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アルバムな旅07『アルバムサンタ』

 島根県松江市にある佐野史郎さんのご実家は代々お医者さんで、長男だった佐野さんも、本来はその五代目としてお医者さんになる予定だった。しかし勉強はそんなに得意ではなかったという佐野さんが、高校2年のときに、理系クラスではなく、私立文系クラスに振り分けられたことを機に、弟さんが医学部を目指し、あとを継いでくれた。当時のクラス分けが、運命の分かれ目となって俳優佐野史郎を生み出したのだから、いまとなれば実にNICEな選択だけれど、お父さんの兄弟、5人が集まって親族会議まで行われたというから、本人の罰の悪さったらなかったかもしれない。

 医療の道こそ歩まなかった佐野さんだが、音楽の素養などお父さんから引き継いだものがたくさんあって、その一つが、写真への愛だった。写真が上手などという言葉で片付けたくはないほどに、写真というものに対する愛を、佐野さんはお父さんから受け継いでいた。そんな愛の結晶が、佐野さんの娘さんまで入れれば6代にわたって代々受け継がれてきた佐野家の家族アルバムだった。

 僕は佐野さんに、いや、佐野さんのご両親がつくられたアルバムに出合うまで、恥ずかしながら気づいていなかったことがある。それを言葉にすると、なんて当たり前のことをと思われるかもしれないが、この単純なことを僕は本当の意味でまったくわかっていなかった。それは「写真には撮っている人がいる」ということ。

 佐野家の写真アルバムのプリントはとても美しく、それらが綴じられたアルバム自体もとても立派な装丁で、それは佐野家が特別ということではなく、当時、写真というものがいかに大切にされていたかを物語っていた。

 プロダクトとしてとても素敵なアルバムだが、何よりそこに貼られている写真たちが抜群に素晴らしかった。なかでも、佐野さんが生まれる以前、ご両親の新婚時代の写真が収められているアルバムに僕はとても感動した。たとえば、日差しの強い時間、地面に落ちた二人の影を撮影した一枚の写真がある。いまでこそ自分の影にシャッターを切るなんてことを当たり前にできるけれど、当時、写真はとても高価なものだったに違いない。際限なく撮れてしまうスマホ写真のように、気軽に日常を撮るなんてことができなかった時代にもかかわらず、お父さんが切り取る写真は、日々のふとした瞬間の幸福に満ち満ちていて、且つそれらの写真が実に芸術的で構図が素晴らしく、およそ素人のものとは思えなかった。

写真の町シバタ2023 特別企画展「ALBUM〜まなざしの先の俳優・佐野史郎」
2023年10月1日(日)〜1月14日(日)
会場:吉原写真館

 また、若かりしお母さんの姿がとても愛らしく、ページをめくるごとに現れるお母さんの姿に、何度も「かわいいなあ〜、かわいいなあ〜」と声が漏れそうになった。いや、もはや漏れていたに違いない。そんなとき、同じく「かわいいなあ〜、かわいいなあ〜」という声がどこかから聞こえた気がした。けれど、僕のまわりには誰もいない。「かわいいなあ〜、かわいいなあ〜」というその声は僕の頭の中から聞こえており、しかしその声の主は僕ではなく、目の前にいる可愛らしい妻の姿をファインダー越しに覗く、お父さんだった。まるで当時のお父さんが僕に憑依したようなその体験を経て僕は、「写真には撮っている人がいる」という当たり前のことに気づいた。

写真の町シバタ2023 特別企画展「ALBUM〜まなざしの先の俳優・佐野史郎」

 僕にも母親がつくってくれたアルバムがある。よくこんなところに入れたもんだという小さなバケツに裸のまましゃがみ、じっとこちらを見る幼い僕。現代のものと比べて実に簡素なベビーカーに座り、無いよりマシといった程度の日除けの下で、眩しそうにこちらを見る僕。その下には母親の字で「マブチィー」などと書かれたシールが貼ってある。そんな小さかった僕の姿はもちろんのこと、若かりし母親の姿や、趣のある調度品たちも見ていて飽きず、「おかん若い〜」「このおもちゃ覚えてる〜」などと言いながら、折に触れて手に取っては、そこに写る当時の暮らしぶりを面白く眺めていた。

