見出し画像

生産性が高いか低いかで価値を判断することへの違和感。

東京オリンピックがいよいよ開幕しそうだ。こんなにも望まれぬまま、それどころか多くの人を不安にさせてまで決行しなきゃいけないオリンピックをとても不憫に思う。このゴリゴリの強行の奥にある体質に僕たちはいよいよ対峙して、根本的に変化させていかなきゃいけない。

そんなことを考えていたとき、以前SNSで

「“疲れた=仕事した”と勘違いしてないか?」

という言葉に、多くの共感が寄せられているのを見て、違和感を抱いたことを思い出した。

「疲れた=仕事した」わけじゃない、ってことはもちろん理解できる。だけど、この言葉のシニカルさに、昔ながらのビジネスマン的胸板の厚さを感じてしまった僕は、思わず身構えてしまった。そして咄嗟に、こう言い返したくなった。

そういうあなたは、
「“稼いだ=仕事した”と勘違いしてないか?」
と。


あのとき僕が抱いた違和感の正体はなんだったのか? そこに、止められぬ東京オリンピック開催と同じ匂いを感じたのだと思う。そしてその匂いの元は、

生産性が高いか低いかで、価値を判断する世の中への嫌悪感だと気づいた。

この続きをみるには

この続き: 623文字
記事を購入する

生産性が高いか低いかで価値を判断することへの違和感。

藤本智士(Re:S)

200円

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ラッキーカラーはブラウン!
編集者。1974年生まれ。『Re:S』『のんびり』『なんも大学』編集長。著書に『風と土の秋田』『魔法をかける編集』『アルバムのチカラ』。その他『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』(佐藤健)など手掛けた書籍多数。 http://bit.ly/satoshifujimoto