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いわゆるINTPとENFPの話


INTPとENFPの共存

こんにちは。
MBTI診断だとINTP(論理学者)とENFP(広報活動家)がよく出てくるSomaです。
ふたつのタイプが共存しているのは「INTPっぽい父とENFPっぽい母がいることが原因なのでは?」ということをちらっと別記事に書いたのだけど、あらためて考えてみても、両親の思考・志向・ふるまいはまさに私の中にあるINTPとENFPの典型だと思う。遺伝子的にも生育環境的にも影響を受けてきたんだなというのがよくわかる(むしろわかりやすすぎる)。
なので、今回はINTPとENFP的なエピソードとして両親の話を書き留めたい

⇩以前の記事はこちら

父と母は簡単に表現すると
INTP父:数学者になりたかった内向的理系男性
ENFP母:社交的で癒し系の外向的文系女性

である。
私はというと

内向的だけど社交的、文系だけど数学好きな女性

なのでまさに父と母がマーブル模様のように入り混じっている。

①内面をみつめるI、他者を意識するE・・・ごみ捨てはどんな服装で?

INTP父は、外に着ていくものにこだわりがない。
家の中では清潔で心地よくいたい、しかし外に出ていくときに着るものはぶっちゃけ汚くてもいい、最低限の形式(スーツ)さえ満たしていれば良いというスタンスだ。

ENFP母は真逆である。
家着にはこだわりがないが、外に出るときの服装にはかなり気をつかう。髪型や体型にも気をつかい、人に与える印象をできるだけ良いものにしようとする。

これが如実に出るのがごみ捨てのときで、服が汚れる可能性があるゴミ捨てを父は出掛けにスーツで行い、母は部屋着で行う。
価値観がまったくもって真逆なので行動も真逆となる典型的な例だ。

社交的なENFPは人前に出るときの自分の印象を気にするがINTPは気にしない。自分にとって一番いいものを外に向けるか、内にこめるかの違いだ。
例えば窓際にクリスマスのデコレーションをするとしたら、ENFP母は外に向かってデコレーションし、INTP父は「まったく、誰に見せているんだか…」とぼやくだろう。

私はよく言えば2人のハイブリッド、悪く言えば2極の中間にいる中庸な人間である。
思考を働かせるような作業が好きで、1人で内向的になりふり構わず集中する一方、外の世界に目を向けて人と関わるのも好きで、どう見られるかに気を配ってもいる。

父からは「お前はネアカだな(外向的だ)」と言われ、母からは「家にこもって集中できてすごいね(いい意味で内向的だね)」と言われたように、両親が私の中にパートナー寄りの側面を見出すことが2重性を強化した部分もあるだろう。

ちなみに外向的か、内向的かを生理的に調べるのにレモンテストというものがあるのだがまだ試したことはない。

②ロボットのようなT、潤滑油のようなF・・・感情情報の多少、火と水

あるとき、父に緊急の電話が入った。職場の誰かが一人、山登りに行って帰ってこないという。
万が一遭難していたら一大事である。
そんな電話を受けた後も、父はまったく表情を変えず平然としていたので、思わず訊いた。
私「その行方不明の人、知り合いではないの? 
  関わりのない別な部署の人?」
父「うーん、知り合いというか…」
そう言い淀んで首をひねるので(余程面識がない人だったんだな)と思ったのだが、次に出てきた言葉は
「知り合いというか、むしろ親友というかね…」
だった。
 
し、親友…
親友が遭難したかもしれない事態なのだったら、もう少しそれを表現してはどうだろうか???

父曰く、
「感情に出しても状況がよくなるわけではないから。それに常に最悪のことを考えて冷静に心の準備をしているからね。取り乱したりしないよ」

いや、別にこちらも焦ったりドラマを演じたりして欲しい訳ではない。ただ世の中には人間らしさの感情規範というものがあって、それに沿った感情表現がないとどうしても不気味に思えてしまうんである。文脈が読みづらい、予測しづらい、情報が足りない。つまり、人は感情という情報を頼りに色々と判断していることが多いのだ。
なのにF(感情)が弱いタイプは、その重要な情報を外に漏らさない。
漏らすほどないのか、わざと隠しているのか、たくさんあるけど鉄面皮が厚すぎて漏れてこないのか……
こういった感情情報の不足は、ネガティブな勘違いを誘発することが多い。私が「父は遭難した人の生死に興味がないんだな」と思ってしまったように。

数年後、大学生の私は似たようなタイプの人と出会って、感情表現の不足によるミスコミュニケーションを実感した。
ある飲み会に参加した際、そこにいた1人の男性の態度がやけによそよそしく冷たく、ENFPモードの私は「なにか嫌われるようなことをしてしまったんだろうか」と気になった。
けれども後からきいたことには、その人は私のことを嫌っていたわけではなくむしろ気に入っていたらしい。気に入りすぎてシャイになっていたというのだ。
私は首を捻った。
好意がこんなにも表にでないことがあるのだろうか…?
そして好意を隠すことになにかメリットが……?

