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ギャングのテスト

今年ほど学びの多い年はなかった。

2,30代じゃあるまいし、もう46歳のおじさんにとって、あらたな学びを実感することなんてなかなかあることじゃない。悲しいかな年齢と反比例して学びや気づきは減る。だからこそ積極的にあたらしい現場に踏み込んだり、あたらしい挑戦をしてみたり、個人的には何かとダイブすることを心がけているけれど、今年ほど社会全体として、気づきの多い年はなかったんじゃないだろうか。

気づきや学びはポジティブなことだけれど、それらは大抵ネガティブの裏返しだ。学びとは、辛さや苦悩のなかに見る一筋の光みたいなもので、だからこそ今年はそのひとつひとつの輝き方が桁違いだったように思う。何より今年は、多くの人が当たり前に進んできたその歩みを止め、現在や過去を振り返ったにちがいない。

誰もが必然という線路を黙々と歩いているつもりでいるけれど、ふとした瞬間、その道筋を振り返れば、必然だと思っていたもののほぼすべてが偶然だったことに気づく。今年の僕はまさに、そんな奇跡の軌跡を認識し直していく時間がとても豊かだった。

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今年の7月からスタートしたオンラインサロン「Re:School」において、サロンメンバーだけが読める連載記事を書いているのだけれど、そこでも僕は自分が編集者になるまでの道のりを書き記している。そうすることであらためて「編集」とは何かという問いを向き合っている。

最初の項をここに転載する。

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◉ギャングのテスト

 どうして編集者になろうと思ったんですか? その問いに僕は「本当は小説家になりたかったんです」と明後日の方向で返答する。僕はそもそも「作家」になりたかった。母親の影響で図書館に行くのが常だった小学生時代の僕は、「太陽の子」「兎の眼」などで有名な作家の灰谷健次郎さんが大好きで、灰谷さんの書かれた多くの児童文学に育てられた。なかでも僕にとって一番大切な一冊が、小学4年生のときに読んだ「せんせいけらいになれ」だ。

 実は最近ふと思い出し、あらためてページを開いてみたのだけれど、一節目からさまざまな感情がこみあがり、不覚にも部屋で一人号泣してしまった。46年生きてきて、そんなことは初めてだった。しかし溢れ出たその涙の理由について僕はハッキリと認識していた。そこに僕の原点を見たからだ。言うならば、僕がどうしていまここに立っているのか、その理由がそこにあった。

「ギャングのテスト」
※「せんせいけらいになあれ」灰谷健次郎(理論社)より

−学校からかえったら、すぐおべんきょうをしなさい。しゅくだいがあるんでしょ。
−おかあさんがよんだのに、どうして、おへんじができないの。もう、テレビは見せません。
−ロ答えはおよしなさい!
−おぎょうぎがわるい。そんなことでは、よそのおうちへつれていけません。
−こんなにおそくまで、どこであそんでいたの。そんな子はうちの子じゃありませんからね。そうして、ずっと、そとで立っていなさい
−どうして、そんなにけんかばかりするの。
−だれだ! よそ見をしているのは。よそ見をしていて先生の話がわかるのか。
−きたない字だな。もっと、ていねいにかくくせをつけなさい。
−マンガをかくのはやめましょう。よい子はマンガを見ません。
−わるい点をとってきたな。おとうさんは子どものとき、もっと、えらかったぞ。
−もんくをいわないで、さっさとやりなさい。このごろの子は、りくつばっかり多くて、しんぼうがたりない

 そんなおとなのこごとで、頭のなかが、わんわんと鳴っている人は、いまから、ギャングになることにします。しかし、ちょっとまってください。ギャングになるにもテストがあります。それに合格すれば、あなたはギャングになれます。

■「いちばんしたいこと」 二年 ひろた よしのり
 ひこうきにのって
 うんこをばらまいてみたい
 おしっこも
 空の上でおもいくそしてみたい


 こんなふうに、じぶんの思ったことを、すこしもはずかしがらずに、どうどうといえるのでなくては、とても、ギャングにはなれません。

 それから、ギャングはギャングらしく、勇気がなくてはいけません。すこしくらいは、おこりんぼでなくてはなりません。ギャングですから、かんろくがなくては、かっこうがつかないのです。

