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矛盾を排除しない。

 苦楽園と呼ばれる町に住んでいる。僕がこの町をとても気に入っているのは、環境的なこともおおいにあるのだけれど、それ以上に好きなのが名前だ。楽園でも苦園でもなく、苦楽園。暮らして15年くらいになるけれど、まさにこの町でさまざまな苦楽を重ねてきた。

 こういった相反する概念が共にある言葉に、僕はリアルとロマンをみるけれど、科学的な明晰さを求める現代社会において、それらはすぐに矛盾という言葉とともに槍玉にあげられる。

 けれどみんな知っているはずだ。矛盾と呼ばれるものの多くが、たんに相反するだけではなく、まさに苦楽のように互いに補完し合っていたりすることを。

 数日前のこと、あたらしい企画のアイデアを練るべく、意気揚々とカフェに向かうも、どうにも集中力が持続せず、なんとなく行き詰まってしまった。そんなとき、傍にあるスマホに手を伸ばしたが最後、延々とSNSをサーフィンし続けてしまったのだが、おかげで午後に友達のトークイベントがあることを知り、いまならまだ間に合うんじゃないか? と慌ててむかった。

 出会った頃は、オールユアーズというアパレルにいて、いまは名古屋の自転車屋さんCirclesでディレクターをしている、きむにいこと、木村まさし君と、きむしょうさんこと、木村石鹸代表の木村祥一郎さんとのトークで、それはそれは充実のトークで、帰る頃には見事に頭が冴えまくり、このアイデアを早くしたためたいと挨拶も早々に家に戻った。

 トーク内容の仔細を書くつもりはないものの、ここでこの話題を出したのは、その際の、きむにいのちょっとした言い回しが、いまも思い返して微笑んでしまうほどに素敵だったからだ。その言葉は実に矛盾に満ちた、ロマン溢れる言葉だった。

 木村石鹸代表のきむしょうさんが、社員さんにイベントをやってもらうなら、中途半端に管理コントロールしようとせず、世間で言う「PDCA」=Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)を丸ごと任せてしまった方がいいという話をされていたときのこと。

 社員さんたち自らが企画した工場解放イベントが、正直、素人しごとで、まるで学園祭のような仕上がりだったものの、きむしょうさんの想像に反して、たくさんの人が訪れたことに驚いたという。

 そもそも地域雇用が多く、学生時代の先輩後輩という関係性をそのまま引きずっている部分も多く、それゆえ学園祭のりになってしまうのだけれど、それはそれでずいぶん楽しそうで、業務時間が終わった後も「早く帰ったらいいのに」と思うのに、なんだかずっとふざけ合ってイベントの準備に勤しんでいたそうだ。

 そんな話を受けて、きむにいはこう言った。

「良い意味で悪ふざけしてくれたんですね」

 あまりにもさらりとした言葉で、誰もこの一言を気にも留めなかったと思うけれど、僕は一人、なんていい言葉だろう。と思った。悪ふざけも場面によっては良い結果を生む。こういう言葉遣いにぼくは真実をみる。僕がときめいたのは、この時話されていたことの主題では決してないけれど、真実はつねに矛盾をはらみ、白黒はっきりしたものではないんだよなと、あらためて思えて嬉しかった。

 世の中にもっとこういう言葉が溢れれば良いのにと思う。そういったことを最近身近に感じるのは、大阪万博についての話だ。facebookなどで大阪万博について、本当に中止することができないんだろうかというようなことを書いたりすると、関西の友達はなんとなくみな、見なかったことにしている空気を感じる。それは少なからず、万博の何かに関わっていたり、推進に加担していたりするからだろう。

 けれど、それはそれ。そこにはさまざまな事情があるのだから、その一方でなお疑問に思ったり、やっぱりやめた方がいのではと悩んだりしている気持ちを吐露したっていいのになと思う。言ってることとやってることが違うなんて、当たり前にあることだし、そんなこと恐れる必要はない。意見はコロコロと変わっていくものだ。

 筋が通っている。というのを美徳とする日本人は、意見が変わることを良しとしない。いったいなぜか。それは、きっとそれはやっぱり管理したいからだ。不安定でよくわからないものは管理したりコントロールしたりできない。そういうものをみな怖がる。だけどそもそもどうして管理コントロールしようという気持ちが芽生えてしまうのか、考えてみて欲しい。

 きむしょうさんが、PDCAを丸ごと任せてしまった方がいいとおっしゃったのは、管理することからの脱却。ある意味で自然にまかす。身を任せるということ。そうする方がきっとうまくいくってことは、世の中にたくさんある。

 組織に生きていると、プロジェクトマネージメントや進行管理などというものが、とても大事になるのはわかる。そこに不確定な因子が入り込むと、すべてが崩壊していったりもするから、そこにたいする恐れがあるのは当然だ。だけどあなた個人の矛盾をも排除することはない。

 僕は矛盾したものにこそ真実があると常に思っている。だからあなたの抱えている相反する気持ちは、決して矛盾していると批判されたり、そのせいで押し込めたり、なかったものにしたりすべきものではないと思う。

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