私は何度も「皮肉ではなく?」ときいてしまったが、共通の知り合いは「そういう人じゃないから。素直で不器用な人なの」と言っていた。
そうなのであれば、無意味に鉄面皮すぎるのである。好意があるけれどシャイになってしまう、という可愛らしいところが垣間見えればこちらからの印象としてはプラスポイントになりうるのに、消しすぎてマイナスになっている。

確かに私もINTPモードのときは自他の感情に重きを置かないし、感情表現に無頓着だ。「ロボットみたい」と言われることもある。それはINTPとしてなにかに集中しているため、”感情”の処理にエネルギーを割かないからである。そっちは厄介なことになるのがわかるので一旦蛇口を締めてしまうのだ。
例えるなら、集中は火であり、感情は水である。物事に集中して火力を高めるときに、水っぽさや湿り気はいらないのである。


けれど、ずっとそのモードなわけではない。人前ではスイッチが切り替わる。そして一度ENFPモードになると価値観が一変する。
火があるわけではないので、感情の蛇口を緩めさせることができる。
感情は流れるままになり、むしろもっと流してやれ、になる。血が体中に巡るように感情が絶え間なく循環する
そうするのが自然で、悪影響もないから。
ENFPにとって感情は”処理”するものではなく、流れさせるのが自然なもの。そして好意は最も隠さなくていい感情である。なぜなら好意はすべての潤滑油だから。

ENFPの母は、まさにそんなTHE・潤滑油的な存在である。

あるとき、母が電話で仲良さそうに話し込んでいた。すごい感情のこもりよう、盛り上がり。時間も長い。数十年来の友達かな…と思ったときに電話が終了した。

私「今の誰? 随分盛り上がってたけど」
母「えーとね、本当はあなたへの電話なの。
  ◯◯ゼミナールっていう塾の勧誘」
私「え、営業電話…?!」
母「色々話が盛り上がっちゃって」

営業電話でそんなに親しげに話すことあるだろうか…?
父やINTPモードの私だったら「要りません」ですぐシャットダウンしてしまうだろう。時間の無駄だし、下手して何かを買わされても嫌だからだ。
でも母の場合は違うのだ。相手を単なる営業電話と捉えず自分に話しかけてくる情のある他者として捉える。会話相手に貴賤はないのである。

いろんな場面で彼女は人と仲良く話をし、友好な関係を築く。他人に対して壁がなく情感が溢れ出ている。感情の蛇口を開けっ放しであることに慣れているのだ。(INTPが締めがちな感情の蛇口を開けっ放しにする勇気……そこにINTPはしびれる憧れる…のである)

またあるとき、都内に来ていた母はカフェで一休みしようとした。
店内は混んでいて路面に張り出した少数のテラス席しか空いていなかった。目立つ席だなと思いながらも座っていると、「ここいいですか」と他人と相席となった。
「ちょっと待って、カフェってあそこの角の?」
と話をきいていた私が思わず口を挟んだ。
「そうそう」
「隣に座ったのって強面にサングラス、足元には犬を従えた御仁?」
「そうだよ。よくわかるね」
「…あそこのテラス席ね、その人の所定の席なの。私も毎日通って見かけてるけどいつもあの席にいるんだよね。」
「そうなの? じゃ、急におばちゃんが陣取っててビックリしただろうね」
「あの人、ちょっと迫力あって怖い印象だよね。只者ではないというか。隣に座ったなんて凄いね。何か喋ったの?」
「うーん、少し喋ったというかね…」
母はその人と交わした会話について教えてくれた。
都心に娘がいて会いに来ていることを話し、相手の職業について聞き、ちょっとした悩み相談をし、相手から深遠なアドバイスをもらった……

少し喋ったというレベルではない……! がっつり喋ってる。
まるで五箇野人さんの海外旅日記のような出会いではないか。

ENFPにかかると、どこでも出会いの場となる。(恋愛的な意味ではなく)

おそらくENFPにとって感情の出てくるところはただの蛇口ではなく、プールのための蛇口なのである。水を張って人を受け入れるため、プールの中の水を快適に保つために、蛇口を開放しておくことは意味があるのだ。

私のENFPモードのときもこれに近い。
このモードで世を渡っていると、出会いがそのへんに出現するので便利である。水のあるところに人は集まるのだ。

しかし、母の域にまでは行っていないが……

③共存するための共通項・・・NPの独特な寛容さ(全員違う星の住民)

相違する部分を書いてきたが、彼らの共通する部分としてNP(直観と知覚)がある。MBTI界隈でもよく話題になるようにこの直観型と知覚型の組み合わせはおおらかで柔軟な印象がある。よくも悪くものびのびしていて、細かくも規律に厳しくもない。

