日記『人の日記』(20220423)

  • 昨日はずっとジャズセオリーを読んでて、今日はずっとボカコレを聞いていた。2020年以来の長い外出自粛だけど、私は外に出られなくなって最初の数日は音楽で糊口をしのぐらしい。そこから先は完全に無気力になって何もしなくなってしまう。おそろしいね~~~

  • 多分音楽のインプットは出来るけど、アウトプット(私の場合は演奏)の機会が相当限られてしまうからかもしれない。寮の部屋の中でトランペットは流石に演奏できない。トランペットの音量を基準としてアンプを繋いでヘッドホンをつけたエレキギターならセーフだろうと思ってたけどちゃんと苦情が来た。世知辛いぜ。

  • そのアウトプットの機会の一つに作曲があり、最近はこれについて勉強してる。理論書を読むのは昔に比べると苦ではないし、そこで得た知識を手持ちのバンドスコアを見ながら、ここってこうなってるんだって思うのが楽しい。メロディとベースラインとコードも耳コピできるようになったkど、個人的にはドラムが一番耳コピしにくい気がする。どうやって身体を動かして演奏しているのか未だにちょっとわかっていないところがあるからかも。あと、garagebandに限らないけど、他の楽器と違ってプリセットが組まれていることが多いから自分で楽譜を用意する必要性が薄いのもあるかも。メジャーなパターンは自分の手でも打ち込めるようにしたい。

  • その点ではボカコレはそのモチベアップになる。高校生くらいの年齢の人がスゴイ作品を生み出しているのを見ると、スゴイと思うと同時に羨ましく感じる。若さが羨ましいかというとちょっと違う。彼らのもつ可処分時間が羨ましい。そりゃ私も作ろうと思えば出来なくもないけど、そのためには必ずなにかを妥協あるいは失うことになる。いい大学に通うメリットの一つに「安定性がある」というのがあるけど、安定性があるから自由にはっちゃけられると思うか、安定性を死守せねばならぬと窮屈になってしまうかどうかは本人の性格次第な部分がある。私は前者を羨む後者だ。これは何度も言っている言葉だが、留年そのものは羨ましくないが、留年を許容してくれる環境や家族があることはとてもうらやましい。付け加えるなら、留年することで得られる(あるいはそれまで得ている)可処分時間が羨ましい。

  • ジャズセオリーを読みつつ久しぶりにSoundQuestに訪れたら昔とくらべていろんな記述が増えてて、結局最初から読み返しちゃった。見る度に便利になってるけど確か既に完成版だったような気がする。最初に知った時はβ版だったので感慨深い。

  • ボカコレで良かった曲の感想のメモを期間が終わってから放流しようかなと思ってちびちびためてる。ニコニコ動画の埋め込みははてなブログだとうまいこと機能してくれないのでずっとHTMLを弄っている。そっちで手を動かすようになるとドンドン構造がわかってくる。MarkdownとかTeXとか、とにかく手を動かして試行錯誤するのが好き。そしてその結果がなるべくすぐ返ってくれるのが好き。生物を用いた実験はスパンが長すぎて気が遠くなっちゃう。これは「いらち」なのか?

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  • 研究室ではPythonを使うらしく、今日は久しぶりに時間が空いてるのでABCに参加した。昔はずっとC++を使っていて、その名残でC++の性質を前提にコードを書いて何度もWAを出してしまった。カスみたいなパフォが出たが、元々全く参加してなかったのでカスでもレートが上がった。C問題で初めてbit探索を知った。こういう新しい知識を仕入れると楽しくなっちゃう。

もっと出場せんかい
  • 研究の時間もプログラミングの時間も音楽の時間もその他趣味の時間も全部ほしい。けど時間以前に体力がない。無尽蔵の体力ほしい~~~

  • PCR検査の結果は陰性だった。京都市だと検査の結果の証明書出るまで2~3ヶ月かかるらしい。TOEICの返金申請一週間後なんですけど。明日素知らぬ顔で受けに行っちゃおうかしら。

  • 友達がかなり不定期だけどnoteで日記を書いてる。今まで結構な量の日記を公開していてあまり気づかなかったけど、他の人が書いた、Twitterでない、それなりに長い文章を読むのは結構楽しい。でも逆にこの日記読んでる人で楽しいと思う人間って知り合いだろ、とも思ってしまう。ネット上でのみつながっている「知り合い」の距離感ってどうなんだろう。私の場合はTLで流れてきたフォロワーの日記は読む。なんならnoteとかはてなとかでいい文章を書くなあと思ってフォローしたりもする。

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