日記『たっぷんたぷん』(20220427)

  • インスタで本の写真をストーリーに上げたら、小学校の頃の同級生から「京都のどこに住んでるの?」って聞かれた。曰く勤務先が京都になったらしい。

  • とは言えすごくないか。人の居処を聞くってかなりすごい行為だぞ。私の嫌な部分に触れたわけでは一切ないが、なんかすごいなって思った。どうしても私の脳裏には「どこ住み?てかLINEやってる?」の定型文が頭に浮かんでしまう。

  • そいつは最後に会ったのが多分成人式とかで、特に連絡を取っているわけではないので2年半ぶりの会話である。自分も将来就職して実家を離れて新天地に行った際にはやっぱりそこに住んでる同級生とかと連絡取りたくなるものなのかな。そいつは中高大一貫だったので、新天地に対する不安感はよりいっそう強いのかもしれない。

  • 思えば京都に越してから高校以前の同級生で京都に住んでいる大学生と交流したことがない。これは単純に私の地元から京都の大学に行くなら、基本的に下宿という選択肢が採られることがないからだろう。そもそもそれに該当する人が全然頭に浮かんでこなかった。

  • 昭和の映画では別れのシーンといえば駅である。汽車が出発し、その列車を追うヒロインの構図はどこかで見たことがあるかもしれない。歌だと木綿のハンカチーフが有名だろうその当時連絡手段にスマホはおろかインターネットも無かったような時代なので、その別れはほぼ今生の別れのような意味合いを持つ。最近は連絡手段が増えて世界中どこでも繋がれる時代になったので、別れの演出として「君の膵臓をたべたい」や「余命十年」といった「死」を用いることが多いらしい。それはあんまりにも直接的すぎやしないかい。

  • まあとにかく、かつては上京というのは今以上に人生における一大イベントであったわけだが、かと言ってそれは今でも一大イベントであることに変わりはないだろう。今は他人事。

  • 夕方に新歓に行った。「新入生側」として「四回生」が。かなりアウェイな気がしなくも無いが、新入生や部員の人とはすごく楽しく話せた。やっぱり音楽という共通の言語でいろいろ話すのは楽しい。面白かったのは同級生の知り合いが新入生側で参加してたこと。なんでそこでダブる人間がいるんだよ。

  • さらにその後自分の所属するサークルの新歓ライブに見に行ってセッションにも参加した。外出して人と会うのがもう2週間ぶりとかなのでなんか底が浅くなった幸福のツボがたっぷんたぷんになった気がする。

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