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『Culti Payという、やさしい革命』〜取り戻す旅とRe:Standard Booksについて〜

目指すはローカルの小さなワイナリー

 おかげさまで好評をいただいている #取り戻す旅 この一冊をお届けするべく、立ち上げたレーベル『Re:Standard Books』は、僕が地方を旅するなかで出会ってきたワイナリーやクラフトサケなどの小さな醸造所がイメージ。

まだサイトもなにもないけど。

 自然の恵みをベースに、出来る限り素材を無駄にすることなく、身の丈に合った量を醸し、美味しく飲んでもらう。その販売営業に全力を注ぐというよりは、目の前のお酒を醸すことにこそしっかりエネルギーを使う。そのためにも適正な価格で買っていただく。
 その一杯があることで幸福な時間が生まれ、やがてそこに集う人たちが増えていく。そうやって、無理なPRや過剰な宣伝ではない、能動的な認知からそのお酒を知った人たちは、酒質の変化や、その出来不出来までをも、全部丸っと愛してくれるようになる。
 そんなレーベルに醸成させていきたい。

自著専門レーベル

 そういう版元であり、レーベルになっていくための、もっとも素直なやり方は、僕が書く本しか出さない自著専門レーベルだと考えた。僕というパーソナリティを理解してくださることが、このレーベルを愛してくれることにつながる。それが一番というか、それ以外できないと思った。
 僕は編集者として、幾つかの本を作ってきたけれど、同業の仲間たちをみるに、その数は決して多くはない。それどころかかなり少ない。それは、僕が僕なりの本づくりと、そのペースにこだわってきたからなのかなと、振り返って思う。

 なにかと属人的なものが否定されがちな世の中だからこそ、汎用性の無さや、非効率性を僕は全力で肯定したい。僕は僕のやり方で、黙々とRe:Standard、新しい〝ふつう〟をつくっていこうじゃないか。そんな宣言のような一冊が、新著『取り戻す旅』だ。

多様性を取り戻すために

 以前、『ニッポンの嵐』という本を編集した時に、嵐のニノと対談をしてもらうべく、宮崎駿さんのアトリエまでお話を伺いにいったことがある。その際、宮崎駿さんは、自分たちが続けてきたアニメづくりの作法にこだわるジブリという組織のことを「一軒くらい下駄屋が残っていてもいいじゃないか」と表現して、痺れた。僕もそうありたいと、強く思った。

 生産性とか効率とかそういった言葉が正義だという世の中は僕にとってはとても生きづらい。だからこそ僕はそこと距離を取りながら生きてきた。だってそれだけが世界のすべてではないのだから。この時代に下駄で歩くどころか、一本歯下駄で歩くくらいの気持ちでいることが、世界を生きやすくするコツなのかもしれないなと思う。「ふつう」とは実に多様で豊かなもの。

管理者側の論理に対する違和感

 僕が世の中に対して違和感を感じる瞬間は、そういった多様さがなくなっていると感じる時だ。本来あってしかるべき多様性がなくなっていくのは、すべて管理者都合によるものだ。なにかと均質化しようとしたり、統一したりしていくのは、スーパーの野菜のように管理しやすくするためだ。そうやって規格に収めないと流通させられない。そのロジックを否定するつもりはないけれど、それが正義だと振り翳してこられたら黙っていられない。そこにある矛盾に目を瞑り、規格外野菜を大量廃棄する世の中を肯定できるわけがない。それをも正義だと思わせたいのはいつだって管理者側の論理。飼い慣らされてたまるかという謎の精神が僕の腹の中にはずっとある。

