見出し画像

東アジアの歴史ー日本

さて、項羽と劉邦が国を争っているころ、日本はどうなっていたかというと

弥生時代です。


ちょっと遡って、弥生時代に至るまで日本では何が起きていたのかを書いてみます。

イザナギとイザナミが矛をくるくるして島を作った話。それが、日本の始まりとされています。それから縄文時代という時代が来ます。が。

縄文土器を使っていたとか、木ノ実を食べていたとか、そういうのは少しずつ明らかになってるのですが、出来事がわかりません。


もともと酸度の強い日本の土壌は骨を溶かしてしまって、なかなか遺物が発見しづらかったのです。だから、貝塚のようなところからしか発見できない。貝のカルシウムが遺物保護してきたのですが、貝塚って今でいうゴミ箱っていうか、あのー、、

清掃工場なんですよね。

人の骨はあんまりゴミ箱に入れませんし、大事なものはお墓とかに入れますよね。多分当時の人の感覚も同じだったと思うのですが、だから、土器とか食べ物とか、生活のことはよく残っているんですね。

たまーに貝塚の中から人骨が見つかったケースがあるんですが・・・なあんか、イヤだなあ、ゴミ箱の中に・・自分だったら・・・ガーン・・・タラー・・・と思うんですが、


死んだ人を埋めたのを何年も経って忘れ去られて、その場所が貝塚になったというケースらしいです。


まあそういうことなら、、、っていうかそういうことが起きたから今縄文時代がわかってきていて、自分が死んでからどこに捨てられるかっていうのも子孫に残せるプレゼントかもしれないと思うと、少し夢がありますね。


それでも、かなり狩猟には長けていたと思われます。旧石器時代にはできなかったような、弓矢の技術が生まれ、イノシシやシカをよく獲っていたようです。矢尻が見つかっています。

人の寿命はどうも短かったようで、平均15歳、長生きでも30歳くらいだったらしい。


あなたの今日は、この時代の人たちがみることのできなかった景色、かも。



そんな感じで中途半端に縄文時代を終え、弥生時代にいきますね。

本当は、縄文時代ってすごく大事なんです。

なんでって、この時代、戦争がなかった。なぜでしょう。


ま、これについては次回アップします。

画像ね、弥生時代に出てくる残酷な遺体。。。


全身に15の矢じりが刺さったまま抜けなくなって放置されたんですね。山口県で見つかりました。


この遺体に関しては諸説あって、英雄だとか呪術師だとか戦いの犠牲者だとか色々言われています。が、人に矢じりを刺すことは縄文時代にはなかったんだと思うんです。なんだったんでしょ。何か不満のはけ口みたいなものも感じ取れるのはわたしだけかなあ・・・?


『歴史から平和が実る』という合言葉をもとにブログを続けています。ご自身のリーダーとしての未来を考えるきっかけが見つかりますように。 このブログでのリーダーの定義は「人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のこと」お役に立てましたら、投げ銭応援お願いします。