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淀川テクニックのテクニック

柴田くんという、出会って20年になる古い友人がいる。

とはいえ、ここ数年で2、3度会ったかなというくらいなのだけれど、出会ったときからなんだか気になるやつで、そんな彼がいまは「淀川テクニック」というアーティスト名で世界中の芸術祭から呼ばれるような現代美術作家となっている。

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「宇野のチヌ」©︎淀川テクニック Courtesy of Yukari Art

岡山の宇野港にあるチヌの作品は、某美術の教科書にも取り上げられているようだし、ご存知の方も多いんじゃないだろうか?

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僕がまだ20代の頃、大阪の舞洲という埋立地でartbeatというアートイベントが開催された。

元々僕が書いた企画書を大先輩編集者の後藤繁雄さんが実現してくれたもので、そんな経緯から、まだ20代だった僕が実質の現場運営を任せてもらっていた。

当時、僕自身もそうだったように、まだまだ何者でもない若者たちが有り余るエネルギーを衝動のままに表現するアートマルシェ的なイベントで、そのブース出展的な性質上、限りなくプロダクトに近く商品流通しやすそうな作品が多かったなか、墨一色で巨大な女性の裸体を描く若き柴田くんは明らかに異彩を放っていた。というか、シンプルにヤバいやつだと思った。

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artbeatが来場者数5万人以上と大成功したこともあり、半年後に第二弾が開催されることになった。そこで今度は彼を招待作家とした。

場所は大阪心斎橋。イベントタイトルは「ARTBEAT DEPARTMENT」。その名が示すように、2回目は閉店したばかりの旧そごう百貨店に場所を移して開催した。立地の良さもあって1回目以上に多くの人が来場してくださったのだが、その際、なんと、通りがかりの外国人の方が、柴田くんの作品を買いたいと言ってくれた。もちろん柴田くんにとっても僕にとっても初めての経験だ。まわりの大人たちが慌てて交渉してくれて、彼の絵は数十万円で買われた。

彼もまだ20代。そう思えば、当時から彼の作品には、何かしらの間口の広さがあったのだと思う。

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そんな彼が、いつしか拠点を淀川に移した。当時の淀川は、誤解を恐れずに言えば、とても面白い場所だった。社会が隠そうとしているものが、そこに露呈していたことに、若かった僕たちは刺激を受けた。

背の高い葦が群生する淀川の川辺には、その葦に隠れるように大量の不法投棄ゴミがあった。またその周りにはブルーシートでつくられた小屋で暮らす、いわゆるホームレスの方たちが沢山おられ、柴田くんはもちろん、僕もそういった人たちに多くを教えられた。直接的な言葉以上にブルーシートの家の前に立つおじさんと、その背中越しに大阪梅田の高層ビル群が見える情景から、僕たちはモーレツな学びと気づきを貰った。

そんな淀川が、淀川テクニック(当時は柴田くん&相方のマッチャン)二人のアトリエだった。いまは綺麗になっているそうだが、彼らが活動していたあたりはちょうど汽水域にあたることもあり、不法投棄ゴミのほかに、海からの漂着ごみが沢山流れ着いていた。お金もなく、何かをつくるその材料費すらままならなかった彼らにとって、それらはなんの比喩でもなく宝の山だったんだと思う。

彼らが淀川河川敷をアトリエ、そしてキャンバスにして作品作りをはじめたのは必然のように思った。

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当時の作品のなかでも印象深いのが、

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↑ 「オン・ザ・宇宙」©︎淀川テクニック Courtesy of Yukari Art

という作品だ。ボールやブイなど球体のゴミを淀川に生えている木に取り付けただけの作品だけれど、そのビジュアルインパクトは相当なものだった。彼の持っているPOPさに気づいたのはこの頃だったように思う。

2005年の「ゴミ淀川産」という作品がまた最高で、当時編集していたフリーペーパーの表紙に使わせてもらった。

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「ゴミ淀川産」©︎淀川テクニック Courtesy of Yukari Art

それ以降のアート業界における彼の評価は冒頭に紹介したとおり。作り続けることによる造形技術の向上と、漂流ゴミへの知見の深さをもって、彼は現代美術作家として着実に認められていった。そんな彼の活躍を横目で見ながらも、いよいよ彼が鳥取県の智頭町に拠点を移したあたりから少し疎遠になっていた。

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それが8年越しにバッタリ再会したのは、智頭町にある、野生の菌で最高に美味しいパンと地ビールを醸す「タルマーリー」さんでのトークイベントだった。トークがあることを知ってかけつけてくれたのだ。しかしそこからまたしばらく会える機会もなかったのだけれど、今度はあるトークイベントの登壇者として柴田くんと共演することになった。

スターバックス表参道店のオープンを記念したイベントで、地球環境について考えるアースデイ東京のイベントでもあった。僕は、かつて「マイボトル」という言葉をつくり、大人も水筒を持ち歩くスタイルを広めた人として、一方、柴田くんは漂流ゴミをアート作品へと昇華させる稀有な美術家として呼ばれていた。同じ登壇者にスターバックスジャパンのCEOもいらっしゃったこともあり緊張していたけれど、柴田くんが居たことでずいぶんホッとしたのを覚えている。

他にまだ数人の登壇者がいらっしゃったのだけど、正直、僕と柴田くんの二人は若干アウェーな空気を醸し出していたように思う。というのも、再会の喜びでテンションが上がっていたのか、二人とも本音を喋りすぎた。アースデイのイベントで、それなりの意図を持って僕たちに声をかけてくれているのに、プラスチックはそんなに悪者なのか? とか、魔法瓶のようなプロダクトを量産すること自体がエコではないなど、本質的な問いを投げて帰るという、いま思えば企画者さんに大変申し訳ない(面白かったけど)イベントだった。その後、東京のおしゃれな居酒屋で、二人大声で野グソの素晴らしさについて語り合ったのもいい思い出だ。

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今回、そんな彼に僕の拠点の一つ、秋田県にかほ市に来てもらった。

鳥海山と日本海に挟まれた風光明媚な土地の陰に、大量の漂着ゴミがあることが気になっていたからだ。サーファーのみなさんなど多くの方がビーチクリーン活動を行っているのだけれど、まったく追いつかない状況のなかで、僕がいま取り組んでいる「にかほのほかに」の事業として、何かしらもっと楽しいゴミ拾いの方法を提案できないものか? と柴田くんのことを思い出し、忙しいさなかに来てもらったのだった。

実際、彼と一緒に海辺を歩いてみると、彼の「良ゴミ」ハンターとしてのレーダーが凄まじくて、超おもしろかった。市民のみなさんと一緒にゴミ拾いをする際には液体には触らないようにするなど、危険なものを避ける方法について教えてもらうと同時に、彼の作品の素材になるようなゴミの見つけ方について聞いていると、目の前のゴミが本当に宝物のように見えてきて、これはまさに、見方を変えることで価値を変化させるという、僕が編集者として目指す仕事そのものに思えてとてもワクワクした。

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そして、ゴミを拾いながら彼が放った言葉に、僕はとてもハッとした。

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