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東アジアの歴史ー日本2

はい、日本はようやく弥生時代です。

ここで気づいて欲しいのは、前回の中国の場合、誰か国を統一する人がいました。


その統一者とともに「周」や「漢」というものができました。

が、日本ではそういう歴史がありません。


後になって、統一する人が現れますが、それで国名が変わったり決まったりするわけではないのです。あくまで、その人の時代という扱いですね。

縄文時代も、弥生時代も、土器の名前ですよね、それは、その土器の特徴とか一番最初に見つかった場所の地名から来ています。例えば弥生土器は今の東京都文京区弥生地区で見つかったんです。それが時代の名前になっています。

ここは、すごいポイントなんです。


他の国の人たちと文化的背景が違うのは、そもそも、

統一して国が変わるという概念が

日本の歴史にはないということです。


日本人の方、「当然」になってます。が、他国から見ると当然ではありません。

遺伝子はこの「当然」にかなり影響されています。

異文化理解の観点では、どうぞここにしっかり意識を置いてくださいね。


というわけで、いつからが弥生時代です、と言えません。

まあ、徐々に、徐々に、徐々に、

じょじょ〜に、(しつこい)

大陸からお米が伝わってきて、狩猟だけの生活ではなくなっていった、、、、


※日本列島各地にお米が伝わるのに、100年以上かかっています。


ほら、お米って年に一回しかとれないじゃないですか。だから、一回作ったら次は一年後なんです。つまり、一年に一回しか教える・教えてもらうことができなかった。それで天候が悪くてダメになっちゃったーとかだとその年はもう一年間お米が食べられない。

だから、狩猟にプラスして定住してお米を作るようになった。そしてその頃からを弥生時代と呼んでいます。


まあそうは言っても当時は、そんなにたくさんお米がとれなかったらしいので、お米だけで生きていけていたわけではありません。相変わらず狩猟もしていました。

画像はお米の伝来の図。


そして、紀元248年ごろ、

ご存知、邪馬台国ができあがります。

なんで卑弥呼が必要だったのか、それは、前回の日本史で書いた所とすこしかぶりますが、戦争に絡んでいるのです。

定住してお米の出来不出来が結構大事になって来た。

お米が不出来の時は、となりの集落に攻め入ろうかと考えるようになって来た。あるいは、水の奪い合いが起こるようになって来た。

そして、集落に長が必要になったのです。

集落の人々を束ねられる人を長として、集落は「クニ」を作るようになります。

その「クニ」をまとめるには、長よりもそれらしい大義名分が必要です。

そこで、なかなか多くの人ができないような神業ができるひと、つまり、神の声を聞ける人が選ばれた、それが、卑弥呼です。

うずまき神の声を聞ける人って、これからずっと先に出てきます。ずと先に出てきますったって生まれたのはその人の方が先なんだけど、生まれた場所は西アジアです。今は、あー、卑弥呼は神の声が聞けたんだなーと、覚えておいてください。神の声が聞ける人のことを人々は何と言ったでしょう、神様の子供とか言ったのかなあ。


ま、いいや、そして、

「クニ」は連合し、きまりをつくり、戦争はおさえられたのです。


ちょうど、

紀元200年頃は、中国は三国時代。卑弥呼のところには魏から金印が届いてますよね。

そうです、「親魏倭王」という、アレです。

まだ見つかっていないのですがね。

ここにまたポイントがあります。


これは歴史のポイントですが、

中国において一番偉いのは皇帝なんですね、で、その下が王。

つまりこの書き方は、あなたの方がわたしより下だよーということだったんですね。

当時それが認識されていたかはわかりませんが、送った中国側からすると、そんな意味合いがありました。


あー日本を書いていたら、

いつの間にか紀元前が終わっている・・・。次回からまた少し戻って、南アジアの歴史に参りましょう〜♫

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