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私、性格ねじ曲がってるんで。

私と交流のある人は薄々気付いているかもしれないが、私は性格が朗らかなやつではない。
何かにつけて思うことが多いし、それを口に出してもしまう。

社会不適合者、とは違うと思う。それなりに馴染んで生きている(と思いたい)。
でも、世の中の物事に、会話の端々に、何かを思わずにいられない。そういう性格なんだと思う。

でも、自分の中に庭があって、その庭に入った人に対しては全く何も思わなくなる、という性質もある。
本当に自分の友人に対してムッとしたことがあったとしても、本当に寝たらその感情を忘れてしまうし、もはや何にムッとしたかも忘れてしまう。

そんなやつが写真を撮ったら、どんな眼差しが自分の中に産まれてくるのか、未だに自問自答する。

でもどうやら、カメラを通して世界と向き合っている時間、そういった難ある性格が隠れてしまうっぽい。自分でも思うくらい、写真が柔らかいのだ。

中判フィルムを最近始めた。
それはもう良かった。
Hasselblad500C/Mの限定的な操作性、例えばウェストレベルファインダーや、レンズシャッターの限界など、そういった要素が尽く好転していると思った。

GFXも大好きなカメラだが、私の眼差しが写真により濃く表れたな、と思えた。

この感覚で写真を撮り続けたい。

フィルムを再現するということは、
もちろんフィルムネガの色味やコントラストを再現することもあるが、
こういった限定性を暴力的にも持ち込むこと、
それゆえの眼差しを浮き立たせる何かをトライし続けることなのではないだろうか。

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