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はじめてのおつかいがい_04

 昼間から思いのほかお腹いっぱいになったところで、いよいよ今回の旅の大きな目的の一つである、Kさんのコーヒー農園へとやってきた。

上のほうに写ってる緑の果実はみかん。この農園は基本みかん農園のようで
その合間にコーヒーの木が植えられ共存していた。

 コーヒー【豆】とは言えど、実はコーヒーは豆科の植物ではない。コーヒーというのは「コーヒーノキ(和名はそのまま、コーヒーの木)」の種子で、白い花を咲かせた後にできる赤い実の【種】がコーヒー豆だ。この赤い実がさくらんぼに似ていることからコーヒーチェリーと呼ばれている。

 最近は食べ物の背景をしっかり伝えようとする飲食店も多いし、それこそスターバックスの店内展示などでも赤いコーヒーチェリーの写真やイラストを見かけたりするから、目の前で真っ赤に実るコーヒーチェリーに、「あ〜これが噂の……」と、有名人に出会ったような気持ちになる。するとKさんが「よかったら、さくらんぼみたいに食べてみてください」と言う。

 木から実を取って、おそるおそる口に入れてみる。

 あ、あ、甘ぇ〜〜〜!

 まさにチェリーだった。なんだったらクリームソーダやコーヒーゼリーやプリンやパフェにお飾り的に乗せられているあのシロップ漬けのチェリーなんじゃないかと思うくらいに糖度が高かった。そして実のなかにある種、つまり、のちのコーヒー豆を口から出す。

コーヒーチェリーの種。つまり、精製前の白いコーヒー豆

 僕は、いよいよコーヒーって謎だなと思う。

 だってふつうに考えてほしい。見た目こんなに美味しそうな果実がたくさんなるんだから、さっきの僕のように、誰かがいちかばちかそれを口にしてみることは想像できる。そして「うんめぇ〜〜〜!」「甘ぇ〜〜〜!」ってなっただろう。問題はそのあとだ。ここでまさに、クリームソーダやコーヒーゼリーやプリンやパフェにお飾り的に乗せられているあのシロップ漬けのチェリーの末路を想像してほしい。

 そう。

 種をペッ! だ。

 なのにコーヒーはこんなにも「甘ぇ〜〜〜!」ってなる美味しい果肉のほうをペッ! してるってこと。いったいどんな偏屈野郎が編み出した技法なんだ。これ、最初は冗談のつもりだったんじゃないだろうか。まさか捨てられた種をもサステイナブルに!みたいな(なら果実こそ活かせ)ことじゃあるまいし、まあ、もったいない精神はあったかもしれないけど、これはどう考えてもシュールなコント。かもめんたるの岩崎う大さんあたりが書くコントだろこれ。コーヒー、謎すぎる。

 この数日後に僕はコーヒーの精製過程を見せてもらうんだけど、その手間のかかりようは半端じゃなかった。さくらんぼで言えば、せいぜい「種飛ばし大会」が露出ピークな種を、手間ひまかけて愛でて愛でて焙煎して削って丁寧にお湯かけて飲んで「美味い!」って、なんだそれ! いやコーヒー大好きなんで毎日飲むんだけど、あらためてほんと不思議。これまでも、コーヒーって「挽いたり」「淹れたり」とやたらと忙しい飲み物なので、その独特の手間も含めて美味しいのだよなと感じてはいたけれど、その工程にえも言われぬ面白さのようなものを感じたことはなかった。

 前回の記事の最後、僕は、宗教的な理由から肉を食さないという文化に出会ったことをこう書いた。

これまでぼくはその土地の食べ物に対して、気候風土という変数しか持ち合わせていなかった。それは「こんなものも食べるの?」とか「こんなふうにして食べるの?」といった、食することに対する興味だったけれど、ここにきて僕は「これも食べないの?」「これも食べられないの?」という食さないことに対するアンテナが増えた。これだけでもうバリ島に来た意味ある。

はじめてのおつかいがい_03 藤本智士

 つまり僕は「食べないこと」へのアンテナがビンビンになってた。だからコーヒーチェリーの種子を「食する」ことへの執着と同時に、この果肉を「食さない」ことへの興味や疑問が猛烈に膨らんだのだ。とはいえ、そんなことを現場で誰に話すわけでもないので、このnoteのようなアウトプット先をつくっておいてよかったなと思う。延々、こんな話読まされてるみなさんには申し訳ないけども。

収穫されたコーヒーチェリー
しっかり洗って
緑のものがあったらそれを手で選別
綺麗になったコーヒーチェリーを
果肉と種を分ける機械に
果肉を剥かれた種を袋で受ける
その種をタンクでしばらく熟成

 って、この過程だけでもなかなかの手間だけど、こんなのもちろんまだまだ序章だ。しかもこのときの僕は、食さないほうの果肉のことが気になって仕方がなかった。上の写真のように果肉を剥かれた種はこの後さらなる手間をかけて我々が知るコーヒー豆になっていくのだけれど、ではその一方で、果肉はどうなっているのか? 