■「先生」 二年 おおつか しんじ
 おれ
 もう先生きらいじゃ
 きょうめだまとびでるぐらい
 はらがたったぞ
 となりのこに
 しんせつにおしえてやっていたんやぞ
 おれ
 よそみなんかしていなかったぞ
 先生でも 手ついてあやまれ
 「しんじちゃん かんにんしてください」
 といって あやまれ

 こわいだけのギャングでは、ありきたりで二流のギャングになってしまいます。一流のギャングになるには、ユーモア(おもしろみ)がひつようです。テストはなかなかむずかしいのです。


 僕は、ギャングの道へ足を踏み入れた。

 もちろん編集者はギャングではない。しかし当時、灰谷さんが「ギャング」と喩えたそれは、常識やルールを疑うこと、そしてもし、その常識とされていることがおかしいと思ったら声を上げること、行動すること、だ。世の中がこぞって一つの世界に突き進んでいたとしても、君がもっているその違和感をないものにしてはいけない。その違和感を大きな声で表現することが次の時代をつくるんだと、灰谷さんは子供たちに懸命に伝えんとしていた。だからいま僕が編集者としてやっていること、やろうとしていること、そのすべては、ここからはじまっていたんだと気づいた。まだ小学生だった僕が感じたあの気持ちが、自然と僕の爪先の向く方角を定め、だからいま僕はここに立っている。そう気づいた瞬間から、溢れ出てくる涙を僕はとめることが出来なかった。

 僕は編集者が何よりもまず最初にやるべき仕事が「小さきものの声を聴くこと」だと思っている。世の中が、見ていないもの、もしくは見ないふりをしたり、なかったことにしていることを、大きな声にして届けることが、編集者の大事な使命だ。僕がなぜそう思うのか、その原点が灰谷さんだった。40年近く経ってようやく気付くなんてことが本当にあるのかと自分で驚く。そしてもう一つ。灰谷健次郎という人は、小説家であり、児童文学者であるけれど、僕にとっては唯一無二の編集者でもあったという気づき。灰谷健次郎というギャングの親玉が、手下の詩をもとに、ギャングになるための手引きをつくり、世の中に出したというその仕事は、紛うことなき編集者の仕事だ。もちろん子どもの僕が、灰谷健次郎という作家が持つ編集者性をみたとは言わない。けれど、僕はこの「ギャングのテスト」に書かれた、子どもたちそれぞれの詩の面白さに興奮しただけではなく、その面白さを際立たせる構成にもトキめいたことは確かだ。

 つまり、既にある表現を集め編み直すことでまた新たな表現ができるという、読んで字の如し編集の根本原理を僕は灰谷さんに教わったんだと思う。

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とまあ、そんな感じで毎週毎週書き進めて、現在24話まで書いている。そもそも過去の振り返りが苦手(好き嫌いではなく記憶力が乏しい)な自分は、いろんな資料を引っ張り出しながら書いているのだけれど、あらためて記録や実物保存は大切だなあと思う。例えば、以下の写真のように、僕の編集の原点である、大学時代の同人誌が出てきたりして、しかも記憶と違うところが判明したりもして面白い。

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どうぞ鬼よ笑ってくれ! という感じだけれど、来年はこの文章をまとめた本を出版したいと思っている。

ということで、せっかくなので定期購読いただいた方に感謝の気持ちをこめて、この「アメ民読書研究会」という謎の組織のくだりを公開。来年は47歳、僕が物書きを目指すようになったのがこの大学生の頃だとすると、もう25年も経っている。当時想像していた自分ではないかもしれないけれど、ある意味、それ以上に幸福な人生だなあと思う。

新型コロナウイルスは僕に大きな気づきと学びをくれた。悲しい出来事を乗り越えて得た気づきは僕たちをさらに前進させてくれる。来年は編集者らしく、本も作る宣言。

どうぞ来年も、よろしくお願いします。

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