#8977

  • 午後12時に起床。ドエライ悪夢を見た。授業中に火事に見舞われる夢だったけど、登校するときに友達が「今日絶対火事に遭遇するから学校にいかないほうがいい」って言ってた。

  • 「読んでいない本について堂々と語る方法」を読んでいる。第一章では未読の諸段階について書かれていて、読んでいないにも色々あるよねって話をしている。確かに我々は、読んだ本と言えば一文字たりとも漏らさず理解している状態であると暗に考えてしまい、それ以外を未読だと認識しちゃっている。そこにもきちんとグラデーションが存在していて、それぞれの地点についての向き合い方について書かれている。

  • このアドバイスは有益だがハイレベルでもある。I.1 全然読んだことのない本 の章では、本と向き合う際は「全体の見渡し」という概念が重要であると指摘している。つまり、諸々の本はひとつの全体を形作っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができる、教養ある人間が知ろうとつとめるべきは、個々の書物が他の書物と取り結ぶ関係に関心を寄せるべきであり、個々の書物そのものではない。言いたいことはわかるし、書物に限らずこの姿勢は大事だと思う。ただ、これを実現するためには、ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体を把握した上で、その関係性を把握しなければならない。このとき、大部分の書物を読んでいないことは何ら障害にならないと作者は述べているし、その次の段落での主張がこれを補強しているが、要求しているレベルが高い気がしてしまう。

  • そして、この本の作者はフランスの精神分析家なのだが、この本のアドバイス(抽象)を補強するためのエピソード(具体)がずっとフランスの小説やスピーチが出てくる。それらのエピソードの背景は、私のようなフランス小説の関係性に詳しくない読者にとってはかなり読みづらくて目が滑る。もしこの読みづらさが意図されたもので、この本もタイトルの対象たる書物であるように誘導しようとしているのならばすごいなって思った(作者の人そこまで考えてる?)。

  • エピソードだと私はまだ1章しか読んでいないが、I-1~4 のうち、このタイトルを実践している例は I-2, I-4 の subsection で、I-1, I-3 はフィクションの登場人物の実践例である。それって結局フィクションじゃないの? って思った。とりあえず3章のタイトルがめちゃくちゃおもしろそうなのでそこまで読んでみる。

  • 他は野菜たっぷり塩ワンタンスープとご飯2合を食べてさらに爆睡してたら一日が終わった。明日から平日やだ~~~~~!!!

これちょっとおもしろすぎる


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