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もっともっと、頑張らない。

 40歳を超えた頃からか、やんわりと健康に気遣いはじめたものの、それでも食べることが大好きな僕は、取材やら講演やらで、いろんな地方に行っては、その土地の旨いものを食べ飲みし続けてきた。いまだにそういった「食」への貪欲さは変わらないのだけれど、コロナも過ぎ去った感が漂う昨今(実際は増えてるそうだけど)、人々の移動が急増する一方で、僕はと言えば、逆に旅の頻度をぐっと減らしていて、その結果、必然的に胃腸の休息時間が増えてきた。それゆえか、最近なんだか落ち着いて物事を考えるようになってきたように感じる。これまでは考えてなかったというわけではないけれど、どこか無謀でヤンチャな行動が多かったと自覚する僕が、やけに色々と熟考するようになったのは、歳のせいか、胃腸のせいか。

 約1億個にのぼる神経細胞によって、脳や脊髄からの指示がなくても、ぜん動運動ができる腸は、よく第二の脳ともいわれるけれど、それは、ここまで神経細胞がびっしり並んでいる臓器は他にないからだ。腸は単なる管ではなく、人間が生きるための多様で複雑な機能を司る重要な器官であり、まさに考える臓器であるというのが、最近の研究でどんどん明らかになっている。クラゲのように腸はあっても脳のない生き物を見ていても、生物の進化において、腸が脳の原型であることがわかる。そう考えれば、脳こそ第二の腸だと言えるかもしれない。

 ちなみに「直感」とか「第六感」のことを英語でgut feelingというそうだが、この「gut」とは、腸とか内臓という意味だというから面白い。それこそ直感的にわかっていたんだろうか。そう思えば、日本人も、腹落ちするとか、腹がたつとか、腹をくくるとか、脳や頭ではなく、腹での感覚をたくさん言葉にしていることに気づく。

 話を戻す。旅の頻度を減らすことで、ゆっくり物事を考える時間が増え、日々のルーティーンが定まってきた僕は、ここのところ、自分の内なる旅が始まってずいぶん楽しい。外に出る旅ではなく、内なる旅とはなんだ? と思われるだろうが、たいしたことではない。言い換えればそれは「生活」だ。

 これまで僕はさまざまな地方を旅しつづけてきたので、そのことが、身の回りのものへの眼差しの解像度を知らず上げてくれていて、家族とのご飯、娘と行く映画、自分の部屋で過ごす時間、日傘にエスプレッソ、それら日常の一つ一つがまるで旅のごとし芳醇さをもって僕を内なる旅へと導いてくれる。その全てに僕の意志と必然がベースとなった物語があって、誰に語るわけでもないそのストーリーに生きる僕がたしかにいる。それでいて、内なる旅のいいところは、無理をしなくてよいところだ。逆に言えば、頑張らないことが大切とも言える。外に出かけるスペシャルな旅は、刺激的で楽しいけれど、それはやはり刹那であるからこその悦び。内なる旅は、言うなれば家(うち)なる旅。ずっと永くお付き合いするのだから、チョイスの基準は、より心が休まるほう、とにかく好きなほう。頑張らなくていいほう

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