見出し画像

高知からJASRACは生まれないと思うんだ。

 最近、権利というものについて考えることが多い。これまで経済成長を支えてきたもののベースには、明らかに「囲い込み」があって、その既得権益みたいなものをどう確保するかについて、みんなが頭脳戦を繰り広げている。昨日も、

 生徒の演奏「著作権料は不要」 音楽教室訴訟、JASRAC一部敗訴

 そんなタイトルの記事をみて、そりゃあそうでしょ。と思ったけれど、よくよく記事を見てみると、今回の裁判において生徒ではなく、講師の演奏については取り上げられず、つまり、著作権料の支払いを課される教室側の敗訴は変わらないとのこと。

なんだそれー!と思った。

 生徒が演奏する分は著作権料取らないけど、先生が演奏するのは取るよ。って、それが同じ場所空間での出来事なのに、いったいこの矛盾をどう捉えているんだろう? そういう想像力に蓋して、現場混乱させる癖やめてほしい。ほんと日本の司法って……

 そもそもこの裁判は以下のとおり。

JASRACは2017年、JASRACが管理する楽曲を使った音楽教室について、受講料収入の2・5%を徴収する方針を発表した。
 これに対して音楽教室を運営する約250の団体や事業者が「レッスンで使う曲の選択に影響し、日本の音楽文化を損ないかねない」などと反発。「JASRACに徴収権がないことの確認」を求めて提訴した。

朝日新聞デジタル

 実にまっとうだと思う。

 JASRACは音楽をなんだと思っているんだろう。音楽家をどういう人たちだと思っているんだろう。いかにもミュージシャンの利益を守るというふりをしているけれど、音楽というものの本質や、音を楽しむということの当たり前の権利について考えないんだろうか。

 仮にそれで作詞家や作曲家の権利が守られるのなら、そういう作り手の人たちはいったいどんな人たちか考えてみてほしい。音楽教室で使用したい楽曲というのは、その多くがみんなが演奏したくなるほど売れている曲の作り手だろう。それほど売れている人ならば、各種動画で音源は使われるし、カラオケでも歌われるし、権利を行使すべきところできちんとその権利と伴う収益が確保されているはずだ。にもかかわらず音楽教室における音楽の使用にまで著作権料を徴収するなんて、結局は、JASRACとしての収益確保にすぎないと思う。そういうとJASRACの収益が減っているように思われるかもしれないけれど、CD が売れない時代でなお、JASRACの収益は横ばいだという。それはまさにYouTube動画での使用など、あらたな使用が増えているからだ。それでもなお、音楽教室から徴収するのは、僕は余計に納得いかない。

 また、一目見ただけでは、音楽教室における著作権料は不要と見えるタイトルを各紙が使用しているのはどういうことだろう? これってまた忖度? 安倍総理以降メジャー化した「忖度」という言葉。この概念マジで消し去りたい。マスコミの闇、深すぎる。きっとこれもまた結局はお金の論理なのかな。

 この1週間ほど、ずっと高知県に滞在していた。僕が大尊敬する高知のデザイナー、梅原真さんは、高知の特徴を「お金はないけど底抜けに明るい町」だという。

 老若男女、とにかくみんなで飲んで、もてなしまくる「おきゃく(宴会)文化」はじめ、高知のウェルカムな空気はとにかく魅力的で、僕のような旅人気質な人間にとってもとても心地がいい。

 梅原さんが「底抜け」というのは、いわゆる経済指標的なこともかかっていて、高知県というのは、沖縄とともに、不動の最下位ツートップ。3位の鳥取県とは数字の桁が違う。つまり底も底だし、もはやその底も抜けているのでは? というはなし。

ここから先は

468字
この記事のみ ¥ 200
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?