見出し画像

ピクノリ

奈良にいる。

神戸で育った僕にとって阪神電車と近鉄電車が相互乗り入れを始めたことはとても大きなニュースだった。あれからもう10年以上経つのか。大阪を介して行くイメージだった奈良に乗り換えなしで行けるようになったことで、神戸と奈良の距離がグッと近づくように思われたけれど、この10年で神戸と奈良の精神的距離が近づいた気はあまりしない。これは何も敵対しているとかそういうことではなくて、シンプルに奈良という町はいつまでも不思議で謎な町のままなのだ。京都のようであって、大阪のようであって、そのどちらでもない。そんな奈良が僕は嫌いじゃなかった。むしろ好きだ。明石家さんまさんや、笑い飯西田さんを生んだこの町の異質さを言葉で表現するのはとても難しい。とにかく僕はいま奈良にいる。

✳︎

いつものように家の近くにあるカフェにこもって原稿を書いていた朝、今日は特に集中力が続かないやと困った僕は、仕方なくカフェを出て阪神西宮駅に向かい、示し合わせたかのようなタイミングでやってきた快速急行に飛び乗った。どうにも仕事に手がつかないのは、きっと「アレ」のせいだと思ったからだ。この数日、僕はずっと「アレ」のことを考えていた。その「アレ」とは一体何か? 結論を言ってしまうと「アレ」とは「ピクノリ」のことだ。

「みなさんご存知…」のトーンで言い放ったこの「ピクノリ」について紐解いていくのが今回の主旨だから、あなたはそのポカンと開いた口を慌てて閉じなくていい。多くの人にとって「ピクノリ」は「アレ」と同じくらい不明瞭だ。ピクノリもアレも、対する返事は「どれ?」とかで充分。一体ピクノリとは何なのか? 始まりは5日ほど前のごはん会だった。

ピクノリとクチヅケした夜

友達数人で『クチヅケ』という名の神戸のワインバーにいた時のこと。すでに二軒目ということもあって全員ほろ酔い状態。こうやって集まること自体が久しぶりなこともあって、なんだかフワフワと楽しい宴だった。そこで、いまは奈良に住んでいる、しーちゃん(島田彩)という才能溢れるライターの友人が、4年前に偶然見つけたという、パン屋の話をしてくれた。その内容はこうだ。

昔ながらの商店街にひっそりあるそのパン屋さんのレトロさに惹かれて入ってみると、可愛いパッケージのクリームパンやジャムパンなどが並ぶなかに、何だか妙なパンがあった。細長いコッペパンにクリームが挟まれ、その上にみかんが乗っている菓子パンで、その見た目はもちろんのこと、それ以上に名前が不思議だった。値札には150円という金額とともに「ピクノリ」と書かれていたという。冒険心の強い、しーちゃんは当然のごとくそれを購入。家に帰って口に入れてみるも、その瞬間「これをこのまま飲み込んでいいんだろうか?」という謎の恐怖心が湧き上がり、食すのをやめてしまった。それほどにインパクトがあった。パンチは名前だけじゃなかったと、そう話してくれた。

うまい、まずい、を超えた新ジャンルなグルメ話に興味津々になった僕たちは、酔いも手伝って、以降延々と「ピクノリ」について話し続けた。今思えばあの夜、僕たちは「ピクノリ株」に感染した。メンバーだけがわかる謎の言葉で会話を続ける僕たちをお店の人はどう思っていただろうか。きっと、悪魔とクチヅケを交わした者たちによる秘密結社のようだったに違いない。

なんとか終電に飛び乗り、自宅に着いた僕はそのまま倒れるように眠ってしまった。翌朝スマホを見ると、昨夜のメンバーのメッセンジャーグループが立ち上がっている。グループ名は「ピクノリ」だった。僕はそっとグループ名を「ピクノリーメイソン」に変えた。

みかんパンじゃない

グループを立ち上げたのは、鴎来堂という校正・校閲の会社を営むヤナティ(柳下恭平)という友人。彼による最初の投稿はこれだ。

「僕が見つけた2014年のピクノリ。多分ベータ版」というコメントと共に以下のリンクが貼られていた。

ヤナティが思わずグループを作った気持ちもわかる。しーちゃんが言っていたピクノリとは明らかにその姿が違う。パンに入った大きなス(気泡)も気になるけれど、何よりその形状と中身だ。しーちゃんが買ったピクノリは、コッペパンにクリームとみかんが挟まれたものだったはず。しかしこのツイートにあるのは、まるでアダムスキー型UFOのよう。しかも中に入っているのはクリームではなくクリームチーズ。みかんの姿に至っては全く確認できない。これはいったいどういうことなのか?

