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ヨーロッパの歴史ー3

ちなみに3まで来て書くのもなんですが、例えば中国とか西アジアって紀元前2500年とかでてきたじゃないですか。インダス文明とか。残念ながらヨーロッパ地方、古代ギリシャはそういうのが残っていないんですね。全部伝説だと思われていて事実がわからないのです。


さて、どうでしょ、前回の終わりの問いについて考えてみましたか???聴きたいなあ。この、ブログという一方通行の情報発信のデメリットの部分が、双方向がないということなんですねー・・・さらに言えば、わたしは双方向の場を作りたい。双方向じゃないか、あらゆる方向だわ。むーonlineでやりたいなあ。。。ま、ここでつべこべ言ってても仕方ないので先へ行こう。。


はい、では。

アレクサンドロス大王は、そんな感じで紀元前334年からペルシア遠征(東方遠征)を始めます。前回載せたアレクサンドロス大王の絵は地図のイッソスというところでの戦いの時の絵です。

エジプトのところに「アレキサンドリア」という地名を見つけられますか?自分の名前を地名にしたのですね。

わかりやすい地図。

有名な人が活躍した時にはたくさんのわかりやすい地図が手に入る

たくさんの戦いを経て、アレクサンドロス大王は「地の果て」を目指します。そう、ディオゲネスとそんな話ししましたよね。アレクサンドロス大王が目指していたのは、統一でも征服でもなかったのかもしれません。そして、望郷の念に駆られた兵士たちとともに、約8年の遠征を終え、マケドニア(地図の、左上の、ベルラのあたり)へ帰る途中、アレクサンドロス大王は熱病により亡くなります。マケドニアはやがて、ローマの属国になります。


彼の功績はこの広い土地を制しただけではありません。遠征のたびに学者を連れて研究をさせていました。これが、のちに大きな大きな発見につながるのですが、これはまた今度。アレクサンドロス大王は勉強好きだったらしい。家庭教師がアリストテレスだもんなー。。。


さらに、

アレクサンドリアでは数々の優秀な研究者たちが生まれ、大きな図書館も建てられ、動物園や植物園も作られます。これだけの東方遠征をしたことで、人だけでなく文化も流れ出します。


仏教は最初仏像など作られなかったのですが、ギリシャ彫刻などの文化からインドではブッダの像が作られ始めます。


あらやだ、アナタ、、、

ちょっとイケメンじゃない(赤面)・・・ぶちゅー

ね、なんか、西洋的な顔の仏像でしょ。


アレクサンドロス大王の時代から次にこの地を支配するローマ帝国までの約300年間をヘレニズム時代というそうですので頭の片隅にでも。ミロのヴィーナスが生まれた時代です。


また、沢山の有名な学者もこのヘレニズム時代に現れています。いや、きっと有名な学者は古くからいたかもしれませんが、記される時代に生まれたということかもしれません。物理学者、幾何学者、発明家、解剖学者、、、、


ちなみに数学って神の言葉を理解するために研究されました。自然という神の言葉を理解するために数学を学ぶという感じ。そして数学を学ぶことで神とつながることができる、だから、昔は数学って神聖なものだったわけです。


さて、ここまで来てようやく、紀元前の世界をおえることができそうです。ま、まだまだ書きたいことも書かねばならないことも山のようにあるけれども、旧約聖書もひとまず終えたし。ひと段落。


インラケッチ。バイバイ

『歴史から平和が実る』という合言葉をもとにブログを続けています。ご自身のリーダーとしての未来を考えるきっかけが見つかりますように。 このブログでのリーダーの定義は「人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のこと」お役に立てましたら、投げ銭応援お願いします。