見出し画像

わがまま

暖かい布団にずっと包まれていたいが、暖かい布団から起き上がるのが遅くなった休日は頭が重い
ちょうど良いものはない

押しつぶされそう、何に?
分かんない
現実に?やるせなさに?空気に?風圧に?期待に?それとも期待されなかったことに?
他人の期待ではなくて、他人の私への期待を自分で勝手に見積もって、その勝手な見積もりの期待に見捨てられたくなくて、自分で勝手に課した、自分への期待
多分、今、その人たちは、私のことなんて微塵も考えてないのに、その人たちからの架空の期待に対して、自分が自分で自分を苦しめている

何者かになりたい、何者でもない、何者かでいたい、このままじゃだめだ、このまますすめ、止まるな、泣きそう、むかつく、ダメ人間だ、このままでいたい、このままでいたくない、早くどっか行きたい、逃げたい、見栄張りたい、認められたい、完璧でいたい、完璧にはなれない

承認欲求なんてめんどくさいものなんで持ってるんだろうか
でも承認欲求によってこの世にたくさんの素敵なものが生まれている気もする
承認欲求が生まれなくなるほど承認された人はどんな気持ちなんだろうか
そんな人はいるのだろうか
承認欲求は歪んでいて自分勝手でみっともない
そんなふうに思ってたらいつか承認欲求に裏切られる気がしてきた
宗教のない私たちが神の代わりに縋っているのは承認欲求かもしれない


なんやこいつ、って思った日の帰り道、人は誰だってなんやこいつ、という面があるわけで、私もそうだっていう当たり前のことにふと歩きながら気づいた
なんで20年以上生きてて気づいていなかったんだろう
私のなんやこいつな箇所はなんなんだ、大体わかるが、直し方は分からない

あいつが悪い、って思った日の帰り道、あいつと私の立場が入れ替わったところで、あいつの悪い部分のせいで生じたトラブルは回避できてたかも知れないけど、他の全く違うトラブルが起きてたかもしれないなとぼんやり思った
なんですぐ他人が悪いと思ってしまうんだろう
全ての源泉は己にあると自分に言い聞かせてるのに、まだ人格者にはなれない

人の振り見て我が振り直せ
でも我が振りと人の振りは違う、我が振りが周りに許されるのに人の振りは文句を言われることもあるし、逆も然り

口を開けば文句ばかり、考えるのは自分のことばかり
人間だからそんなもんでいいやと自分を許しながらも、なるべくそうじゃないように振る舞っている日々
しょうもないことばかりだけどしょうもなさを受け入れてひしひしと生きていってそのうちしょうもなくない何かになれますように、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?