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やさしい花

6日ぶりに出た外の世界。

朝日の眩しさがやけに優しくて、いつもの道をただ自分の足で歩くというだけで、胸があつくなる。踏みしめる足元が、大きめな僕の体を丸ごと受け止めてくれる気がしたのは、落ち葉のクッションのおかげ。季節は冬。だけど今年はなんだかまだ秋色だ。

39度越えの高熱が3日間つづき、その後も38度前後を行ったりきたり。今朝になってようやく、37度以下まで落ち着いた。
仕事もプライベートも、いろんな予定をキャンセルさせてもらい、ありがたいと感謝しつつも、溜まる仕事のことが気になって心休まらず、とにかく長い1週間だった。

そんなことでnoteの更新もできず、それもまた僕を苦しめていて、やっぱり僕は書きたい人なんだなと再認識した。

いったいどこで貰ってしまったのやら……と思うけれど、免疫力が弱っていると感じたときの無理はいけないなと肝に銘じた。会いたい人に会いに行き、見たいものを見る。ある意味それが唯一の趣味であり娯楽な僕は、ちょうど、責任の大きなお仕事がひと段落したこともあって、先輩の写真展を拝見するべく、新幹線や箱根登山鉄道を乗り継いで、箱根彫刻の森に行ったり、会期終了前になんとしても見ておきたかった棟方志功展を観に東京に出たりしたけれど、ひと段落したお仕事の負担が想像以上に大きかったのかもしれない。そんな気の緩みと、行動に比例してやってくる圧倒的なインプットに、思いの外、負荷を受けていたのだろう。

展示、素晴らしかった。
おもいのほか、ピカソの作品に影響を受けて創作意欲モリモリ。
行けてよかった。。。

戻ったその足でそのままイベント登壇したり、その後取材が続いたりもして、元気だと思い込んでいた身体を知らず酷使してしまい、さらに数日後の夜、急に高熱が襲った。気をつけていたつもりなんだけどな……。

コロナ禍以降、近くの内科の対応もうまく出来ていて、高熱患者の場合、駐車場に到着後電話したら、すぐに車まで看護師さんがやってきてくれて、名前を確認するや否や、車のシートに座ったまま、鼻に棒を突っ込まれ、15分後にはお医者さんがやってきて「コロナではありませんでしたが、インフルエンザA型です」と言われた。スピーディー。

気管で広がるウイルスを抑えるための、吸引型の薬や、しばらく高熱が続くだろうからと、頓服。また、つらい咳の薬などを処方してもらった。薬をもらったことでなんだか安心したけれど、それでもしばらく熱が下がらなかったので、また次第に不安が募った。

こういう時に思うのは、僕の周りにたくさんいらっしゃる、基本疾患を抱えた友人たちのことだ。彼らがもしこのような病気にかかってしまったらと考えると、自分の行動の甘さにゾッとする。自分がまたかかるのがいやだとかそんなこと以上に、いかに拡げないかが大事だ。誰かにうつしてしまわないためにも、まず自分がかからないことの大事さを思う。

ありがたいことに、打ち合わせをキャンセルしたいと、僕と同じくフリーランスに近い立場の友人たちに伝える度、「お互い身体が資本だから、なにも心配しないで、ゆっくり休んで」と言われた。その優しさに心と頭が不安定な僕はいちいち泣きそうになる。「身体が資本」わかっているつもりの言葉を、こうやって体感しなければ肝に銘じない自分が恥ずかしく、本当にオイラはダメだと申し訳なさを抱えて布団にくるまった。

けれど人生は、イマジネーションを縦糸にフィジカルの横糸が往復する編集だ。高熱にうなされ、喉の痛みに耐えながら、咳をくり返すことで重なる地層が、またひとつ僕の未来のイマジネーションを強くする。

熱が引かず、もっとも辛い状態だったある日の昼下がりのこと。布団にうずくまる僕の耳を刺すように、玄関のチャイムが鳴った。起き上がることも億劫だったゆえ、無視しようかと思ったけれど、いまどき無闇なセールスなわけもないし、宅急便であれ、なんであれ、配達者の方のことを想像したら申し訳ない気がして、しぶしぶ対応することにした。インターホンのむこうに立っていたのは、宅急便ではなく、郵便局員の方だった。結果、僕はこの郵便局員さんにずいぶんと救われるのだが、この時点では正直、面倒だなと思っていた。

郵便局員さんが、こちらの状況を察してしまわないよう、玄関の扉を少しだけ開けると、局員さんはいきなりこう話した。

「本当はこういうことしないんですけど、小さいお子さんからのお手紙なのでと思って……こちらの宛先に間違い無いですか?」

みてみると、子供の文字で、二年ほど前にここに引っ越してくる前の住所と、宛名部分には確かに僕の名前が書かれていた。引っ越したと言ってもここから数分の距離なのだが、とはいえ、すでに郵便物の移送期間は過ぎているし、まさに局員の方がおっしゃるとおり、個人的な判断で、ここまでハガキを届けてくれたに違いなかった。

妻も働きに出ているので、もし僕がいなかったら、もし僕があのまま面倒だと布団から出なければ、このハガキは転居先不明で処分されていたかもしれない。そう思うとまるで奇跡に思えた。

というのも、このハガキは、娘からの手紙だったからだ。しかも、10年前の娘からの。

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