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私の母親は変わっている。
と思いながら、でもその根本が何なのかわからず、今まで生きてきた。

自分が大人になって、いろんな人と接して、母親と離れて何年も経って、母という存在を客観的に1人の人間として見れるようになってきて、やっと分かったような気がしている話。本当かどうかは分からないし、いつか母親とこの話をするのか、しないままずっと生きるかも、分からない。

母は、たぶんLGBTQのどれかで、誰にも言わずに生きてきたのだと、今、私は思っている。
そう考えれば長年の母の言動に説明がつく気がする。

母は、性に対してすごく興味を持っていて、でも同時にすごく拒絶をしていた。

私は小1の時にはどうやったら子供ができるか知っていたし、ジェンダーという言葉も知っていた。学問的な性に関することは、母から、かなり早くからしっかりと教えられていた。

一方、恋愛ドラマや少女漫画は一切見せてもらえなかった。テレビで少しでも恋愛や男女の話が出てくるとすぐに消された。

小学生の時、母は私の性別が女であることには一切否定をしなかったが、私がジェンダー的に女であることはほとんど許さなかった。髪は男の子にしか見えないベリーショートを強制させられ、伸びたら無理やり床屋に連れてかれたり、切られたりした。服は、スカートやピンクの服は買ってもらえなくて、基本男の子のような服しか与えられなかった。たまに祖母や親戚にもらうワンピースなどのかわいい服は貴重なのですごく大事にしていた。男の子のような服の中でもギリギリ女の子っぽいように見える紺や黒や茶色の服ばっかり着ているうちに、いつしかそれが好みの色になった。おかげで小6まで見知らぬ人には絶対男の子に間違われた。

記憶にある1番最初の反抗はランドセルだ。そんなにピンクが好きではなかったけど、ピンクを否定する親に負けたくなくて、絶対ピンクのランドセルがいいと反抗した。その甲斐あってピンクのランドセルを手に入れたけれど、そもそもそのピンク自体はそんなに好きではなかったので、しかも毎日少年のような服装だったのでピンクのランドセルが似合うと思えず、結局ランドセルの色は6年間好きになれなかった。

中高生になり、服も自分で選んで買うようになっても、結局女の子らしい服というのに馴染めず、服はいつもボーイッシュだった。髪は反動で伸ばした。恋愛的なことはいつも否定された。

強いバイアスのようなジェンダー観で縛り付けられた一方で、他のことに関してはすごく自由で放任だった。
どんな部活に入ろうとも、どんな進路にしようとも、休日何をしていようとも、特に口出しされなかった。あまりにも遅いと心配されたものの、門限もなかった。三者面談で担任が何かマイナスな話を言ってもあとで怒られることは全くなく、むしろネタにされていた。

母と父はどう頑張っても恋愛感情や男女の関係が過去にあったようには見えなかった。母は父に対して冷たかった。あまり仲が良くはなかった。でも、仕事の話や社会情勢の話、ご近所さんの話ではたまに盛り上がっていて、それは男親同士の会話のようだった。

少し前まで、母のこういった数々は、母の貞操観念の高さによるのかと思っていたが、そう片付けるのにも違和感があった。母はあまり貞操観念が良くなりうるほど育ちが良くないし、母の母、つまり祖母は正直どちらかというと下世話な話が大好きなタイプだ。しかも母は他のことに関しては全くの放任主義だ。また、母は性に関する大学の講義をWEBで聞いたり本をたくさん持ってたりして、学問として性にすごく興味を持っていたように見えた。

母のこれらの事象は、母親がLGBTQの何かだと考えたら説明がつく気がした。
性への興味は、自分が何者かを追求したかったが故の関心の高さ。
娘たちがジェンダー的に女であることへの否定は、自分の幼少期と違うことへの戸惑いや、自分から生まれた存在が内面も女であることの違和感。(私も妹もノーマルだ)
父親に対する態度は、対象外の相手と行為をした嫌悪感と、人生を共にする相手としての尊重。
(祖母は田舎の昔の人という感じで、「結婚して子供産んでしっかり育てて孫の顔を見せるのが女の役目!」と思っているようなタイプなので、母はたとえ父が対象外でも子供を産んで育てないといけない状況になるのは、十分想像できる)

わたしの予想が合ってるとしたら、母の抱えてきた事の大きさはなんとなくしか想像できないし、想像はできても共感はできない。でもすごく大きいんだろうな、と思う。母は苗字を変えていなく、それを誇りに思っているが、それは保守的な考えに対する母の反抗かもしれない。

そんな母のアンバランスで不安定な性の捉え方に振り回されながら育った私と妹は、性格は全然違うものの、貞操観念と、恋愛において重要な感情が何か欠けたまま育ってしまっている。ただ、それについて私も妹もあまりマイナスに思っていないので、母のことを恨んではない。むしろ、今になっては、個性を与えてくれて感謝している節もある。でも、親の言動が子供の何かの欠乏にこんなにもダイレクトに繋がるのかというのを実感して、自分が将来子供を育てることへの恐ろしさを感じてしまっているのはある。

最後に、これを文章化して公開するのは母のプライバシーに関わるかもしれないから迷ったけど、母が何者であるかは母が周りに対してどう振る舞うかで決まり、私の憶測では何も変わらないわけだし、私はこれを言語化して自分が何者かをすこしクリアにしたかったし、頭の中でグルグルしているこれを一旦どこかに置きたかったので、文章にすることにした。
もし、私の母を知る人が読んでいたら、そしてもしこの文によってバイアスをかけて見てしまうのであれば、あくまでも私の憶測に過ぎないことと、フラットに見ることをお願いしたいです。

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