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地方紙がいい。

今朝も近所の喫茶店で大好きなたまごサンドとホット珈琲。
そして傍らには神戸新聞。

僕は地方紙が大好きだ。旅先の朝、僕は必ずその町の新聞を手に取る。香川に行けば四國新聞を読むし、新潟に行けば新潟日報を手に取る。仙台に行けば河北新報を買うし、山口に行けば山口新聞を、と。

東京や大阪などの都会に住んでいると、日本中みんなが購読者数ナンバーワンを謳う読売新聞をはじめ、朝日、毎日などの三大紙を読んでいるような気になるけれど、日本中を旅していると各地方にはそれぞれの地方紙があり、三大紙など地方ではほとんど読まれていないことに気づく。

また、それら地方紙の社説や、一面に掲載されるベテラン記者さんのコラムは中央のメディアに比べ、語り口がとても自然で、冷静且つ客観的な視点を持っていると感じることが多く、そこに僕はホッとしつつ、地方記者さんの気概のようなものを熱いコーヒーとともに身体に流し込む。


それにしても、昨日のあの重要な瞬間がテレビ中継されなかったことには、いよいよテレビの一つの時代が終わったことを痛烈に感じさせられた。町の食堂で、高所に据え付けられたテレビをみんなで眺めつつ定食を食べるような、そんな時代じゃないことくらいわかっているつもりだけれど、時代の大きな節目をカフェで一人、スマホの小さな画面で確認し、窓の外の往来を眺めながら、とてつもない不安や違和感をただ胸にしまいこんだ昨日の僕は、決して特別ではないのだろうと思った。

我らがテレビヒーロー、明石家さんまさんが視聴者のことを「茶の間」と呼ぶのが僕は大好きだ。けれど、嬉しいも悲しいも一緒に共有できる「茶の間」は暮しからどんどん遠ざかってしまった。

だから僕は今日も喫茶店で地方紙を読む。

数部用意された神戸新聞を隣で同じように読むおじさんに、かつての「茶の間」を感じながら。


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