見出し画像

忘れっぽいは最大の武器

僕は昔からいろんなものをよく忘れる。
傘や携帯などのモノはもちろんのこと、風景や、食べ物の記憶なんかも、結構な感じでどこかに飛んでいく。

これはもはや記憶障害なのかなと思ったりもして(おそらくそれはそうだと思うのだけど)、あらためてこの僕の特徴は、決してわるいことばかりじゃないな、いや、それどころか僕の根幹となるとても重要な能力だなと思ったので、書いておきたい。(忘れないうちに)

僕はツイログというサービスを使って自分の過去のツイートをアーカイブしていて、たまに見るのだけど、なかなかの感動とともに呟いているそのツイートの記憶が全くないということがしょっちゅうある。

日本中、さまざまな地方に伺い、その度に美味しいものをいただいてきた僕は、再び訪れた町で、ここにはどんな美味しい店があったっけ? とツイログを使って、過去の自分のツイート検索してみるのだけど、上述のとおりゆえ、出てきた呟きが既に僕から切り離された「情報」に変化していて、つまりは食べログを見るような感覚でその店に再訪してみたりしている。

✳︎

デジカメの隆盛を前に、写真をプリントすることやアルバムにして残すことの啓蒙に必死になっていた10年ほど前、僕は写真をアーカイブすることの価値についてこんな風に言っていた。

写真は、年数が経つほどに撮影者のパーソナリティに紐づいた記憶が薄れ、最終的には、撮影時のファッションや建築、文化など、当時の文化風俗の重要な記録になることに、思い出以外のもう一つの大きな価値がある。

その際に想定していた僕のタイム感は100年とかそういものだったんだけれど、情報化社会がここまで進んだいま、100年待たずとも(特に僕にいたっては)、たった数年で記憶が記録へと変わっていくのかと我ながら驚く。

とにかくそんな調子だから、僕はその結果、人よりも多く感動しているように思う。だって、初見と同じテンションで、

うめーーー!
きれーーー!
すげーーー!

と心底叫んだりするのだ。そりゃあ代々のアシスタントに注意される。
「ここ前も来ましたよ」それはそれはクールに。
「これ前も食べましたよ」もはや心配な目で。

けれど僕はそのうちこれを自らの特技とした。言ってみれば開き直りかもしれない。けれど、僕にとってはそこそこ切実な問題なのだ。ポジティブに転換しなきゃ、妙な悩みになる。忘れモノはどうにかしなきゃと思うけれど(何度ホテルに電話したかわかんない)、感動体験を何度も味わえるのはマジ幸福でしかない。そして僕は何より編集者だ。そして僕が思う編集は情報の整理ではない。常に感動のシェアだ

✳︎

最近読んだ養老孟司さんと山極寿一さんの対話集「虫とゴリラ」(毎日新聞出版)のなかで、山極さんが先輩に「お前は何を聞いてきたんだ?」ではなく「お前は何を体験してきたんだ?」と、つまりは情報ではないものを語れと言われたというエピソードがある。まさにこれは僕の信条でもある。あくまでも個人的で特別な体験や感動を、いかに共有できるものにするかという手段こそが、編集者にとっての情報化だ。

忘れっぽいというのは編集者にとって最大の武器かもしれない。とはいえ、事象を淡々と伝えるタイプの書き手や編集者もとても大切。例えばうちの編集者の竹内厚などはまさにそういうタイプで、手前味噌ながら僕はめちゃくちゃリスペクトしている。

竹内くんと初めて会ったのは彼がまだエルマガジンという、関西の情報誌の編集者をしていた頃で、お互いにまだ20代だった。ある時、僕が自費出版的に作った『PARK』というアートブックの出版記念イベントに、20代にして既にエルマガジンの副編集長になっていた彼を呼んで一緒にトークしたことがある。その時僕は壇上で、自ら作ったアートブックに対してこんな思いを込めたとか、こういうことを伝えたいんだとか、いま思えば暑苦しいほどに思いの丈を語っていたのだけれど、竹内くんは、日々、僕なんかよりもよっぽど多くの情報を発信しているにも関わらず、「僕には伝えたいことなんてない」と言い切って衝撃を受けた。

ここから先は

459字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?