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「想像」と「創造」がおなじ音であることの必然。

いとうと久しぶりに仕事をした。

いとうというのは
伊東俊介。
カメラマンだ。

いとうとは雑誌『Re:S(りす)』を立ち上げたときに出会った。
だから2006年、もう16年も前になるのか。

なんとかかんとか創刊号を作った後、いとうと話し込んでいたら
謎に意気投合して、Re:Sはなんだか面白い雑誌になった。
だからRe:Sは2号目からが面白くなったと思う。
2号目から誌面が明らかにおかしくなっていった。
3号目を出したとき、版元であるリトルモアの社長の孫さんから電話がかかってきて、いよいよ怒られるなとドキドキして電話を取ったら
一言「おもろいやんけ」と言われて腰が砕けそうになったのを覚えている。

編集チームが露出しまくる特集取材。
台割のない、行き当たりばったりな取材旅。
広告収入じゃない雑誌運営など、
とにもかくにも雑誌らしくない雑誌になったのは、
孫さんという大きな存在のもと、
いとうが僕の思いつきを
いちいち全部肯定してくれたからだ。

いとうとの出会いは人生のうちで
とてもとても重要な出会いだったといまでも強く思う。
いとうとの出会いを超える出会いは人生できっともうないだろう。

撮影:ごわすくん

とにかく、いとうは僕の盟友。
親友と呼ぶにはなんだか照れ臭いし
なんか少し違う気もするからやっぱり盟友。
どちらかというと戦友に近いかもしれない。
30代前半の血気盛んな頃、
共に業界とか社会とかに立ち向かった戦友だ。

とにかくそんな いとうだけど
雑誌「Re:S」を終えて、「ニッポンの嵐」という本を一緒に作って以降、
ほとんど仕事はしていない。

それは僕の仕事と彼の仕事が
枝分かれしていったからだ。

しかしそれはあくまでも枝分かれ。幹は同じ。
一つわかりやすいのは、
お互いずっと日本の地方を回り続けているということ。

この特集を出した2007年から二人ともずっと同じこと言ってる

僕は編集者として
彼は「いとう写真館」という移動写真館のカメラマンとして
日本各地をまわり続けている。

そしてもう一つは互いに「写真」に関わり続けていることだ。
一時期「りす写真館」という名前で、一緒に写真館イベントを開催していたこともあったけれど、僕は写真館よりももっと他の方法で写真やプリントの大切さを伝えたいと考えはじめ、それがいつしか「アルバム」というものに集約されていった。僕は編集者だから、アルバムという、編集行為の原点みたいなものに惹かれるのは当然だったかもしれない。

それでアルバムメーカーのナカバヤシさんに頼んで「アルバムの日(12月5日)」という記念日を制定したり、
富士フイルムさんの力を借りて「アルバムつくってますか?」というコピーのポスターを全国の写真店で展開したり、
大阪のHEP HALLや、名古屋の高島屋などで「ALBUM EXPO」というイベントを開催したり、
そして浅田政志くんとの共著「アルバムのチカラ」は、映画「浅田家!」の原案になったりもした。

一方いとうは、10年は続けたいと言っていた写真館をすでに15年以上続け、のべ15,000組もの家族写真を撮っている。
間違いなく、日本一家族写真を撮ってるカメラマンだと思う。

とにかく、いとうの話を始めると、いろんなことがあり過ぎて、とんでもないテキスト量になっちゃうから、下記に写真を数枚置いとくのでなんとなく察してくれたら嬉しい。

まあこんな調子だから
久しぶりに会えば毎度、泥のようになるまで飲みまくって
つぶれて命削って後悔してを繰り返してる。

いつぞやは大げんかして3年くらい口を利かなかったこともある。

✳︎

そんないとうに久しぶりに声をかけたのは、
岐阜県、飛騨古川という町に住む、たつくんという大切な友人のコーポレートサイトの制作に関わることになったからだ。

たつくんは、古民家の移築事業などを手がけていたりして、古いものの価値を、単純な希少価値だけでとらえず、そこにある技術や意匠をこそ残していかねばというクリエイティブ視点を持った人で、しかもそこに経済循環を見出し社会にフィットするよう実践してる尊敬する友人だ。

また、たつくんのパートナーの実果ちゃんは、得意の語学で海外からの観光客のみなさんのガイドをしたり、コロナ禍においてもオンラインツーリズムのあたらしい体験実践を試みたり、常に前向きに進み続ける素敵な女性。

そんな二人の会社のコーポレートサイトのディレクションを頼まれて、僕はシンプルに嬉しかったし、彼らの活動に負けない強いディレクションが必要だと直感的に思った。

彼らの仕事を下支えしてくれているというアリス(彼女がまたとても素敵)を含め、3名の社員それぞれのパーソナリティを前面に出すことが、今回のコーポレートサイトの肝だと感じた僕は、彼らのポートレートをどう撮るかがサイトの大きな要になると思った。


古民家の太い柱や梁のように、サイトの骨組みをしっかりと支えながら、それでいて環境に柔軟にフィットする遊びのある写真。そんな写真を撮るチカラのある人は誰だろう……

そう考えた時浮かんできたのは、

悔しいかな、いとうだった。

昨年だったか、いとうの活動が取り上げられたドキュメント番組を見た。そこでいとうは、家族の定義についてこんなふうに語っていた。「親や子供でなくても、自分にとって代わりがいない大切な人は、もう家族なんじゃないか」と。

たつくん、実果ちゃん、アリス
三人の家族写真を撮る思いで、いとうと二人、飛騨に向かった。

その仕上がりはいつしかサイトが完成したときに見てもらうとして、今回は飛騨に向かう道中で、いとうと交わした会話のなかの気づきについて書こうと思う。前置きが長くて申し訳ない。

✳︎

いとうが運転する車の助手席に座り、昔もこうやって日本中を旅してたなあと、なんだかエモい気持ちになりながら、互いの近況報告をしあう片道3時間半。そこそこ長いはずの移動時間も、いまの僕たちにとっては一瞬だった。あの頃は一週間でも10日でも旅を続けていたけど、いまはなんだか忙しくしてしまって、今日も日帰りせざるを得ないことになんだか悔しい気持ちになる。昔は無限に時間があるような気がしていたけれど、アラフィフなおじさん二人は、時間に限りがあることを自覚しはじめていた。

とはいえ結局他愛もない話をつづける僕らは、それぞれの現場でのエピソードを聞かせ合っていたのだけれど、現場におけるスタンスが共通していることに気づいた。それは、

「任せてください」
「信用してください」
というスタンス。

いとう写真館の大きな特徴は、モノクロのフィルムカメラで撮影をして、プリント職人さんが手焼きした美しい銀塩写真プリントをお客さんに届けるところにある。

デジカメで撮影したデータをサーバーにアップしてお渡しします的な写真館とはまったく違う。

シャッターをおした瞬間の手応えや仕上がりのイメージは、ファインダーを覗く いとうにしかわからない。フィルムカメラで撮影している以上、その場でモニターやPC画面を見せて、どうですか? こんな感じで撮れてますよ。とシェアすることは不可能なのだ。

しかしそうやって現場で安易に安心感を得られないことが、僕たちをプロフェッショナルに育ててくれたのだと思う。

いとうが何枚かシャッターをきったあと、被写体の人にむかって放つOKサインは、「信用してください。大丈夫です。いい写真撮れました。」という宣言であり、契りだ。そこには確固たる自信はもちろん、短い時間ながらも構築された被写体との信頼関係がある。こういった瞬発力がものを言うのは、どんな業界、どんな現場でも同じだと思う。

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