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やさしさの旅_02 「アメ民と風景印」

 まるで夏な青森市。市内を出る前に「アイスコーヒーと美味しいパンとか買えないかなあ」と、助手席で甘える僕の目にちょうどパン屋さんが映る。「この店はどう?」そう聞くとアンリは「ハード系のパン美味しいですよ」と即答。「Mont d'Or(モンドール)」という名のそのパン屋さんは、まさにハード系菓子パンが充実で、やたらと目移りして仕方がなかった。そんななか、この組み合わせにハズレなどない、ゴルゴンゾーラとはちみつのサンドをチョイス。「あとは美味しいコーヒーだね」という僕を、迷うことなく連れてきてくれたのが「COFFEEMAN good」という小さなコーヒースタンドだった。実はこのお店、新著『取り戻す旅』に登場する中村公一くんという友人が共同経営するお店で、ここを切り盛りするバリスタの橋本さんは公一くんにスカウトされたのだという。

 お店のデザインはとてもクールでいまっぽいけれど、なぜか感じる独特の可愛らしさ。その要因はそこに立ってコーヒーをサーブしてくれる橋本さんご夫婦によるものに間違いなかった。丁寧にコーヒーを淹れてくれる間に、奥さんが生産者の写真を見せながら豆のことを教えてくれて、その誠実な接客に心がゆるんでいく。しかも、お会計を済ませて店を出ようとしたら、ご夫婦二人揃ってお店の前まで出てきてくれて、にこやかにお見送りまでしてくれるのだから、みんなこの店が好きになるのも納得だ。そのホスピタリティの高さは、高級旅館のそれとはまったく違って、つまりはマニュアルめいたものではなく、じつに自然で、僕はなぜかふと、やなせたかしの「誕生日の詩集」というミニブックの表紙に描かれた、細身のカップルを思い出した。 

 偶然入店したコーヒー専門店のコーヒーに衝撃を受け、そこから都内を中心に150店舗もコーヒーショップをまわったという橋本さんが、バリスタの道に進んでいくのは必然だった。そんな彼が地元青森に帰省した際に見つけたのが、COFFEEMAN good。以降、帰省の度に必ず訪れるようになり、ある時、自身がバリスタの大会で使うために手に入れた珈琲豆を、お土産がてらCOFFEEMAN goodのスタッフに渡して帰ったところ、それを飲んだオーナーの公一君が感動。なんとその翌日、橋本さんが当時働いていた横浜の店まで公一くんが会いにきたという。そこで公一くんは「青森に帰ってきてコーヒー屋をやりませんか」と声をかけた。それをきっかけにご夫婦で青森への移住を決定。2017年8月、お店を引き継ぐかたちでリニューアルオープンしたのが、現在のCOFFEEMAN good。まさにその名が示すとおりのコーヒーと人の出会いを巡る良い話。

 そしていただいたコーヒーは抜群に美味しかった。

 美味しいアイスラテとパンをゲットして、向かうは十和田市。たしか前回、十和田にやってきたのは「くいしん」という変わった名前の後輩編集者の誘いのもと、「十和田ローカルメディア研究部」というトークイベントに呼んでもらったときだと思う。その際、僕ともう一人、柿次郎という名の編集者も一緒で、ネットメディアがベースの若い編集者たちはどうしてみんな奇妙なライターネームをもってるんだろうと、ふと思ったけれど、そういえば僕も、20代から30前半くらいまで、六畳川というペンネームで編集ライターをしていたことを思い出す。

 六畳川というのは、大学生の頃に友人と遊びで組んでいた六畳川兄弟というフォークユニットの名前からきている。1970年代の空気感みたいなものへの無闇な憧れがあった頃で、適当に名付けたその名前を、意外にわるくないと気に入ったのか、大学を卒業してユニットは霧消したものの、その名前と創作への情熱はしばらく残った。

 学生時代、アメリカ民謡研究部、通称アメ民(あめみん)という間の抜けた名前の倶楽部に入っていた僕は、表現者になりたいという若者らしい欲望を、音楽で満たそうとしていた。前述のとおり、60〜70年代のカルチャーにやたらと憧れていて、毎日ベルボトムを履きながら、ザ・スパイダース(堺正章さん、かまやつひろしさんらがいたグループ)や、ザ・タイガース(沢田研二さん、岸部一徳さんなど)をはじめとしたグループサウンズのコピーばかり演奏していたことを思い出す。そんな当時のバンド仲間は、その後メジャーデビューを果たしたり、いまもなお音楽を続けているやつもいるけれど、僕はもう、自分で演奏したり歌ったりはまったくと言っていいほどやらない。アメ民で音楽を楽しみながらも、自分の表現手段は、音楽ではなく、文章の方がフィットすると感じていた。

