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答えより、問うことに意味のある問い。

久しぶりの東京。目当ての路線に向かって、潜ったり上ったりを繰り返す地下(鉄)迷路を彷徨いながら、目的地へと向かう。

8時がピークだというラッシュ時間をなんとか避けたいと、朝6時過ぎの地下鉄に乗った僕は、東京とは思えないほどガラガラの車内でゆったり座席に座りながら、もう少し遅くても良かったかなと思う。乗車時間は30分、しばしまどろむ僕の目に、何かの広告のコピーが映る。

「成功する人は、週末を無駄にしない。」

だとしたら、平日に書いたに違いないなと思いながら、それでもこのコピーがクライアントへのプレゼンに成功したであろう事実に、都会の人たちの心の昇降を感じて、日本でも「パラサイト」みたいな映画が撮れるような気がした。

消費を促すのに最も効果的なのは、おそれを与えることというのは、もはや周知の事実だけれど、「成功する人」という概念が与える、仄かなおそれは実にやっかいだなあと思う。

世の中にはびこる、こういう言葉の数々を少しずつ少しずつ減らしていきたいと、編集者の僕は思うけれど、そんな僕の微かな抵抗など、荒い鼻息ひとつで軽く吹き飛ばされてしまうようだ。こんなコピーを毎日みながら通勤していたら、不要な焦りが芽生えそうで、つらい。

家族で過ごす休日や、本を読んだり、映画を見たりする時間の大切さはもちろんのこと、それ以上に、ただボケーーーーーッと過ごす時間、ひたすら寝たり、延々とゲームして気づけば日が暮れてたりする時間を僕は全力で肯定したい。それで人生を失敗と言われるなら、失敗上等だ。

成功する人は、週末を無駄にしない。
(一方あなたは……)

こういう言葉の積み重ねで社会の空気が醸成されていくのだとしたら、経済格差の拡大の大きな要因の一つに、こういう言葉があるんじゃないかと本気で思う。

成功があれば失敗があるように、ポジティブな言葉が浮き彫りにするネガティブがある。僕たちはもう少し、そのはざまのグラデーションにあるリアルに思いを馳せる訓練をした方がいいかもしれない。0か1か、白か黒か、そういったことの間に向き合うことが大切だ。

先日、仙台で、この数年とてもお世話になっている女性の先輩と食事をさせてもらった。その先輩は、東日本大震災の伝承施設「南三陸311メモリアル」のプロデュースをされており、その施設のなかで流す映像の内容と意図について、熱く話してくれたのだけど、その話がとても示唆に富んでいた。

施設に訪れた人が見るその映像は、来館者に向けて幾つもの問いが投げられるそうだ。例えば、津波がすぐ近くまでやってきたときに、目の前の背の高い建物の屋上に上るべきか、高い丘の方へ逃げるべきか、あなたならどちらを選ぶ? と。

さて、あなたならどうするだろう?

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