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この先自分が夢中になれるものなんて、いまの自分にはわからない。

スケボー(penny)が楽しい。
最近はいつもリュックに小さなクルーザーボードをつけて歩いている。

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そして広い駐車場に出会うたびに、滑りたい欲望でいっぱいになる。だからこれはもうアレだ。アレ以外の何者でもない。アレ、つまり「夢中」というやつだ。今月47歳になるというおじさんが、なんだか夢中になっている。けれど勘違いしないでほしい。めちゃくちゃ下手くそ。ポンピングといって、勢いをつけて滑るのではなく、自分の体の動きで自走するという初歩の初歩の技術があるのだけれど、それすらまだできない。だけど、楽しい。周りからはすぐ飽きるだろうと言われているけれど、いまのところおよそそんな気配はない。

これまでスポーツや運動と名のつくものが近寄ってくると、常に間合いを取り続けてきた僕にとって、これはもう実に衝撃的な出来事だ。もはやどうしてこんなにも運動というものを避け続けてきたんだろうかとも思うけれど、きっといま出会ったから良いんだろうなと思う。なんかやってみたいかも!と思った瞬間にネットでスケボーをポチった自分を褒めてやりたい。

最近僕もどんどん爺さん化してきて、10代、20代の人たちの言葉を孫の言葉を聞くように受け止めることが多くなってきて思うのは、みんななんだか回り道を嫌がりすぎじゃないかなあということ。みんなして最短コースを歩もうと必死になっているけれど、僕のような狭い視野でみる限りでは、最短ルート狙いの飛び石転々コースを走ってる人ほど、夢中になれるものにずっと出会えていない気がする。

僕は編集者として、自分の仕事を天職だと思っているけれど、これは幾つになっても編集に夢中だからだ。編集ってめちゃめちゃ無理ゲーな瞬間が多々あって、腹の奥までコテンパンにやられたりもするけれど、それが超楽しかったりもする。で、そんな編集者に僕はなりたかったわけじゃないからこそ、僕は編集に出会い、編集を知り、いつのまにか編集を楽しむようになったんだと思う。もし僕が編集者になりたい! と思って、その最短コースを歩もうと努力していたりなんぞしたら、それはもうとっくに編集者なんてやっていない気がするのだ。

自分の頭で考え尽くした選択肢だったとしても、それが本当の最短コースにはならないんじゃないだろうか。たとえそれが回り道に見えても、衝動的に一歩を踏み出してみることが大切だと僕は思う。

以前、編集や取材における虎の巻ならぬ「りすの巻」というのをここで公開したけれど、そこにも書いたように人生は寄り道上等!だ。自分が心の底からやりたいと思うものや、好きなもの、夢中になれるもの、感動するものに出会うのは、いつだって偶然でしかない。出会いたいと思って出会えたり、見つけたいと思って見つけられたりするもんじゃない。

それは自分が夢中になれるものなんて、いまの自分にはわからないからだ。見つけに行きようがない。

だから「これになんの意味があるんですか?」なんて真っ直ぐな目で聞かれても、僕は堂々と「わかんない」と言いたい。それを無責任だと言う人がいるけれど、そこに安易に意味づけをしてしまうことの方が無責任じゃないかなと、僕はとても真摯な気持ちで思うのだ。

雑誌Re:S(りす)をつくっていた頃(15年くらい前)、心掛けていたことが二つあって、その一つは「極力、高速道路を使わない」こと。そしてもう一つが「取材旅中の飲食店は直感で決める」ことだった。

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