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言葉の軸足

秋田県の『のんびり』の編集長をさせていただくようになってから、地方から何かを発信していくことについての講演やワークショップの依頼、果ては、地方のものづくりやブランディングなどといった大づかみなテーマで、何かを相談されることが多くなってきた。

僕は編集者なので、あくまで「編集のチカラ」で問題解決する方法について、お話させていただくのだけれど、そんななかで最近避けて通れなくなってきたのが、「編集」と「デザイン」の違いについて。

僕は、編集者という職業を説明する時に、監督、なかでも映画監督の北野武さんを想像してもらうようにしている。原辰徳監督は「ここは、いっちょ俺がいくか!」つって代打で出たりしないけど、北野武監督は主演したりもするという点はもちろん、自分とは違う職能を持った人たち(役者さんやカメラマンさんなど)の助けなしにはカタチに出来ない不完全さ、つまりは自らも選手だったという自負などないゆえに、各職人さんへのリスペクトがわかりやすくあるところが説明にちょうどいい。でもって、ここで僕が言いたいことは、一方デザイナーさんは、この場合監督ではなく職人さんじゃないかなあ? ということ。

デザインという言葉がここまで流通し、認識されてきたことの素晴らしさを実感する一方で、「デザイン」って言葉がどんどん曖昧模糊としてきていることは、そろそろなんとかした方がいいんじゃないか? と思う。「グラフィックデザイン」や「プロダクトデザイン」でいう「デザイン」と、「地域デザイン」や「コミュニティデザイン」などという時の「デザイン」は、ちょっと意味合いが違うよね、という認識はあると思うのだけど、そこについて言及しない空気はなんだろう? この際、はっきり言ってしまえば、前者は「デザイン」で、後者は「プロデュース」だよね。ちゃうかな?

でもそれが「地域プロデュース」とか「コミュニティプロデュース」ってなった途端に、若干の胡散臭さが付きまとうから、やっぱり言葉の使用目的にあわないんだろうな、ってことも、なんとなくわかる。さらにこれが「地域プロデューサー」とかになると余計怪しいもんな(あくまで個人的な印象だけど……)。

そこで思うのは、僕たちがこういう広義な言葉を前にして持つべき態度は、その言葉の軸足をはっきり自覚することじゃないか? って思いはじめた。「広義」が「狭義」を内包する関係性じゃなくて、しっかりした軸足の意味と、そこから描く弧が届くところの意味。そんなイメージ。

そう考えて「編集」と「デザイン」を整理しなおしてみると、とてもわかりやすい。

「編集者」の僕は、雑誌や本を編集するという、みなさんのイメージ通りの軸足があって、そこから描ける弧が「ブランディング」や「地域プロデュース」のようなものに触れていくのだろうし、「デザイナー」の軸足は、やっぱりもってプロダクトだったり、パッケージのグラフィックだったり、そういうみなさんのイメージ通りのデザインという軸足があって、その弧が描く先が、同じく「ブランディング」や「地域プロデュース」に触れていくのだ。そこが被っちゃうからややこしいだけで、それをまっすぐ「編集」だとか「デザイン」だとか言っちゃうのは、やっぱりもって雑だと認識しました、いま。

だから「編集」と「デザイン」って言葉の軸足はまったく違うんだけど、そこから描く弧が触れるんですよ。って説明すればいいのか〜。と以上、自分のなかで納得出来たというだけのこんな戯言、公開していいのかな?

ま、ええか。

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