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バイソンという穴。

 バイソンという、けたたましい語感のままに、その集落はあった。地鳴を響かせ建物を揺らす巨大な動物を、和製アベンジャーズたちがあの手この手で抑え込み、高揚感に満ちた武者震いを土地に鎮めんとしている。なんだかそんな神事じみたイベントだった。

 バイソン(梅村)とは、廃屋ジャンキーこと西村周治くん率いる、廃屋改修集団「西村組」が手がけた集落で、神戸の山の手というよりは、斜面に位置する兵庫区梅元町の廃屋9軒を改修したあたらしい概念の村。…のようなもの。昨日、そのお披露目を兼ねた『オープン集落』なる村開放イベントがあったので行ってきた。

 足を運ぶとはうまく言ったもんだと、逸る気持ちに左右の足を交互に乗せて坂道を進んでいくと、ようやく「バイソンはこちら」と書かれた看板が現れた。程なくして辿り着いた僕を最初に待ちうけていたのは、「穴」だった。

 何かの比喩かと思うほど、露骨に不毛な穴が出迎えてくれて、僕はその時点で既に来てよかったと思った。だって僕はまさに穴を見にきたようなものだったからだ。穴があれば埋めたくなるのが人間だけれど、この穴を掘ったのもまた人間だ。不毛さという謙虚さの果ての愛しさに触れるために今日僕はここへやってきた。そもそも廃屋とは人工物と自然のせめぎ合いの過程に過ぎない。つくっといて、放ったらかしといて、またつくりなおしといて、という巡り巡る不毛なリングフィットアドベンチャー。穴はまさにその象徴のように思えた。そこに意味があろうとなかろうと、それを求める必要もない。とにかく、そういうものに身を委ねたかった。つまりは疲れていた。

 バイソンはたくさんの人で賑わっていた。巨大な生き物の鼓動が心地よいバイブレーションとなって、来る人の心を知らず震わせ、体温を上げている。あ〜これだ。これこれ。懐かしくもあり、未来的でもある。沸き起こる懐かしさの所以は普遍的なものだという確信と同時に、個人的な記憶ともつながった。まだ20代で世の中を知らなすぎた僕のつたない企画書から生まれた『artbeat』というカオスなアートマルシェイベントを思い出したのだ。

 いまは現代美術作家として活躍する淀川テクニックの柴田くんと出会ったのもartbeatだった。IRとかいう人間の業のスクラップみたいな施設をつくるとかつくらないとかで話題の大阪舞洲で、2001年に開催したartbeat。そこで「お金がなくて……」と新聞紙をキャンバスに絵を描いていたのが柴田くんだった。彼を面白いと思った僕は、会場を百貨店に移した二回目のartbeatで、白いキャンバスに巨大な絵をライブペイントしてもらったら、通りすがりの外国人の方が、数十万円でその絵を買ってくれた。あれは僕にとっても大きな出来事だった。

 その後、柴田君はまたしても「お金がなくて……」と、淀川の漂着ゴミを素材に作品を作り出し、さらにまた「お金がなくて……」と、淀川の河川敷を勝手にアトリエ兼ギャラリーにしていた。阪急電車に乗って梅田に向かう途中、淀川の橋を渡るたびに目にしていた彼の作品は、そのうち誰か美術の世界の偉い人の目にとまったのだろうか。いつしか彼は、あの頃と変わらずゴミを素材にした作品をもって、立派な現代美術作家になっていた。

 廃屋ジャンキーも漂着ゴミアーティストも、僕にとっては同じ「穴」のムジナ。不毛な穴の周りを走るリングフィットアベンジャーズ。

 賑やかなバイソンで一人、エモい気持ちになる。そんな思い出に包まれたからきっと、目にうつるすべてのことはメッセージ。と、過去と未来の狭間で、紛れもなく今この瞬間を謳歌するその歌声は、どうやらユーミン。

 アトリエ、ギャラリー、茶室、蔵を使ったライブハウスなど、なんでもありな村のなかに、一癖も二癖もある出展者たちが溢れていて、とにかくカオスなのだけれど、それらすべてが自分の真ん中に根を張っているので、触れあってもぶつかることはない。それはきっと、表現する欲望じゃなく、裏返った謙虚さが互いのリスペクトを生んでいるからだ。そうだ、この空気をこそ、僕らは切望してたんだ。あまりの充実に、僕はコロナ禍のさまざまにまで合点がいって、人知れぬ安心感に満たされた。そうだ。そうに違いない。触れあい振れあうことの枯渇のためにコロナはあったんだ。僕は、僕たちは、コロナのおかげで、以前よりも確かな実感を持ってこの振るえをポジティブに受け入れている。身体が、精神が、この振るえをこんなにも望んでいる。

 神戸の町を一望できる共同茶室があり、僕はそこを見るのを楽しみにしていた。なにより、そのしつらいや展望の気持ちよさを支える、床が抜群に素晴らしい。シンプルにかっこいいんだけれど、何が良いかって、そこにある「隙間」だ。

 見ての通り角材を組み合わせたようなその床は至る所に隙間があって、普通の施工なら「床としてどうなんだ?」と、一言いいたいおじさんが無限に現れるやつ。だけど僕はこの隙間が最高にイカしてると思った。マジかっけー。そして実際そこを歩くのが超気持ちいい。

 床の隙間は、つまり、穴。穴は隙間。そこに埋まるものが何かではなく、そこに埋まる空間があることの安心感と高揚感を感じながら、眼下に神戸の街を望む茶室で、心のなかの両手を広げた。Let It Go ~ありのままで~「穴と隙間、高揚」というタイトルでディズニー映画にしてくれ。

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