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日々の気づきや、違和感に対する感度の高めかた。

今日僕は腕まくりしている。
寒いし、本当はしてないけど、心持ちとしてはずいぶん腕まくりしている。

それくらい大切なことを言いたいなあと思って筆を取った。
もちろん筆持ってないけど、心持ちとしてはデカい筆を取った。

いきなりだけど、
僕は日常の解像度の高め方。つまり、日々の気づきや違和感のようなものに対する感度の上げ方が、わかった。

というのも、

地域編集をテーマに講演の依頼を受けたり、そこで調子に乗ってお喋りしたりしていると、「そんなふうに地域の宝物に気づくチカラや目線はどうやって育むんですか」といった質問をよくいただく。

「次は何を取材しよう、みたいなネタに困ることはないのか?」と聞かれることもある。

だけどネタに困るなんてこと全くないし、その土地のスペシャルを感じるとか、ちょっとした違和感や気づきを得るとか、そういうのは自然と湧き上がってくるものなので、「こうすればいいよ」なんて明確な回答が出来ず、僕はいつも困る。なんとか絞り出して答えても、せいぜい60点くらいだなとしか思えなくて、悩む。

でも、なんかわかったのだ。

日々の生活にふと感動したり、ちょっとした違和感に気づいたりするためのコツみたいなもの……いや「コツ」じゃないな。根本的な心持ちのはなし。

それは、

昨日より今日
今日より明日
をやめること。

この成長思考みたいなものに、そもそも僕たちは染まり過ぎているように思う。この考え方を起点にしていると、どんなものに対しても、より美味しいもの、より面白いもの、より刺激的なものと、知らず頭に「より、」がついてしまう気がする。この成長思考が、ちょっとした違和感を些細なものとして片付けてしまうのだ。

日々の暮らしのなかにある宝物っていうのは、頭に「より、」が付かないものだ。そのために大事なことは、昨日とおんなじ今日を過ごすことの幸福に気づくこと。同じことの繰り返しがあるからこそ、僅かな差異に気づけるのだ。

僕は普段、毎朝おんなじルートでおんなじパン屋に行っておんなじ席で、おんなじコーヒーを飲む。

このルーティンを最近僕はとみに幸福に感じるようになった。

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