画像3

そもそも、しーちゃんが買ったみかんINのピクノリが単なる勘違いでなく、2021年現在のピクノリだとするならば、これは襲名性の可能性すらある。そのとき、少し遅れてグループに気づいたしーちゃんが、4年前にスマホで撮ったピクノリ写真を見つけたと、この画像を送ってきた。

画像1

!!!!!!

たしかに みかんINだ! 場が混乱していくのがわかった。ちなみに、しーちゃんが食したピクノリはクリームチーズではなくバタークリームだったとのこと。

さらに、しーちゃんが続ける。

「2014年のツイートと私の写真を並べると、文字の感じがいっしょなので、そのままずっと商品名のカード(?)を使ってますね。
赤インクは日光に当たってると1番最初に退色していく色なんですけど、その退色っぷりも気になります。」

画像2

しーちゃんはついに、2014年と、いまから4年前、2017年の写真を並べて組むという画像処理までやり出した。みんなの熱が急上昇している。

画像4

僕もその熱に飲まれるようにネーミングについて考察を深めてみた。ピクノリ。これほどまで万人に聞き覚えのないネーミングがあっただろうか。日々大量の出版物が生まれるだけでなく、毎秒恐ろしい数の言葉がネットの海に放たれ続けるこの世の中で、こんなにも聞き覚えのない言葉に出会ったこと自体が奇跡のようだ。そもそも、このメッセンジャーグループを立ち上げたのは、日本でもっとも多くの言葉に触れているかもしれない校閲会社の代表のヤナティだ。そのことがそれを証明している。

ピクノリはどこから来たのか?

さて、これほどまでに僕たちを魅了する「ピクノリ」というネーミング。何かしらその手がかりを見つけたいと想像を膨らませていたときに、ふと思い出したのが、とあるドリンクのCMだった。

「僕たち飲むならピクニック!」
そんなキャッチフレーズのCMを覚えているのはアラフィフ世代以上かも知れない。下記のリンクに詳しいように、80年代に発売されたドリンク、森永piknic。

この80年代的ポップさ、つまりは「ピクニックでノリノリ」みたいな、あの時代独特の(ポジティブな)軽薄さをまとっているような気がしてきたのだ。謎にスペーシーでバブリーでピクニックでノリノリな初期衝動から生まれたピクノリに、後から意味や型が立ち上がってきたのかもしれない。

全ての古典はかつて新作だった。そんな言葉が頭をよぎる。

もう一つの可能性

もう一つ僕が気になったのはあの形状だ。先述のとおりまるでUFOな姿は、もはや地球上の食べ物とは思えない異質さをまとっている。そう思えば断面の「ス」によるスペース感すら、まるで円盤内の構造を垣間見せてくれているように思えてきた。そんな地球外生命体の姿を想像していたときに思い出したのが、2001年、ニンテンドーゲームキューブ用ソフトとして発売された『ピクミン』だった。

最初に掲げたツイートの写真は2014年だが、その前年、2013年にはWii Uで『ピクミン3』が発売されている。2020年には『ピクミン3 deluxe』としてSwitch版も発売。そして今年、『ピクミン ブルーム』なるスマホアプリまで配信開始されたNintendoを代表するロングセラーコンテンツだ。

ひょっとするとピクノリは、このピクミンに感化されてつくったのではないか? あまりにテキトーだけれど、ピクミン的なノリでつくったパンなのではないか? その妄想は止められず、僕はいつのまにかピクミンのプロデューサーであるNintendo宮本茂さんのインタビュー記事まで辿りはじめていた。以下は、4Gamer.netというゲームレビューメディアにおける、インタビュー記事の一部。『ピクミン3』について語る宮本さんの言葉の、
「ピクミン」を→「ピクノリ」
「ゲーム」を→「パン」
脳内変換して読んでみてほしい。僕は一瞬、真実に近づけたような気さえした。

