日記『パスタすら作れない』(20220418)

  • 今週末に英語のアレが控えているのでなるべく英語の勉強をしている。狂いそう。英語を勉強する意味を本当に見いだせないので。

  • 今までは私が興味を持っていることを興味のままに追いかけていれば人生どうにかなってきた。高校受験はどの教科も簡単だったし、大学受験は苦手な科目を得意な科目で押しつぶせる配点だった。けど私が受ける院の配点の英語比率が笑っちゃうくらい高い。お前はどんな学生を求めているんだ。もっといろいろ問うべき事項があるだろうってくらい。

  • あまり好きでない勉強をしているせいかちょっと心がダメな方向へ向かっている。

  • 昨日本屋を巡っている時に、「教養のための」とか「ビジネスエリートのための」などをタイトルに冠している本が生理的に好きでないという旨のツイートをした。ただ生理的に好きでないというのも野蛮なのでどんなところが好きじゃないかを言語化して、せっかくだしそれを日記の題材にしようと思ってメモ帳にいくらか書いてみたのはいいのだが、並べられた理由があんまりにも幼稚で論理的でないので、こんな内容のものをインターネットに投稿してはならないと考えてやめにした。

  • 「社会人になると自分のための時間が割けなくなる。その隙間の読書に実用性を見出そうとする心理が病的」みたいなことを書いてたかも。おそらく私が必要に駆られた学習を詰め込んでいたからそんな考えになったのかもしれない。なんと的はずれな。ただ、読書を経て成長することはあるけれど、成長を目的として本を手段として採択することは、悪いことではないんだろうけど、思ったより効率が悪いのでやめたほうがいいとは思う。遅効性ですよそれ。つまり本を読んだことの効果は遅効性であるのに、即効性を煽るようなタイトルをつける精神が気持ち悪い。実益とか気にせずに興味関心のままに選ぶというのが読書においてはかなり大事だし、そういった本の方がじんわりと心を熟成してくれると思う。

  • なんか、一日置くと表現がマイルドになってきた。カレーとおんなじかもしれない。

  • 「自分が良いと思った文章は、届くかはさておいて、この世の誰かが共感してくれるだろう」と思っているし、そんなモチベーションも一つの要因で日記を書いているけど、逆に自分でもウッとくる文章は同様の論理でボツにしないときまりが悪い。

  • 心の栄養が不足しているので久々に料理を大失敗した。3coinsで買ったパスタメーカーでパスタを作ろうとして、2人前のパスタを作るつもりがそのパスタメーカーは1~1.5人前で、1.5人前の水の量と温め時間でパスタを作ってしまった。ここで味見をすればパスタの芯が残っている状態であることに気づくことができたのだが、疲れているとその工程すら忘れてしまう。パスタすら作れない人間になってしまった。早急に治療が必要である。どうしよう、心の栄養。YouTubeとかニコニコ動画とかTwitterでも心の栄養は得られるけど栄養価が偏っている。こいつらはカップ麺やスナック菓子と同じ系列だ。もっとこう、調理に手間はかかるけど美味しくて体にも良いもの、体の芯まで染み渡る、野菜と鶏の旨みたっぷりスープのようなものを取らないといけない。

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