 僕自身、小さいながら会社組織を立ち上げ、社長業をしなければいけない立場でありながらも、心底、社長業が向いていないなと感じるのは、とにかく人を管理するということが苦痛でしかたないからだ。うちの会社には出社という概念もなければ、それぞれがいったいどんな仕事をしているか把握すらしていなくて、それでも各自が会社にお金を入れてくれていると信じているだけ。良いもわるいもそういう会社になっているのは、僕のせいだ。
 悩みの多くは人をコントロールしようとするときに起こる。そもそもコントロールなどできないものをコントロールしようとするのだから、ストレスがたまるのは当然だ。現代人はそれがより恒常化してしまっている。だからストレスを解放する一番は、生き物を管理することなど諦めることだ。

信じるという余白。

 僕がワイナリーなどの醸造所を目指しているのは、そこにもポイントがある。あくまで人間目線ではあるけれど、微生物たちがもっとも動きやすい環境を出来る限り全力で整えて、あとは祈るのみ。という醸造家のみなさんのその余白を僕は愛している。尊敬する杜氏さんなど、美味しいお酒を醸す醸造家の方ほど、「なぜこうなるかわからない」という部分を無闇にわかろうとせずに抱えている。完全にコントロールできるなどという奢りが、この世の中に蔓延しているからこそ、農業や発酵の世界がいまとても大切で大きな意味を持つのだ。

 以前、ミシマ社の「ちゃぶ台」という雑誌で、編集発行より編集発酵という内容の原稿を書いたけれど、単なるダジャレを超えて、その思いはずっと変わらない。

日本初のデジタルバンク「みんなの銀行」

 組織においてルールや規則が過剰になっていくのは、管理者がそのストレスを減らすためだ。ルールをつくり、規則に従順にさせるべく、飼い慣らしていく。しかし、その仕組みをつくることこそが利益の増大につながるのが、我々の生きる、資本主義社会であるというのは、とてもやっかいだなと思う。資本家と労働者が存在する以上、貧富の差は縮まらない。

 諦めと希望の真ん中にたゆたい、ぼんやり世の中を眺める日々のなか、人口減少が大変だ大変だと騒いでるおじさんたちをみていると、その論理は、つまるところ労働人口の減少という話で、まさにそれこそが管理者側の都合だなと思う。一人の人間を労働力換算しているからこそ、生産性などという、およそ人間に使うべきではない言葉を堂々と放つ人が増えるのだ。

 だから僕は管理されないこと以上に、管理しない。というのが、人間らしさを取り戻すための唯一の革命じゃないかと思う。新著に世界で初めて実装したCulti Payという仕組みは、日本初のデジタルバンク「みんなの銀行」の個人口座がQR化されているという事実をもとに、その仕組みを活用して管理者不在のお金の流動を実現させたものだ。

Culti Payという革命

 1000円送りたいと思ったら、手数料をひかれることなくそのまま1000円が相手に送金される。そんな当たり前のことを実現させてくれる「みんなの銀行」は、少なくともいまの僕にとっては、とてもありがたい存在だ。

 著者と読者を管理するものはおらず、ただただその思いが届けられている。実際このCulti Payの仕組みを通して、僕に支援をしてくれている読者のかたが何人もいてくれて、初めての試みをこうやって実践してくれることのありがたさに泣いた。いまもなお、Culti Payが届く度に、これほどにありがたく嬉しいものかと喜びを噛み締めている。

すみません。名前と金額を伏せて一部公開させてください。どれほど勇気をいただいたことか。
他にもお気持ちくださったみなさん本当にありがとうございます。

 これら、著者である僕と読者の方との関係を管理するものは誰もいない。このストレートなつながりをもって、 僕はいよいよ胴元不在、つまり管理者不在のお金の流れを世の中にたくさん作っていきたい。だからこそCulti Payは革命なのだ。

管理からの解放

 ビジネスとは、囲い込むこと。飼い慣らすこと。従順にさせること。そのための仕組みに奔走することだと言っても過言ではない。もちろん、それを僕は単純にわるいこととは思っていない。けれど、そこで発生する、人が人を管理するという行為が僕たちにどれほどのストレスを与えていることか。そのことについて考える。AIの進化に任せておくべきことの一番が、そういった管理業務なのだろう。一人の人間を1という数値にすることのストレスをAIはきっと感じない。けれど生身の人間の僕は、一人から人間味をとって、数字の1とすることが苦痛で仕方がない。

