見出し画像

「声」を「声」のままに。

秋田の木版画家、池田修三さんの日記を読んでいると、修三さんがいかに読書家であったかがよくわかる。僕もなんとか修三さんの思考に追いつきたいと、日記に出てくる文献をチェックしてはAmazonでポチる日々。

そんななかの一冊、棟方志功の『板散華(はんさんげ)』。これがとてもよかった。なんだかドキドキするほどに独特な文章で、棟方志功という人の野生がありありと伝わってくる。僕にとって「正解!」とも言うべきテキストは、こういうものなんだよなぁ、と強い嫉妬をもって改めて思う。

と、書いている僕はいま、長野県上田市へと向かう列車の中にいる。上田市に住み、美術の大衆化に尽力した山本鼎(やまもとかなえ)という版画家について調べるため。いまここで、山本鼎の偉大さについてつらつらと書く気はないけれど、一つだけ、山本鼎の大きな仕事を紹介するならば、児童の自由画教育がある。

いまでこそ、子供たちの自由な感性で、それぞれが好きなように絵を描くことが、なんの疑いもなく奨励されているけれど、彼が「自由画教育運動」をスタートさせていなければ、僕の娘でさえ、図工の時間に、黙々とお手本の絵を模写し続けていたかもしれないのだ。

大好きな横尾忠則さんも、子供の頃は大好きな宮本武蔵の絵本を模写し続けていたわけで、もちろん模写という行為が悪いわけではないけれど、上手に模写出来た絵が100点で、手本から外れたものは0点っていうわけじゃない。模写が得意な人も、自由に描くのが得意な人も、どちらもよい。

話を戻して、文章だってそうだと僕は思う。僕たちは子供の頃から、数々の良い文章を読む機会を与えてもらって、本当に幸福。しかしその先で僕たちは、うまいこと書くという、なんだか模写的精神からずっと逃れられないでいる気がする。

生活者や庶民の戦争の記録を残さねばと、1968年に発行された『暮しの手帖』96号特集「戦争中の暮しの記録」。そこに寄せられた文章の間違いを、編集長の花森安治さんは最初、綺麗に直そうとしたけれどやめたそうだ。生き生きとした庶民の文章が、どうも面白くなくなったと。

僕がいま『のんびり』を編集するなかで心がけていることは、取材対象のみなさんの「声」を綺麗で上手な「文章」にしてしまわないことだ。生活者一人一人のなかにある、棟方志功のごとし野生をそのままに、「声」を「声」として届けたいと思っている。だからってただありのまま載せればよいという訳じゃないから難しいのだけれど。

『板散華』のなかで、棟方志功が師と仰いだ河井寛次郎の言葉が紹介されている。

「創る仕事になってはいけない、頼る仕事を目指すのが吾々の念願ではなかろうか。」

河井寛次郎が棟方志功に言ったこの言葉をもって棟方は救われたというが、僕自身もこの巨きな言葉に救われる思いがした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?