「待つ」は、わるものじゃない。
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「待つ」は、わるものじゃない。

いまは大阪に移転してしまったけど
神戸に『喫茶月森』という喫茶店があった。

そこに僕は年に1度か2度通っていたことがある。

喫茶店なのに年に1、2回で「通う」なんて言うのはおかしいと思うかもしれないけれど、月森はそう言ってもいい理由があった。

しかしその理由は、大人気で予約が取れないとか、そもそも年に数回しか空いていないとか、そういうことではない。

今日は行くぞ、と腹を括りさえすれば誰だっていける。
そう、腹を括りさえすれば……

これはある日の僕のツイートだ。

つまり時間に余裕がなければ行けないお店なのだ。

ホットケーキが有名な月森は女性お一人で切り盛りされていて、且つとても丁寧に時間をかけて焼いてくれるので、例え一番乗りでお店にやってきたとしてもホットケーキが出てくるまで1時間近くかかる。小さなお店ながら数組のお客さんが入店できるので(とはいえMAX2人席)、伴って席についてからも2時間3時間待ちというのが常だ。

それを踏まえて伺うのが月森の流儀。

よく「何時間待たされた」なんて言い方をする人が多いけれど、待たせてもらったという気持ちになった方が生きるのが楽ちんだと僕は思う。効率の2文字にやられてしまった僕たちは、待つことをポジティブに捉える機会が少なくなってしまった。でもそういう時間は必要で、けれどいまはかなり意識的にならないと手に入らない。

だから僕は、「月森のあのホットケーキを食べたいな」という気持ちを、「あのホットケーキを待ちたいな」という気持ちに変えて、いつも読みかけの本を持って月森に向かった。

しかし、待つことはいつからこんなにもわるものになっちゃったんだろう。僕がいまだフィルムカメラで写真を撮るのは、現象を「待つ」時間を楽しめるからだし、りすなお店で、とびっきりおすすめのミニマム財布を受注生産で販売しているのは、待つ時間からお客さんが作り手に思いを馳せてくれるからだ。

「待つ」は、意外とわるものじゃない。

僕たちは待たせてくれない世の中を生きている。そこにリズムを合わせていたら、しんどくなるのも当然だ。

かつてそうツイートしたように、待たせてくれる環境がなくなっている世の中で待つことを選択することの意味はとても大きい。

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編集者。1974年生まれ。『Re:S』『のんびり』『なんも大学』編集長。著書に『風と土の秋田』『魔法をかける編集』『アルバムのチカラ』。その他『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』(佐藤健)など手掛けた書籍多数。 http://bit.ly/satoshifujimoto