重要なことだ。

大きな意識の飛躍が出来て本当に良かった。

空海と空海のお母さんとの世界が一区切りされ、新しい姿となってスタートした日になったと感じている。

新しい世界の幕開けを感じることになったのは面白い体験でもあった。

高野山に行く機会があるなら、各お堂の前でたくさん仏と対話してみて欲しい。今でも息づくものがある。

心を繋いでください。

読んでくださりありがとうございました。


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