 当時から本を読むことが好きだった僕は、アメ民の仲間に本好きが多かったこともあり、当時流行っていた村上龍、村上春樹、花村萬月、中島らも、などの小説を貸し借りしては、互いに感想を言いあっていた。そして3回生の夏頃だったか、ついに、部活内の本好きメンバーたちとともに「アメ民読書研究会」なるものを立ち上げた。まあなんてことはない。それぞれが読んだ本の感想を僕がワープロで打ちなおし、そのプリントをコピー&製本して配るという、いかにも自己満足な遊びだ。

 家に一冊だけ残っていた「アメ民読書研究会 会報」。その冒頭にはこんな言葉が書いてある。

最初の言葉(発刊にあたって)
皆さん、こんにちは読書研究会会長の藤本智士です。
本を読むということは、その人の人生を大きく広げ、
その人そのものを大きくします
だいたい、平均一八〇 ㎝くらいになります。
だからつくりました。
ありがとう。

 このふざけた冊子を、落研や軽音楽部、美術部や会計研究会など、文化系倶楽部の部室に配って回った。絵に描いたような傍迷惑。きっとすぐに捨てられてしまっていただろうけれど、当時はそれでも構わなかった。自分が書いた文章をメンバー同士で読み合うだけでもじゅうぶん幸福だった。だから僕がはじめて編集したメディアは何かと問われたらそれは「アメ民読書研究会の会報」だ。

 今回十和田にやってきたのは「Book & Space 旅空間」という書店をアンリが見つけてくれたからだ。インスタを覗くと、「青森県十和田市にあるTravel Book Store「旅」の古本と新刊を販売する本屋」とある。新著にピッタリじゃないか。しかし、店主はどうやら十和田のガイドをされているようで、若干不定期な営業スタイルらしい。誰か連絡が取れそうな知り合いはいないかなあ? と考えたところ、一人の友人を思い出した。いまは十和田奥入瀬地域の観光振興に携わっているのだが、以前は『discover japan』という雑誌の編集者で、その頃、僕を取材してくれたことからご縁が生まれた安藤巖乙くん。彼ならきっとご存知のはず。そう思ってメッセージを飛ばしたら、すぐに旅空間の店主の中村さんという女性と繋いでくれて、それどころか十和田の書店でもう一軒気になっていた『TSUNDOKU BOOKS』さんにも連絡をとってくれた。やさしさ。
 残念ながらTSUNDOKUさんは出張に出られていてお会いできなかったけれど、無事に中村さんにはお会いできて、本を仕入れていただいた。

 なんだか安藤くんにはいつもお世話になってばかりなイメージ。そう言えば、くいしん君に呼ばれたトークイベントの際も、安藤くんが十和田を案内してくれたのだけど、その際、安藤くんの車に忘れ物をしてしまったことがあった。けれど、忘れていたのはとろろ昆布。安藤くんに食べてもらったらいいやと思ったのだけれど、薄くて軽いから郵便で送りますよと言う。ならばと、お言葉に甘えて、こうメッセージした。

 「じゃあ、そこにそのまま、切手と住所書いた紙貼って送ってもらえる? その方がオモロイから。面倒かけてごめーんっ」

 そして数日後、とろろ昆布が我が家に届いた。

 うん、おもしろい。こけし柄の用紙に押された十和田湖局の風景印がまたよくて、忘れものしてしまったことを肯定できるくらい(迷惑かけてるのに)ずいぶん嬉しかったのを思い出す。そもそも風景印について知ってる人はどれくらいいるだろう。20年近くこんな旅ぐらしをつづける僕は、娘に会いたい気持ちを込めて旅先からしょっちゅうハガキを出していたのだけれど、その際に必ず風景印を押してもらうようにお願いしていた。

 日本全国津々浦々、総数24,000局もある郵便局の約半分、1万局以上の郵便局にご当地風景印がある。郵便窓口で風景印押してくださいと伝えれば、誰でも、もちろん無料で押印してもらえる。僕の場合はいつも風景印が押されたハガキを一瞬お借りして、写真を撮らせてもらっていたので、そのせいで局員のみなさんをずいぶん緊張させてしまって申し訳ないなあと思っていた。「失敗してもぜんぜん良いですから。それも味になって好きなんで」などと言ってなお、一度別の紙に押して練習してくれたりする局員の方が多く、いつもやさしさを感じていた。
 いまや娘も大きくなって、最近は風景印を送ったりはしていなかったけれど、久しぶりにまた風景印を押してもらってハガキを出してみようかと思う。こんなに素敵な文化ですら、「効率」とか「生産性」といった言葉のもと、簡単に途絶えてしまうのがいまの世の中だから、編集者の使命としても、しっかり伝えていかなきゃなと思う。

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