宮本氏:
 戦争映画より心に来るでしょ(笑)。
 そういうことを考える機会もあっていいと思うんですよ。映画の「プライベート・ライアン」でも,一人を助けるために大勢が死んでしまうかもしれないという,究極の決断が描かれていますけど,決断をした人は,どんな思いだったんだろう? とか,会社で仕事をしているときでも考えることがあるんです。
 ピクミンは,そういうことを考えて作ったわけじゃないんですけど,自然の摂理のようなものを忠実に作ると,やっぱり起きてしまうことがあって,それを見たときにこれまでのゲームとは違うものを感じたと言ってもらえるのであれば,それは商品として魅力があるということではないかと思うんですよ。

ー引用 4Gamer.net(2013/7/13)

うん、わかってる。ありがとう。大丈夫だ。けれど妄想を止められなかった。そして僕はついにインタビュアーの気持ちとも同調した。同じく、ゲームを→パンに。ピクミンを→ピクノリに。脳内変換してみてほしい。

4Gamer:
 このご時世,ゲームに限らずあちこちで説明過多になっているケースが散見されますが,ピクミンはその逆の手法ですよね。ただ,そういったものをきちんと形にしていくのは,並大抵のことではないと思うんです。

ー引用 4Gamer.net(2013/7/13)

ベーカリーフジタの手法は、並大抵のことではないと思う。

もはや僕を含めたピクノリーメイソンの全員が正気を無くしていた。かろうじて正気を取り戻したヤナティのこの言葉がなければ、僕たち全員、重症化していたに違いない。

画像5

助かった……。

中身に対する考察

さらに僕は、ネーミングではなく、その形状や中身の変化に対する自身の見解をも述べてみた。

◉2014型ピクノリにおけるクリームチーズが150円をキープするために素材として使えなくなってしまった。

◉そこで安価なバタークリームで代用するも、クリームチーズ特有の酸味が足りない。

◉酸味=みかん!

◉みかんIN

僕にはそう考えるしか、この大幅なチェンジの理由がわからなかった。それを受けて今度はヤナティが続ける。

画像6

さっき「落ち着いて!」と言ってたやつとは思えない。

謎が謎を呼ぶ……

と、ここにきてまたヤナティがあらたな写真を見つけた。
「あれ!? 3枚目の写真のピクノリってミカンパンになってない?」
というコメントともに以下のリンクが貼られていた。

1枚目のどらエモンに目を奪われる読者の姿が目に浮かぶが、今回はどうかそこをスルーして、3枚目の写真までスクロールしてみて欲しい。そこには確かに、我々が2017年版ピクノリと理解していた、みかんINピクノリが、単体の『ミカンパン』として売られている。しかも120円! 安っ! これはどういうことだ? 完全に頭が混乱してきた。さらにヤナティがあらたな証拠を見つけた。

こちらは二枚目の写真を見てもらいたい。

2018年のこの写真の限りでは、やはり、ピクノリとミカンパンは別物のようだ。じゃあ、しーちゃんが食べたピクノリはいったいなんだったのか?

ピクノリ≠ミカンパン

もうこれは現地調査するしかあるまい。そして…… そう、僕はいま奈良にいる。ピクノリの謎を解くために。

ベーカリーフジタへ

阪神西宮から新大宮の駅まで快速急行で約1時間。その間僕はピクノリのことばかり考えていた。今思えば、そもそも定休日だったら? など、そんなことは微塵も考えず、ただただその姿を自ら捉えたいと電車に飛び乗った。そしてあのピクノリを口に入れてみたいと思った。

編集者やライターの仕事というのは現場が全てだ。自ら体感しなければ、よい文章など書きようがない。神戸のクチヅケの夜、しーちゃんの話は最高に面白く、僕たちを魅了した。それもこれも、しーちゃんが自らの体験を熱量をもって語ってくれたからだ。僕が僕の言葉でピクノリについて語るには、僕自身の体感が足りなかった。

金曜日の朝11時。ようやく到着した新大宮駅のホームには、なぜか学生の姿が多く、彼らが知らず放っている青い光に、胸をキュッと掴まれる。47歳のおじさんが、パン一つ求めて奈良までやってくるなんて……。結局僕は高校生くらいから何も変わっていないような気もしたし、大きく変わってしまった気もした。

