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正月引越のすすめ。

年明け早々、延々と事務所の引っ越し作業をしている。

と言っても4階から3階に移るだけなので、決まった日に一気に運びこまなきゃ、ということもなく、その分ダラダラと時間がかかってしまっている。けれど、仕事の合間合間にマイペースで出来るのは、なんだかストレスがなくてよい。いついつやらなきゃと追い立てられるわけでもなく、スタッフそれぞれが別々のタイミングで少しづつ荷物の整理をすすめていくこの感じにふと、小学生の頃、家族で作ったパズルを思い出した。2000ピースくらいの大きなパズルを家族で少しずつ完成させていくあの感じに似てる。ちなみにそのパズルの絵柄は日本丸。近くに商船大学があった影響なのか、その頃はやけに帆船など大型の船に憧れていて、友達3人で南極観測船に乗って旅に出るという空想を紙芝居にして、クラスのお楽しみ会で披露したこともあった。小学四年生の時だ。紙芝居のタイトルは『南極観測船 しらん』。おそらく南極観測船の『しらせ』とかけたんだろうけど、意外にわるくない。というか、オイラは何も変わってないなと47にして思う。しらんけど。

荷物を整理していると、こうやって思い出に浸ってしまうことが多いけど、それはそれでよい時間。歳をとるごとに昔話をしがちなのは、そこに快楽があるからだろう。だからと言ってこうやって他人にそれを聞かせる(読ませる)のはどうかと思うけれど、一人思い出にふけったり、共有できる仲間と語り合ったりする時間はたしかに心を落ち着かせてくれる。本来なら新年のタイミング、年明け一発目のnoteゆえ「今年はこれをやるぞー!」みたいなテンションになりがちなところを、引っ越し作業のおかげで、僕はずっとさまざまを振り返ってばかりいる。けれど、こういう正月もわるくない。45超えたおじさんの特権かもしれないな、これは。

今回引っ越しを決めたのは、単純に部屋が広すぎたから。広いのはよいことだけれど、広いほど色々と溜め込みがちだ。冬眠前の栗鼠みたく、いまの事務所に越してから約7年のあいだに溜め込んだものの膨大さに自分で呆れている。おかんが水道の蛇口に溜めていく輪ゴムじゃあるまいし、何かに使うだろうと無闇に紙袋を溜め込んでいたり、2冊ずつあれば十分な書籍見本を無駄に5冊ずつ保管していたり、そういったストック類を一つ一つ整理するだけで、ずいぶんとスッキリする。スペースとしては半分になる新しい部屋に、本当に収まるんだろうかと不安に思っていた大量の荷物が、結果見事に収まり、それどころか本棚はスカスカ状態だ。そうやってフィジカルな隙間が生まれることの喜びを久しぶりに噛み締めている。なんだったらこのままずっと引っ越し作業していたいくらい気持ちいい。

そう考えると、土地や財産を持つというのはその分さまざまを抱えてしまうということなのだなあと想像してみたりする。僕のまわりでも相続に悩む人を多くみかけるけれど、根本的に人間は所有を減らす方が幸福に近づくのではないかとすら思う。このnoteで何度も書いているサーキュラーエコノミー視点でみても「所有」から「借りる」時代に移行していく流れはこれからさらに進むだろう。それぞれがそれぞれのものを所有、占有するほどに多くの無駄が生まれる。この無駄をこれまで僕たちは謎に「効率」というまるで真逆な価値観で蓋をしてきた。しかしそれは組織やそれを管理する側にとっての効率であって、一個人にとってはとても非効率だし、地球レベルに俯瞰でみればなおさらだ。そうやって常に視点を切り分けて物事を認識していくことが大切。僕たちは僕たち自身の幸福を追求すべきフェーズにいる。

うちの会社のある「KIITO(デザインクリエイティブセンター神戸)」は、その愛称の元でもある「生糸(きいと)検査所」だった建物だ。あまりの立派さに、生糸の生産が日本の輸出産業として、いかに巨大だったかが伺える。それを後に神戸市がクリエイティブ系企業が集積するオフィスビルに再生した。そんな広大な施設ゆえ、館内にはフリースペースがいくつもある。なので、別に事務所内で打合せすることにこだわらなくても、そういう共有スペースを利用すれば済むし、ここ数年スペースを大きく持つことに疑問を持ち続けていた。そんな折、3年ごとの契約更新タイミングが来たので、ここぞとばかりに小さいスペースへの移動を決めたというのが、今回の引越しの一番の理由だ。

僕は最近、いわゆるコモンズ(共同利用地)におけるふるまいを学んでいかねばという思いが強い。2020年から『Re:School(りスクール)』というオンラインコミュニティを始めたのもそれが理由だった。パーソナルな空間にこそ癒しを求めがちな僕は、今後、コモンズにおける身の置き方にも慣れていかなきゃと感じていた。僕は、誰かといることが本質的に苦手だ。相当気がおけない友達でないと一緒にいることが苦痛。だけどある時から、きっとそれは僕だけではなくて、ほとんどの人がそうだと気づいた。気を遣うのも遣われるのも誰だって嫌なもの。ならば気の置けない人と出会える仕組みをつくればいいと思った。そういった安心感のあるコミュニティを自ら作ってしまえば、その中でいろんなことにチャレンジができるから、まずはそういったコミュニティの編集スキルをつけたいと思った。

おかげでRe:Schoolはまだリアルに会ったことのない人が多いにも関わらず、なんだか全員が気心しれた感じになっていて、実際僕はこの引っ越しを機に自分の所有物を、コミュニティ全体の共有物にしていくような実験を勝手にはじめている。今回の引っ越しがとても気持ち良く進んでいるのは、実はRe:Schoolのおかげでもあるのだ。不要だけれど捨てるのは忍びないというものを、コミュニティメンバー内で譲ったり、物々交換したり。そしてさらには、必要なものだけれど、いま現在必要というわけではないものをメンバーの誰かが持ってくれればいいのでは? と考えるようになった。かといって預けるのではなく、譲る、ギフトする。これがなんだかとても心地いい。この振る舞いをもっともっと身体に染み込ませて、いつかそうやってモノに対する執着ではなく、モノを所有することへの執着が薄れていくといいなと思っている。

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