 なんとまあ、その果肉。あんなにも甘くて美味しかったあの果肉を食べてるの、鶏だったよ。

 鶏、超ラッキーだよね。こんなの人間なら、確実にメタボまっしぐらじゃないか。健康診断でお医者さんに「最近運動してますか?」とか言われて「できるだけ階段使うようにしてます」みたいな、薄〜い嘘を言うあのくだり確実だ。

意外と鶏たちスリムだったけど

 いやあ面白い。コーヒーって面白い! Kさんは、そんな面白みを感じてもらうために僕をバリ島まで連れてきてくれたわけじゃないと思うけど、でもなんか、人間、面白すぎるな。

 ちょっと脱線しすぎたので、時間をコーヒー農園に戻す。人生初のコーヒーの収穫をさせてもらって、これがとても楽しかった。コーヒーというものが農作物であるという、当たり前のことをとてもフィジカルに体感できたことはとても大きい。世界の国別コーヒー消費量を見ると、1位のEU、2位のアメリカ、3位のブラジルに続いて、なんと日本は4位だった! にもかかわらず、日本はコーヒーノキの生育条件に合わないことから、その99%以上を海外からの輸入に頼っている。ここまで日常的な飲み物であるにもかかわらず、国内生産がほぼないというのがまた本当に不思議な飲み物だなと思う。今や世界が認めるコーヒー好きな日本人だけれど、こうやってコーヒー収穫を体験することはもちろん、コーヒーチェリーの実がなる姿を見ることすら難しいのだから、貴重な体験だったなと思う。


延々、とり続けちゃう。
赤い実だけをとっていく。
我ながら嬉しそうだな。

 あんなに楽しかったのに、しばらくすると急激に疲れが出始める都会暮らしおじさんたち。そこでいよいよ今度は、Kさんが営むカフェへと移動することに。その途中、運転をしてくれていたバユさんが突然車を停めた。道端の露店で売っているバリの伝統的なお菓子がとても美味しいのだという。まだ昼食のバビグリン(豚の丸焼き)がお腹に残っていたので、のちほどいただくことにしたのだけれど、この露店のお母さんの手際がとても美しくて思わず見惚れてしまった。

 先客の方もいたし、きっと人気なんだろう。ちなみに僕が長くお仕事をさせてもらっていた秋田県には「ババヘラアイス」と呼ばれる路上のアイス売りの母さんがたがいらっしゃるんだけれど、バリの露店の母さんのふるまいに、僕はババヘラの母さんたちを重ねた。ババヘラの由来は「ばば」が「ヘラ」でアイスを盛るから、というなんとも昭和風情なものなんだけど、ヘラひとつで手際よくアイスを盛る姿は、とても見応えがある。しかもその盛り方がイタリアンジェラート的なものではなく「バラ盛り」と言われる、まさに薔薇の花のような盛り方で、見た目がとても美しいのだ。

 いまはババヘラアイスの露店を見かけて買いに走れば、ほぼ全ての母さんがバラ盛りできるようになったけれど、僕が「バラ盛りすごいすごい」と言い出した十数年前は、ほんの一部の母さんだけの技術で、わざわざバラ盛りをしてくれる母さんを探してまわっていたものだ。それがいまや、他県の同業者さんまでバラ盛りしてるというから、こういう食文化や技術の伝搬って面白いなと思う。ある意味でこういうのも地味な観光編集の成果だと自負したりもするし、余計なことをしてしまったような気もする。下の写真はyoutube見てバラ盛り練習したと言ってた弘前のカランカランアイス(2015年撮影)↓

 それこそ昔からアイスクリン的冷菓が大好きだった僕は、自分でもバラ盛りをやれるようになりたくて、展覧会のレセプションで自らバラ盛りを振る舞ったこともあった。あの頃は「ババヘラアイス」じゃなくて「バラヘラアイス」って言われるようにしたいんだよ!とか言って、バラ盛りを広めるのに必死になってた。下の写真は自分でつくったバラ盛り↓

 相変わらず脱線しすぎだけど、とにかく僕はバリの露店のお母さんに、地域や人種などを超えた、普遍的な手仕事の美しさを見た。バリ島に来て感じることの一番は、この「手」だった。コーヒーチェリーの収穫ももちろんそうだし、バリ島で僕は、画面を触る手ではなく、自然のものに触れる手を何度も感じることができた。スクロールでコーヒーは淹れられないし、スワイプでコーヒーチェリーは大きくならない。そんな当たり前のことをなんだかとても真剣に考えてしまった。

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