画像7

ベーカリーフジタのある船橋ふなはし通り商店街は、新大宮駅と奈良駅の間に位置する。静かな住宅街をテクテクと歩いて15分。たどり着いた商店街はどこか懐かしく、まるで自分がさっき出会った高校生になったような気持ちになった。少し歩くと、どこか既視感のある店構えのパン屋さんが現れた。ベーカリーフジタだった。

画像8
画像9
画像10
画像11

一瞬お休みかな? と思ったが、パンも並んでいるしどうやらお休みではなさそうだ。さあ、入ろう。

ついにピクノリと対面

店に入ると誰もいない。奥の作業場が丸見えだけれど、そこにも人はいらっしゃらなかった。しかし、棚にはいくつものパンが並んでいる。きっと少しはずしているだけだろう。誰もいない店内を物色していると、そこに、たしかにピクノリは存在した!

画像12
画像13

コロナ禍対応なのだろうか、ピクノリが袋詰めされている。そして10円上がっている! しかしなんにしろピクノリはやはりクリームチーズ入りのパンであることに間違はないようだ。では、別にミカンパンは存在するんだろうか? さらに棚を見渡してみるも、ミカンパンの姿がない。

画像14
画像15

彼はいるけれど……あっ!

画像16

あった! ミカンパンそのものはなかったけれど、ミカンパンが存在することの証を棚の端に見つけた。と、そこに

「いらっしゃいませー。大変しつれいいたしました!」

なんだかとても腰の低い、店主らしき男性がお店の奥から出てこられた。

ピクノリとミカンパンは別物?

僕はとっさに「ミカンパンは今日は売り切れですか?」と聞いた。すると男性は「お時間はございますか? すぐできますけど」と言う。やった!これでミカンパンも買える。「はい、ぜひお願いします!」

男性はバタークリームの入った大きなボールをレジ横の冷蔵庫から取り出し、奥の作業場へと移した。レジの手前から奥の作業場をじっと眺める僕。店主の男性は、どこからか取り出した細長いコッペパンに包丁で切り目を入れている。そこに先ほどのボールからバタークリームをぬりこみ、さらにお箸を使って缶詰みかんを添えていけば完成だ。最後、綺麗にラップに包まれて出てきたそれは、しーちゃんが言うところのピクノリであり、まさにミカンパンだった。

画像23

無事、ミカンパンも手に入れたところで、僕はあらためて店主にピクノリについて聞いてみた。

「以前友達がここでピクノリを買った時、ミカンパンの形状をしていたらしいんですけど、ピクノリとミカンパンは別ですよね?」
「ええ、ピクノリはそちらの棚にあるクリームチーズの…」
「ですよね。ずっと変わらずそうですよね」
「ええ、ピクノリはそちらの」
「ミカンパンはミカンパンで、ピクノリとミカンパンは別ってことですよね」
「ええ、はい。」

いったい全体どうしてこいつはそんな当たり前な質問ばかりしてくるんだ? そう思われたに違いない。しかし、おかげでハッキリした。しーちゃんが食べたのはピクノリではなく、ミカンパンだ。しーちゃんの写真を見る限り、おそらく店の誰かが、たまたま値札を置き間違えてしまったのだろう。ピクノリという言葉の計り知れない未知さ加減に、ミカンパンを前にしてなお、それこそがピクノリだと信じたしーちゃんにも罪はない。もしそこに、お馴染みのクロワッサンや、メロンパンが並んでいたとしても、人はきっとそれをピクノリだと思って買うだろう。ピクノリとはそれほどに強い名前なのだ。そして、僕はいよいよこの質問を投げかけた。

ピクノリの意味は?

画像24

「ピクノリってどういう意味なんですか?」
「それがあの……名前を付けた本人がもうおらんようになってしまったので……祖父がどっかから引っ張ってきたんやと思うんですけど」
「あ〜じゃあピクノリは随分前からあるんですね」
「店自体は昭和9年からあるので」
「えー!お店は90年近く? ということは、おじいさん(創業者)のお孫さんにあたるわけですね?」
「そうです」
「ちなみにミカンパンも昔からあるんですか?」
「缶詰使ってるので戦後くらいからだとは思うんですけど」
「じゃあほとんどが当時からのレシピを受け継がれているってことですか」
「そうですねー」

