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生活の音が聞こえる

秋から休学している。
2年後の大学院入試を見据え、研究が楽しくて仕方ないし、県外に調査にも行きたいし、時間欲しいし、じゃあもう休学しちゃえ、となったのだ。

休学をするという判断が推奨されるのは、私の大学の利点でもある。
しかし外部から見れば、4年間で大学は卒業するべき、という規範からぽいぽいと脱するこの行為は異様に見えるらしい。説明にかなり時間を要する。
加えて、同じ大学内で休学している者を見渡すと大半が語学留学やワーホリなどを理由にしていることも気がかりである。休学の向かう先が海外ではなく、国内というのはなかなか稀なケースっぽい。

休学して最初の1,2ヶ月は宣言通り数カ所に調査に行った。

ある調査地は、その領域の最先端と称される場であり、辺境の地に全国から人が集まっていた(この話はまたいつか)。その中には数名の大学生がいた。関東、関西、九州など様々であった。
「医学部だけど、精神科医になりたすぎて、休学して全国をふらついてます」
という人に出会い、ウワーまじか、私と似てるじゃんと嬉しくなった。仲間はいた。
夜中に海の近くに行って、だけど冷たい海は怖かったからすぐ撤収して、道端に座っておでん食べた。今の苦しさとか、わからなさとか、将来のこととか、きっとそんなことを話していた。
知り合いもいない土地で、こんな仲間が見つかるんや。びっくりした。
「また1年後会えるかな、会おうよ」
的なことを話し、私は住まいのある土地に帰った。

しかし、全国を回るというのは本当に、お金がかかるものだ。帰るとすぐに、ATM残高が恐ろしくなっていることに気づいた。
それとは別に、調査をする時の自分自身に違和を感じるようになった。

訪問先に対して無意識に期待をしてしまっている自分がいたのかもしれない。

何か有益なことを喋ってくれるんだろう
とりあえず訪問すれば何かが起きるだろう
絶対に研究が進むだろう

そんなことを頭の空白に浮かべていたのではないか。行きたい気持ちだけが先行していた。そして勝手な期待。ああなんと傲慢なことか。もう少し立ち止まって、本を読んで考えないと、そんで出直さないと。

10月以降、私は県外を回ることを一旦辞めてしまった。

家と大学、バイト先を往復する毎日。

12月は研究発表会が2回と、軽音部のコンサートがある。数ヶ月前から覚悟はしていたが、すでにスケジュールが気持ち悪い。

軽音部は勉強以外の「好き」にどっぷり浸かることを許してくれるし、研究コミュニティとはまた違う仲間と出会う機会になったので、大好きな場所である。
が、担当パートであるドラムが上手く叩けない。悲しいし悔しいしバンドメンバーに迷惑をかけることになるので、大学のスタジオを借りて練習する。

お金もないのでバイトを3つ掛け持ちする羽目になった。

朝イチで大学に行ってドラム練習して、その後は夜まで図書館に篭り、それからバイトに行く。
そんな生活。
ATM残高が減るごとに料理スキルばっかり上がっていって、笑ってしまう。

ゼミの中でも特に仲の良い友人は、ほとんど留学したり休学したり、辞めてしまったりして寂しい。同期で院進するのも多分私だけだし、そこの悩みを共有できる子がいない。ゼミの中でどんどん孤立していっているような気がする。
そういえば、あの高校から今の大学に進学することを決めて、図書館に篭った時だって私はひとりだった。あれと同じじゃん。繰り返し、嫌だなぁ。もう一度、受験生。がんばるか。

学会発表は2週間後に迫る。大学はまとまった休暇期間に入るらしいが、休学中の身にはそんなこと当然関係がないので、ひたすら生活を続ける。

学会発表と、軽音部のコンサートと、学内研究発表が終わったら、ちゃんと調査行こう。

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