re_location vol.4:「Improvisation toward Ambient〜アンビエントに向かう即興」

 2023年2月26日にFORESTLIMITで実施するイベントは『アンビエントに向かう即興』と題されている。アンビエント、即興という音楽種別については様々な角度での論考、研究がなされているのでここでは詳しく分入らないが、簡単に企画経緯と趣旨について述べることとする。
 
 筆者は2022年7月15日にタージ・マハル旅行団のファーストアルバムを記念するイベントを行ったが、タージ・マハル旅行団について色々と調べている過程で、タージ・マハル旅行団から様々な興味深く重要な要素が摘出できることに気づいた。それは演奏とそれ以外の行為の対等性及び自由な即興性、環境全体の中で鳴っている音に注意を払うこと、聞くことと演奏することの連続性などの要素である。
 
 より具体的に述べていけば、タージ・マハル旅行団に繋がりのある人物の活動に、それらの要素の表出を垣間見ることができる。70年代中盤以降のタージ・マハル旅行団後期に参加していたのが、環境音楽家吉村弘である。80年代の端正でミニマルな吉村弘の音楽的世界観からは少しイメージが乖離しているように見える吉村のタージ・マハル旅行団への参加はどのような意味を持っていたのか。この点については不確かなところも多いが、タージ・マハル旅行団は浜辺や雪上を含む様々な特殊な環境下で演奏行為におよび、極端に長い演奏により空間や環境と一体となるような演奏を行なっていた。吉村氏と同時期にタージ・マハル旅行団の一員として活動していた某氏にインタビューを行ったところ「吉村氏は当時から演奏を取り囲む周囲の環境や状況に大きな関心を払っていた」という発言があった。80年代に吉村が手がけることになる、各種サウンドデザインの仕事に音をどのように特定の環境の中で鳴らし、それがいかなる形で環境と共存させ、周囲の事物と相互作用を行うのかという側面があったことを念頭に置きつつ、それを上記の発言に重ね合わせれば、タージ・マハル旅行団と吉村弘、そして環境音楽の間に線を引くことができる。そして、環境音楽とアンビエントは類似概念であるので、タージ・マハル旅行団とアンビエントとの接合点も見え始める。
 
 他方、タージ・マハル旅行団の小杉武久が美学校で75年から担当していた授業に通っていたのが多田正美と越川知尚の両名であり、多田正美は当時すでにGAPという伝説的な現代音楽グループで活動を開始していた(小杉武久の美学校の授業の成果としてEast Bionic Symphoniaというグループ名にて作品が発表されている)。GAPは現代音楽のコンテクストで即興を大胆に取り込んで活動していたグループであり、即興という方法論がもつ可能性を追求していた集団であった。多田正美は、その後は80年代のサウンドアート黎明期に様々な音を使った実践を行い、又、ビジュアルアーティストとしての活動も始め、即興という方法論を媒介として多種多様な表現を生み出していった。一方、越川知尚は70年代のドローンやテープミュージックの可能性を探求していくことになる。1997年には70年代に美学校の小杉武久のクラスに通っていた今井和雄が同級生に声をかけMarginal Consortが結成され、そこに多田正美、越川知尚の両名は参加することになった。Marginal Consortはタージ・マハル旅行団が提出したアンサンブルを排した非音楽的な即興の姿勢・形を先鋭化させてきたグループであると言え、彼らの「演奏」/即興には空間性への強い意識も垣間見ることができる。
上記の人の動きを追うだけでも、タージ・マハル旅行団から伸びる線上に、周囲の環境を意識化した上でアウトプットされる音の形と、即興的方法論により生み出される音のあり方が位置していると言えるのである。
 
 ところで表題として掲げたアンビエントという言葉であるが、それが多分に混乱した言葉であることを指摘しておく必要がある。アンビエントはBrian Enoが1978年に提出したコンセプトであることは周知の事実であるが、その音楽が持っていた静謐なあり方、簡素化された響きのインパクトにより、Enoが鳴らした「アンビエント的な音」がのちに音楽ジャンルとしてのアンビエントに変化を遂げ、また、アンビエント・テクノなどの文脈も流れ込むことで、いま現在アンビエントと言った際に、それがEnoが提唱した概念上のアンビエントなのか、その音から連想される音楽ジャンルのことなのか(アンビエント・テクノの誕生によりより複雑化した)がいまいちはっきりしないという問題がある。なお、LYSAKER(2019)はアンビエントを音楽的に定義することは不可能であり、それが「〜のため」の音楽ということでしか定義できないことを指摘している。ここでは少し広い視野に立ってアンビエントを概念的な見地から再考してみる。
 
 Enoが生み出したアンビエント(ここでは分かりやすくするために「アンビエントの概念」と呼んでも良いかもしれない)を分解していけば、そこには通常の音楽を発生させる音源(音楽家)、聴衆、環境・空間という軸があることが指摘できる。
 
まず音源であるが、Enoは[『Music for Airport』を作るに当たり、複数の録音されたピアノの音を録音・テープで再生した。そこでは、テープから鳴らされる音が少しづつずれ流動的な反復を作り出した点と、音楽家を直接的に介在させずに作られた音楽であることが特筆すべき点となっている。つまり、この作品は音楽家の生々しい身体感覚から引き離されたところで成立した音楽であったのである。
 