画像25

ベーカリーフジタさんは、なんとまあ昭和9年創業の老舗パン屋さんだった。しかしピクノリが生まれた時期や名前の由来については、やはり謎のまま。そこが実に奈良らしいなと思う。奈良はいつでも謎めいている。

ただ受け入れる。ただなぞる。

今回、実際にお店に来てみて、そして現店主の藤田さんにお会いしてわかったのは、ただ受け入れること。ただなぞることの尊さだ。

あらためてこの値札を見て欲しい。

画像18

2017年と2021年のピクノリの値札。値段が10円上がっていることからもわかるとおり、2021年版は明らかに現店主が新たに書いた値札POPだ。しかし彼は、そこに何か新しいエッセンスを入れようなどとは微塵も思っていないことがわかる。できる限り忠実に再現すること。僕はそこに昭和9年から約90年もの間、街の人たちに愛され続けるその理由をみたような気がした。

画像19

それは、このドラえもんならぬ、どらエモンを見ても明らかだ。店主だって、さすがにピカチュウも炭治郎も知っている。さりとて、それをパンで表現するのは別の話。そのスタンスをはっきりと感じたのは僕がこんな質問をしたからだ。

「あの、フランスパンの定義ってなんなんでしょうか?」

というのも、僕はこのパンがとても気になっていた。

画像20

フランスパン2ヶ入 120円。 激安。
しかしこのフランスパン。どうみても大きめのバターロール。小さめのコッペパンという風貌。先ほどの質問に店主はこう答えてくれた。

「あ〜、実際のフランスパンっていうのは、小麦粉・塩・水・イーストだけのものなんですけど、これは砂糖、卵も入ってますし、うちのはもう名前だけ、名ばかりのフランスパン。ふつうのコッペパンの塩味の方が立つ、食事パンみたいな感じで、それを丸めて焼いてるだけなんで」

うちのはもう名前だけ
それを丸めて焼いてるだけ
名ばかりのフランスパン
ふつうのコッペパン

これらパンチラインの応酬に僕は心底心打たれた。ライ麦パンならぬ、ライムパン。決して卑下する感じではなく、とても素直にまっすぐ放たれる言葉たちはまるでHIPHOP。ミカンパンをラップで巻くことすら深読みしそうになる。

フランスパンとは小麦粉・塩・水・イーストだけを使ってつくるパンであることは知っている。ピカチュウも炭治郎もきっと知っている。だけど、変化させようとは思わないのだ。

やっぱりベーカリーフジタの手法は並大抵のことではなかった

実食

いくつか気になったパンを購入した僕は。ベーカリーを出て、奈良公園にむかった。気持ちの良い場所でピクノリを味わいたいと思ったからだ。

画像21
画像22
画像23

時間はちょうどお昼時。今日のランチはパンだ。と言いつつも、これら全部を食べられるわけはない。僕はとにかくピクノリから実食することにした。

画像26
画像27

上部が少し潰れて凹んでしまったけれど、気にせずそっと割ってみる。

画像28

あ! やっぱり「ス」が入っている。そりゃあ潰れやすいのも頷ける。想像以上に繊細なパンだ。下段にはもちろんクリームチーズが鎮座している。まずは大きく深呼吸をして、一気に断面からかぶりついた。上の歯が下段のチーズにたどり着くまでの刹那。僕はなんだか全てを理解したような気持ちになった。ピクノリの肝であるクリームチーズを味わうその前、確かに僕は「ス」という名の「無」を、いや、「無」というよりは、仏教でいうところの「空」をいただいた。変化しながらも実体のない「空」を味わう。なぜか僕はピクノリに仏教的な思想を感じた。それもこれもきっと奈良のせい。

画像29

続いて僕が手を伸ばしたのは、もちろんミカンパンだ。しーちゃんが体験した、うまい、まずいを超えた世界に、僕も行ってみたかった。

画像30

ラップを外し、さあ、いよいよ! という時に、なんだかサッと背筋を冷たい風が吹き抜けた。

画像31

しかしこのパン、やけに海老反りが過ぎるなと思って裏返したら……

画像32

折れてた。それに同調するように僕の心も折れそうになったそのとき、神の使いが近づいてきた。

画像33

ヤバい。

画像34

ダメだよ。ダメ。

画像35

あっ 

ここから先は

1,309字 / 7画像
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?