 つまり、佐野さんのご両親のアルバムに出会うまで、僕はそこに写っているものしか見ていなかった。けれど僕は気づいた。そうか、ここに写ってこそいないけれど、これらの写真を撮ってるのは全部、親父だ……。

 そう気づいた瞬間、涙がとめどなく溢れ出た。

 それは僕にも娘が出来たからだと思う。アルバムって大切。アルバムって大事。アルバムは守らなきゃいけない。僕は心底、そう思った。綺麗事とかではなく、ただただ純粋に必要なものだと思った。この文化を絶やしたくない。そう思って僕は『ALBUM EXPO(アルバムエキスポ)』というイベントまで企画した。

「アルバムつくってますか?」
 その一言をキャッチコピーに、2009年に幕を開けた「ALBUM EXPO」。デジタルカメラ全盛の時代にあって、写真をプリントしアルバムで残していくことの大切さを伝えるべく、佐野史郎さんのほか、ミュージシャンのCoccoさん、写真家の平間至さん、イラストレーターのtupera tupera、サッカー選手の中澤佑二さん、お笑い芸人の小藪一豊さんなど、様々なジャンルの著名人の方、50人の幼少期のアルバムなどをお借りして展示した。

 2009年当時、FUJIFILMやアルバムメーカーのナカバヤシが同時期に実施した調査によると、子育て主婦層と呼ばれた、本来もっともアルバムづくりに近いはずのお母さんたちの間で、実際にアルバムづくりをしているのは、両社ともに結果は約50%だった。うちの妻のまわりの、いわゆるママ友のなかには、子供が描いた絵をスキャンして原画は捨てるなんて人も増えていて、フィジカルなモノとして思い出が存在することの価値を伝えなければと、正直僕は焦っていたように思う。

 動員数や話題性など、イベントとしての成功を受け、さらに翌年の2010年12月には第二回を開催。浅田政志くん、梅佳代ちゃん、川島小鳥くんなどといった人気写真家たちにも全面協力いただいて、すべてのアルバムを手に取って見られるように展示した。とにかく、よりリアルにアルバムをのこしていくことについて考えられるよう、ワークショップなども数多く展開。さらにはナカバヤシを巻き込んで、12月5日をアルバムの日と制定した。

 その後もFUJIFILMさんと連携し、全国の写真屋さんでアルバム啓蒙活動を続けるなどした結果、2009年のアンケート調査では約50%だった子育て主婦層のアルバムづくりが約70%まで上昇した。編集者として自分がやれることはもうやりきったかもしれない。そんな風に思い、今年はもうアルバムエキスポは開催しないでおこう。そう思っていた2011年3月、東日本大震災が起こった。

 結果、2011年7月に、急遽『アルバムエキスポ ニッポン』というタイトルで、浅田くんと二人、東北沿岸部の写真救済現場を回った記録を展覧会にして開催した。その展示の冒頭に、僕はこう書いた。

 津波で多くを失ってしまった被災者の方々。ようやく警報が解除されたそのとき、変わり果てたわが家を前に、必死になって探すモノは、高級ブランドのバッグでも、高価な時計でもなく、一冊のアルバムでした。

 その後、この展示は『アルバムのチカラ』(赤々舎)という一冊となり、さらに時を経て、本書を原案の一つとする、映画『浅田家!』にもつながった。

 デジカメ全盛の時代にあって、写真をプリントするという文化はずいぶん下火になってしまった。けれど「アルバム」は、まさに親の愛の結晶だ。佐野史郎さんとの出会いは、僕に「アルバム」という存在の大切さを教えてくれた。今回のnoteの最後にどうしても見てもらいたいものがある。それは、佐野家に残る家族アルバムのおかげで気づくことができた、この大切な思いを伝えようと、尊敬するイラストレーターの寺田マユミさんの力を借りて、2010年につくった物語だ。タイトルは『アルバムサンタ』。

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