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塩谷定好と蔦谷典子 時代を創る人と見出す人。

やばい!今日までやん!
慌てて乗換案内検索し、新神戸から新幹線に飛び乗った。
岡山から特急やくもに乗り換えてやってきたのは島根県の松江。

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 どじょうすくい饅頭のバリエーションが増えていることに驚きつつ向かったのは、宍道湖のそばにある、島根県立美術館。

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 そこで大好きな写真家、塩谷定好(しおたにていこう)の写真展が開催されていたのだけど、それが今日までだった。

 終わった情報を載せられてもと思うかもしれないが大丈夫。入れ替わるように、お隣の鳥取県立美術館で「塩谷定好とその時代」展が開催中だ。

 この記事を読んだ後に行ってみたいと思ってくれた人はぜひ鳥取県立美術館の展示を観にいってみてほしい。

 

 さて、塩谷定好という名前を最初に教えてくれたのは、俳優の佐野史郎さんだった。(佐野さん腰大丈夫かなあ?)

 古い話になるけれど、2006年につくった雑誌Re:Sの「フィルムカメラでのこしていく」という特集のなかで、鳥取県の赤碕(あかさき)という町にある一軒の写真屋さんとの出会いについて書いた。

↑中古あるんだ。うちにも在庫ないから、オイラも買おうかな。


 旅の途中、偶然出会ったそのお店の名前は「かげやまスタジオ」。田舎の小さな写真屋ながら、粛々とモノクロフィルムの良さを訴え続けているとにかく変わった写真屋さんだ。そこの店主、陰山さんに、僕はフィルムカメラや写真プリントの大切さについて教わった。30そこそこだった僕は感情論じゃない、アーカイバルな写真の必要性と価値を知り、またそのことを信じて丁寧な仕事を続ける陰山さんという人に感銘を受けまくった。

 しかしどうして、鳥取の海辺の小さな田舎町で、そんな人が生まれたのか? そのことは随分後から知るのだけれど、それはある意味必然だった。

 かげやまスタジオのある赤碕という町は、前述の塩谷定好が生まれ育った町だったのだ。

「UEDA-CHO(植田調)」という言葉が世界で通じるほどに著名な写真家、植田正治。モダンで洗練された印象の演出写真、砂丘シリーズはどこかで一度は目にしたことがあるんじゃないだろうか? その植田正治が生涯、師と仰いだ人が、塩谷定好だった。

 植田正治のことは知っていても、塩谷定好のことは全く知らなかった僕は、そんな偉大な写真家がいた町であるにもかかわらず、塩谷定好にはまったく触れず、というか触れられるはずもなく、フィルムカメラ特集を一冊つくりあげた。

 そんなRe:Sを偶然手にとってくれたのが佐野史郎さんだった。

 佐野さんは島根県の松江市出身。佐野さんご自身はもちろんのこと、お父さんもおじいさんも、代々、写真が好きだったという。当然、植田正治も塩谷定好もご存知な佐野さんは、不勉強な若者たちが、せっかく赤碕までたどり着いたにもかかわらず、誌面に塩谷定好の「し」の字も出てこないことに悶々としたんだと思う。

 ある日、僕に一通のメールが届いた。
「俳優の佐野史郎と申します……」

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藤本智士(Re:S)

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やばい、うれしい……
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編集者。1974年兵庫県在住。『Re:S』『のんびり』編集長。著書に『風と土の秋田』『ほんとうのニッポンに出会う旅』共にリトルモア、『魔法をかける編集』インプレス。『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』など手掛けた書籍多数。
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