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夏休みの賞味期限すれすれの

虚勢だと思われそうだけど、私は本当にさみしさを感じないの。誰かと一緒にいるのは楽しいし、一人の時間は好き。お祭りみたいにわいわい盛り上がりたいし、自分の好きなものに囲まれて閉じこもっていたい。どれも矛盾するものではなくて、両者とも存在し、ただ露見するときとしないときがあるだけ。人間矛盾を抱えた生き物だから何ら不思議ではないんだろう。

さとのば大学で夏期コースが修了し、半年コースの私はあと2ヶ月ほど。あっというま。大学も10月に入ったら始まる。シラバスみても対面かオンラインか書いてなくて履修登録どうなるか不安。加えてゼミが一回対面であるらしく、どうするか考えよう。神戸だから移動が億劫なだけでいけんことはないから逆に難しいな。教授に会いたい気持ちもある。

西粟倉でいかに日常を紡ぐかについて。どれだけ馬鹿騒ぎできるか、な気がする。今まで夏期コースのひととシェアハウスをしていたのだけど、その方が帰ってから、早速やりました。地域の人のお家にお泊まり笑。ライブみながらお酒飲んで(私は弱いからほろよいを1/2杯だけ)、ご飯食べて夜遅くまでしゃべって。最高に楽しい。シェアハウスも楽しいけどためには羽目を外すのもいいなぁ。神戸で一人暮らしのときはいつも好き勝手してたから久しぶり。

私が進めるプロジェクトはきっと誰も望んじゃいないんだろう。他者から求められるものでもないのだろう。そりゃそうだ、私は私のために始めたんだ。誰のためでもなく自分のため。はじまらないからはじめた、きっとそれだけ。
あとは知人がおそらく読んでいないだろうと思い書くのだけど、最近報連相がすっごく難しいなと実感。上記のように、私のプロジェクトは私がしたくてやってるものだから、~~まで進みましたとか、次に==をしますとか、そういうの自発的にやるのめっちゃ疲れる。企業に入ったらそうするの当然なのだろうけど環境も状況も違うからなんとも。つまり言ってしまえば私は頼るのが下手くそだ笑。私のせいが大きいんだろうけど、適宜聞いてくれるよう頼もうかな。ディスコミュニケーションから生まれる不和ってすごい囚人のジレンマ。ナッシュ均衡。改善できる余地がありそうだから心がけよう。

最後に、全然関係無いけど、私の好きな文章を全文引用しようと思う。私の言語化できずに死んでいく感情をすくい上げているかのような。そんなもの。この文章が出されたのは1年以上前で、今読んでも過去噛みしめた言葉が胸に突き刺さってくる。最後はこの文章で締めようと思う。きっとこの文章は夏休みの賞味期限すれすれのものだ。サヨナラ、夏。

2019年夏休みぼくの日記帳 298ページ目 2019年8月14日(水)4時00分

 その頃、僕は世界の全てが怖かった。
 すれ違う全ての人が僕の悪口を言っている気がした。コンビニのレジで小銭を渡すときに手と足が震えた。電車では席に座れず汗と吐き気が止まらなかった。毎晩死ぬ方法を考えていた。楽に死ねる方法を検索した。そのうち涙が止まらなくなって、過去の家族や友達や自分に申し訳なくて、ベッドの上で土下座しながら泣き疲れて眠った。

 夜だけは僕の味方だった。
 夜には僕が恐れるもののほとんどがなかった。毎晩忍び寄ってくる希死念慮以外には。だから、そういう死にたがりの暗い影を消す為に僕は音楽や本やゲームに没頭した。現実からできるだけ遠くへ離れたかった。そして僕を一番遠くへ連れて行ってくれる作品達に心酔し、いつか僕もこんなものを作れたら、と思うようになった。それは今思えば希望だったのかもしれない。真っ暗な部屋に灯した豆電球くらいちっぽけだが。

 悲しいけど、また朝は来た。
 死にたい僕は生きていく為に働かなければならない。どんなに現実から遠く離れたって陽の光は一瞬で僕を連れ戻す。
 ただ僕は知った。昨日の僕より今日の僕の方が知っていた。
 現実から遠く離れた場所に僕の知らない世界があることを。そこでは世界のなにも恐れなくてもいいことを。そこには体験したことのない喜びや感動が存在することを。そこは今いる世界より僕に似合っているかもしれないことを。そして、それはどうやら現実であるかもしれないことを。
 僕は毎晩、そんな確信を集めていた。