 僕は管理者となることから避け続けてきた。それゆえに何かとコピーライトを持つことも苦手だし、ロイヤリティの考え方も苦手だ。自分一人で成し遂げられるものなど何一つないのに、「あれは俺がやった」と手柄を言うことにいまだに抵抗もある。そんな弱っちい僕が生きやすい世の中を、誰かのためというより僕自身のためにつくりたいと、僕はCulti Payをつくり、新著に実装した。

反・重版出来?!

 資本主義経済の象徴である大量生産、大量消費の世の中で、Re:Standard Booksは、身の丈を超える増刷はしない。言わば、反・重版出来。決して増刷しないということではないが、この仕組みがうまくいけば、過剰な増刷をする必要がなくなるということだ。これまで世の中にあるすべての本は、新刊として売買されるタイミング、もしくは新品の本を出版するタイミングでのみ、著者に利益が還元された。しかしCulti Payが実装されている本は、BOOKOFFで買った本でも、図書館で借りた本でも、カフェに置いてあった本でも、誰かに貸りた本でも、よい本だったと思えば、著者に還元できる。つまり、一冊の本を社会でグルグルと循環させることを、構造として、仕組みとして肯定出来るのだ。

 新築マンションのような、買った時が最も価値が高いというものではなく、使えば使うほどに馴染み、良くなっていく、かつての木造建築のような、古くなっても価値が目減りしない、ブックメーカーとして僕はそんな本作りを目指したい。本にとって大切なのは新しいことではない。その中身が長く愛される。そのコンテンツを生み出した著者がきちんと長く報われる、そんな出版を当たり前にする。

VALUE BOOKSという助け舟

 そこで今回、『取り戻す旅』のネットで購入の入り口を、日本最大級の古書在庫を持つVALUE BOOKSにお願いすることにした。もちろん、リアルに手に取ってもらえることが一番良いなあと思っているものの、Re:Standad Booksの本は、日本全国どこの書店にでも置いているような本ではないので、読んでみたいのに買えない。という方はぜひVALUE BOOKSを利用してもらいたい。

 そして読了後、もし「次の読み手に届けてもいいな」と思われた際は、ほかの蔵書とあわせてぜひ VALUE BOOKSにそのまま買い取りに出してもらいたいのだ。VALUE BOOKSが再び僕の本を買取って、また次の読み手に販売してくれる。そしてその一冊が古書として売れた際には、VALUE BOOKSが、その売上の33%を著者である僕に還元してくれる。通常新刊の著者印税ですら10%がMAXだというのに、だ。

 もちろん、大切に置いておきたいから売りたくないという方は、そのまま大事にしてもらえるといい。それもまた著者としてこれ以上ない喜びだ。

古本屋も図書館も肯定したい

 管理者不在の仕組みのなかで、著者の創作を個人がまっすぐ支えられるCulti Payは、一冊の本がたくさん回し読みされるほど、著者が喜ぶ仕組みになっている。これでVALUE BOOKSはもちろん、BOOKOFFも、街の古本屋も、図書館も、みんなみんな、まっすぐ肯定できる。

 長年違和感を持ち続けた新刊ビジネスから本を自由にするために。世の中を変化させる、あたらしいふつうの提案、それがCulti Payなのだ。まずはぜひ、新著を手に取ってみてほしいし、このCulti Payをあなたのものづくりに大いに活用して欲しい。Culti Payのロゴなどのデータは以下から簡単にダウンロードできるし、使用許可もなにもいらない。僕が考えたからといって僕に連絡なども不要。ここまで語ってきたように、そういった管理そのものから脱却したいのだ。だから、それぞれに自由につかって欲しい。

手仕事感じる造本はリアル書店で

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