次に、聴衆について述べれば、『Music for Airport』は音楽作品でありながら、一定の聴取態度を要求せず、聴衆は様々な意識のレベルで音に触れるよう作られている。それは注意深い聴取から、ほとんど意識の外に音を持っていくことができる。そして、この注意の深度を自在に移動させられる特性により、従来の音楽にない自由な聴取の形を音楽にもたらすことに成功した。
 
 最後の環境・空間という点については、鳴らされる音が完結したものではなく、環境(この概念も複雑であるので、一旦、「ある主体を取り巻く空間・状況」という意味合いでこの言葉を使う)を含めて音楽が聴取されうるということを前景化した点が重要になっている。つまり、アンビエントを概念の次元で見ればそれが音楽作品として閉じたものではなく常に開かれたものとして環境・空間の中の他の存在と共存しているのであると指摘できる。この点で、Eno自身が提案しているようにアンビエントは空間で鳴らされる余分な音をマスキングしていくミューザックと呼ばれるBGMとは一線を画す。なお、Eno『Music for Airport』のコンセプト文の中で、アンビエントが空間独自の質感を活かす音楽と述べる際に、質感:アンビエンスという言葉を用いている。
 上記にて簡単にアンビエントの概念の構成要素について振り返った訳であるが、ここで筆者はふと立ち止まる。というのも、聴取の可能性、環境との適合性(これはアンビエンスの概念かもしれないが)というEnoのアンビエントの概念は脈々と引き継がれているものの、最初の音源という点についてはそれほど重要視されないからである。アンビエントに類する音楽は、家で再生されるということを前提にしている音楽であるので当然のごとく再生装置が音源となることが前提条件になっているからかもしれない。また、Enoのアンビエントが音を生成させるシステム(テープループのずらし)に依拠している点も看過できない点であった。しかし、筆者がやり取りがある、現代のアンビエント的音楽界隈の奏者は、ライブを行う際や制作の際には度合いの違いはあれ特定の視点から音を選び、音を「演奏」(往々にして即興的に作り上げている)しているということが観察できる。また、そもそもEnoの『Music for Airport』に使われたテープも、元はピアニストが弾いたフレーズのループであった。更に辿れば、Enoが多大な影響を受けたEric Satieに多大なインスピレーションを与えたのは演奏者の即興が複雑に絡み合うバリのガムランであったのである。このように考えれば、現在の演奏者の間では直接的に、Enoの作品では間接的に、歴史的なアンビエントの系譜を辿っても、演奏者の身体性や演奏者が音を聞いて即興的・偶発的に反応していく過程も内包されているのである。なお、ここで「即興」の議論の中で、演奏者と場を共有する聴衆が演奏者に与える重要性についても指摘がなされていることも付言しておく必要があるであろう。
 
 いまだに色褪せないアンビエントの概念の興味深さは、演奏者の側から聴衆の側へのフォーカスの移動及び演奏内容から聴取空間への関心の意向という側面にあることは否定できない。しかし、そこには当然のことながら音源となる楽器や演奏家が確実に存在している。そして、それらの演奏家は往々にしてある種の演奏・即興を媒介としてアンビエント的なムード(アンビエンスを引き立たせると言い換えることができるかもしれない)を実現している。この点をどのように考えるのか。音の発生のさせ方により、聴取の深度や音と環境との相互作用はどのように違うのか。ライブというコンテクストにおいて、即興行為がどのように音が鳴らされる空間や現場にいる聴衆とフィードバックを起こし音が生成、認識されていくのか。
 
 これらの点を再考したいと考えるようになった。なぜなら音を媒介として音を超えた環境・世界への想像力を刺激するのがアンビエントであるなら、その思考を誘発する音がどのように作られているかについて確認することは、想像力が向かう先を条件づけている根本を見直すことに繋がるからであり(聴衆の意識が重要であることは否定しないが)、少し飛躍して言えば、広い意味での環境(自然環境を含む周囲の環境)に我々がどのように向き合っていくかを考えていく上での始点を見定めることにつながるからである。
 
 そして、ちょうどこれらのことを考えていた際に、やりとりを始めた多田氏と越川氏の新しいデュオの録音を聞いていた折、即興という方法論をベースとして活動してきた二人の音が何かアンビエントの概念に接触しているようにも感じた。そこには、演奏していながらも聴衆となっているような二人の音が刻まれており、また、演奏内容と空間特性(音の響き)が融合しているようにも感じられた。そのことを基点として、アンビエントの概念における即興とは何かを問い直したいと考えた。そしてさらに、若い世代に属するアンビエント的な音楽界隈のアーティストがベテランの二人と場を共有し、様々なアプローチによる即興を提示することで何か新しいものが生まれるのではないかとも考えた。このような経緯により、今回のイベントが企画されたのである。
 
参考文献:
デイヴィット・トゥープ 『音の海』、水声社、2008年
鳥越けいこ編著 『波の記譜法』 時事通信社,1988年
佐々木敦 『即興の解体/壊胎 演奏と演劇のアポリア』青土社,2011年
Onnyk「GAPとは何か」C D 『G A P/Practical Concert』解説 Edition Omega Point ,2018年
Brian Eno 「AMBIENT MUSIC」LP 『Music for Airport』解説 Polydor/EG ,1978年
John T. LYSAKER『BRIAN ENO’S Ambient 1: Music for Airports』OXFORD UNIVERSITY PRESS, 2019.

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