INTPとENFPの両親は「人間としての善良さ」が唯一の規範で、それ以外のことについては逸脱しても受け入れる傾向があり、どちらかというと理想主義者(idealist)な夫婦であった。

価値観や行動が異なるのでしょっちゅう喧嘩になるが、最終的に相手のすべてを否定はしない。相手は自分とは別な他人、それを尊重しましょうという姿勢がある。「どちらも同じように人間で2人それぞれの価値観で比べればどちらも変人である」という意識があり、それが共存の土台になっている。どちらがより正しいか、という正当性の取り合いにはならないのである。

それに対して、SJが強いタイプは「どちらが正しいか」において喧嘩になるのをよく見かける。

おそらくSの世界では、皆同じ世界にいて、多かれ少なかれ同じルールに従っているからだろう。肉体感覚を中心にして考えれば確かに正しいのである。誰でもお腹はすくし、睡眠の必要があり、それを管理する制度やリズムをともにしている。そこから発生してくるルールを守らなければ、体を守ることはできないだろう。こういった共有感覚により一つの基準の遵守を強化していく。こういった肉体感覚とその希求性を中心におくSの世界においては、ヒエラルキー形成や正当性の優劣がつきやすいのも特徴だろう。Sは職人やアスリートが多いが、彼らの世界には厳格なルールや実力差、上下関係がある。

それに対してNはむしろ違いや可塑性に着目しており、それぞれ違う世界にいるかもしれないという感覚がある。女は◯星人、男は◯星人、というフレーズがあったが、性別によらずすべての人が異なる星に生きているかもしれないのである。精神的には地球の肉体に縛られておらず着想(ideal)の世界に生きており、可能性が∞である。(Nがちょっとトんでいる印象があるのはこのためだろう。リアリティがないのが彼らのリアリティなのである)

NPの寛容さというのは、彼らが観念的に生きているゆえの寛容さ(茫漠さ)なのである。

父も母もどちらかというと真面目な仕事についているため、「躾が厳しかったでしょう」「勉強させられたのでは?」と言われてきたが、実際はそうでもなかった。観念的に茫漠とした世界観のNPは、規範主義的な細かいしつけは不得手なのである。
それは私が「本当に幸運だった」と思う点である。もしNPの子供とSJの親だったらどうなっていたことか……。

親と反りが合わない、という友人の話を聞いていると、だいたい子供がNPが強いのに親がSJが強い事が多い。そういった場合、たいてい親は自分の子供を信じがたいぐらい怠け者と思うようだし、子供は子供で意味もわからず叱られて困惑しながらも自分を貫こうとする。

とても興味深いのが、典型的なNの子は典型的なSの親の言っている意味がさっぱりわかってないところである。なぜ叱られているのか見当がつかないのだ。Sの親は「ねえ、わかるでしょ。普通はこうなのよ」と感覚的な叱り方をし、Jが「とにかくこう動きなさい」と行動を教え込む。けれどもNPは普通の感覚がわからないし、それに従わなければいけない観念的な説明がないと次のときにも動けない。Nは概念にして話してもらえないと腑に落ちないのだ。しかしSとしてはそんな子供は「何度言ってもわからない」「鈍い」「動きが悪い」ように思えてしまい、余計に叱るというスパイラルになる。
そんな衝突を繰り返して次第に子供はNらしく、「私は親にとっては異星人なんだわ」と思うようになる。「違う星の人間だからわかりあえないのも仕方ない。でも、できる限りは相手に合わせてあげよう」
そうやって折り合いをつけたりつけられなかったりして、自分と異なるタイプへの免疫を鍛えつつ自分らしさをより磨き上げる。

性格というのは親の遺伝や育て方の影響を受けるものであるが、SJの親から生まれてNPの子に育つということほど個人的に強い個性を感じることはない。コンクリートに咲く花のように、「どこから種が?」「どうやって育ったの?」と思ってその奇跡やたくましさに驚嘆するし、それこそ枠を超えていけることの証左のように見えて、尊敬の念を覚える。

「母親には感謝しているけど、クラスメイトだったら友だちになっていないだろうな、あの女とは……」
とつぶやく友人の、その今までの道筋を思って、私は尊敬せざるをえないのである。


ふたたび、INTPとENFPの共存

INTP父とENFP母の生き様、成長、夫婦としての共存の仕方は、私にとってまさに自分自身の人生の鑑である。

それぞれの性質の得意な点、不得意な点を私は両親のエピソードを通して理解している。

年をとるにつれてどのように成長するのか。
どのように不得意な性質を手懐けるか。
どのように自分とは異なるタイプと共存するのか。
を目の当たりにして学んでいる。

特に、INTPとENFPの平和な共存が、両親の姿として目の前に繰り広げられていることは、自分の多面性を理解して受け入れることの助けになっている。








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